魔道書物語
グリモワール

外伝1 : 波乱含みの出逢い






 嫌な臭いに、私は目を醒ました。
 怪物特有の、獣臭(ビーストノート)…ここまで臭うとなると、十数匹はいるだろう。襲撃は時間の問題だ。
 折りしも森の中。目的地にも、出発した町へも、最低でも2日はかかる。奴らにしてみれば、ここは絶好の襲撃ポイントだ。
 私はまだ眠い目をこすりながら荷台から顔を出し、御者に注意を促すことにした。
「あのぉ〜…」
「ん…何だぁ?」
 私の呼びかけに、御者もこれまた何とも眠そうに顔をしかめながら、私のほうを見やった。
「怪物が来ますよ?」
「怪物ぅ? ふぁ…何言ってやがんだ、そんなの…何処にもいねぇじゃねぇか」
 やはり、気付いていないようだ。まあ、居眠り運転をしていたのなら仕方の無いことだが…怪物よりもこの御者の方に恐怖を感じつつも、私はもう一度、2重の意味で注意を促す。
「でも…囲まれてるみたいですよ?」
 言った直後に、3台編成の一番前を走っている馬車の方から、御者のものと思われる悲鳴が聞こえた。1号車に同乗していたリプトンは一体何をやっているんだ、と思いながらも、私は荷台から御者席に飛び出る。
「なっ…なんだぁ?」
 御者は、突然の前方からの悲鳴に驚き、馬車を止めた。
 ありがたい、そのほうがこっちはやりやすい。
 ざっと周りを見渡す…こっちに向かってくるのは6体。
 オーガと呼ばれるそのクリーチャーは、人間の背丈を遥かに超え、異常なまでに発達した筋肉を持つ。恐らくは、その手にした棍棒で殴られれば、並みの人間などその瞬間に絶命するだろう。
 まあ、接近さえされなければ、私にとっては恐るるに足りぬ相手だ。
 私は呪文を唱えるために、バックパックから魔道書を1冊取り出した。


 今日もスルトニールの街は、程よい賑わいをみせていた。
 特にこれといった特徴の無い宿場町なのだが、周りにある3つの街を繋ぐ交通の要所ということもあり、中央広場は、露店と人で埋め尽くされている感がある。
 そんな中央広場の賑わい振りを、私は哀愁を漂わせながらも、羨望の眼差しで眺めていた。
 ぐぅぅぅぅ〜っ
 …腹が鳴る。
 そんな自分の腹を悲しげに見やり、溜息をひとつ吐いた。
 すぐ目の前には、こんなにも食べ物が氾濫しているというのに、私はそれを何一つ口にすることが出来ない。
 …そう、金が無いのだ。
 今朝宿をチェックアウトしたときには確かに持っていた金が、串肉の露店で金を払おうとしたときには、すでに財布ごと無くなっていた。
 財布を落とした訳でもない以上、すられたと考えるのが妥当だろう。
 油断のならない街だねぇ。
 しかし、腹が減った。
 だからといって、ここで物欲しげな目をして露店を眺めていても、食事が転がり込んでくるわけでもない。
 それでも未練がましく露店を眺めながら、私は重い腰を上げた。
 空腹に少しふらふらしながらも踵を返し、中央広場の別の一角を目指す。
 そこに広がっているのは露店ではなく、山のように積まれた交易品と、それを積むための馬車だ。さまざまな物資が行き来するこの街だ、私のような素性の者は、仕事に困ることは無い。
 私は手近なところに停めてある2頭立ての馬車へと歩み寄った。
 誰かの話す声が馬車の向こう側から聞こえてくる。
「…他の連中はスルトニールまでって契約だったからな」
「でも、残った護衛は1人だけだ。これでこの先の森を越えるのは危険すぎるぞ」
「だが、もう1人護衛を雇う経費は無いぞ」
「お前が先のことを考えずにこんなに仕入れちまうからだ!」
 何だかもめているようだが、とりあえずは当たってみよう。これも今日の、ひいては明日以降の食事のためだ。
 意を決して馬車の裏側に回りこむ。
 目に映ったのは、いかにも商才のありそうな男と、いかにも商才の無さそうな男のコンビだった。会話の内容そのままだ。
「一応斡旋所に護衛の急募は出しておいたけどな、あんな薄給で誰か来るとも思えないぞ」
「その薄給を出すだけでも、こっちは赤字ギリギリなんだよ!」
「あのぉ〜、お忙しいところすみませんが…」
「「何だ!」」
 2人声を揃えて、私のほうに振り返った。目が血走っていて、すぐにでも事を構えそうなその雰囲気に、私は気圧される。
 背中に大量の汗をかきながらも、それでも私は交渉に入ることにした。これも今日の、ひいては明日以降の食事のためだ。
「あのぉ〜、もし宜しければ、私を護衛に雇って頂きたいのですが…」
 2人の迫力のため、最後の方は消え入りそうな声になりながらも、何とか私はそこまで言い切った。
 …言い切ったはいいが、その後の2人の胡乱なものを見る目つきが、やけに痛く感じた。
「…物好きがいるもんだな、あの募集内容で来るとは」
「だけどな、やっぱり来るのはそれ相応の奴なんだろうよ。お前、あんな奴に護衛が務まると思うのか?」
「いや、俺の方がマシのような気がする」
 …ご大層な言われようだ。
 それでも募集はした手前なんだろうか、訝しみながらも、話を切り出してきた。見た目に商才の無さそうな男だった。
「…あんた、見た目随分と頼りないけど…得物は何を使うんだ?」
 こんな聞かれ方も毎度のことだから、私もいちいち気にしない。
「私の武器は魔法ですよ」
 ほう…と、私を見る目が変わったのが分かる。
 魔法を使う才能を持っている者はそんなに多いわけではない。だからあまり知られてはいないのだが、下手な剣士を雇うよりもずっと役に立つ場合が多い。
 それが分かっているらしく、商才のありそうな男は、すぐに訝しげな表情に戻った。ちなみに、商才の無さそうな男の方は、相変わらず胡散臭げな表情で私を見ているだけだ。
「それで…その魔法使いさんが、本当にあの給料で働いてくれるのか?」
 そういえば、さっきも薄給と言っていたのを思い出し、気になったので訊いてみることにした。
「え〜と…実は私、その募集内容見てないんですけど…いくらくらいなんです?」
「20ベイルだ」
 20…確かに薄給だ。
 ちなみに、さっき私が買い求めようとしていた串肉が、1本2ベイルだ。
 普通ならば、こんな報酬で動いてくれるヤツは居ないだろう…普通なら。
 だけど、今は私にも普通じゃない事情がある。元よりあまり金は取らない方だ。
「…食事は付きますか?」
「え? …そりゃあ、食事くらいは出してやるが…」
 虚を突かれたように男は言った。
「それなら、私はその20ベイルで構いませんよ」
 そんな私の言葉に、2人とも信じられないといった面持ちで私を凝視した。あまりの驚きように、暫く声も出ないようだった。待っていてもきりが無さそうだったので、私のほうから切り出すことにする。
「あの…なにかご不満でも?」
 再びかけられた私の声に、2人揃って慌てたように反応する。
「そ…そんな、ご不満なんて、あるわけねぇじゃねぇかっ! なぁ?」
「お…おうっ! こっちとしては大助かりでっ!」
「俺はこの商隊の隊長で、1号車の御者もやってる、ダイクってもんだ」
 商才のありそうな男が自己紹介をした。
「お…俺っちは2号車の御者の、マイルだ。で、あんたは?」
 商才の無さそうな男が、私に自己紹介を振った。
「あ、これは失礼。私はフォート。フォート・N・メイスンです」
 差し出された手を握り返しながら、私も自己紹介をする。
「あと、3号車の御者をしているジッタってのが居る。フォートさんには、その3号車に乗ってもらう事にするよ。それから護衛にあと1人、剣士のリプトンってヤツが居るんだが…顔合わせは後でもいいだろう」
 何とか雇ってもらえて、ひとまず安心した。これで4〜5日分の食事は確保できた。だが、問題はまだあった。私は少し遠慮しながらも、切り出すことにした。
「あ、それは構いませんけど…あの…」
「ん、まだ何か訊きたい事でも?」
 私が遠慮がちに問いかけたところを、商才のありそうな男…ダイクが先を促す。
「あの…すみませんが…早速食事を頂けませんか? 実は今朝からまだ何も口にしていなくて…」
 男たちは、私のこの言葉に暫く互いの顔を見合わせた後、豪快に笑ってそれに快諾してくれた。
 …しかし、たった20ベイルで赤字ギリギリになるとは…この男たちは、一体どんな買い付けをしたんだろう?


 取り出した魔道書は、至る所に付箋が貼り付けてある。目的の呪文が載っているページを素早く開くための、苦肉の策だ。
 私は付箋の1つを繰り、そのページを開く。
 目に飛び込んでくるのは、紙面に埋め尽くされた魔法言語。
 魔法は、この魔法言語によって魔法粒子《プライマル》を練り上げ、昇華させるというプロセスで成り立つものらしい。私はその道の研究者ではないが、この程度のことならば魔法使いには常識だ。
 私は精神を集中しながら、その呪文を読み上げていった…

  其は黄昏より出ずる光
  其の行きつく先もまた黄昏なり

 詠唱が始まると、私の頭上に光点が顕現し、だんだんと膨張していく。
 その間にも、オーガは威嚇の咆哮を上げて近づいてくるが、私は構わず詠唱を続ける。そんな私の横では、すっかり怯えきったジッタが、震えながらもそこから動かずにいる。
 この状況にあっても馬車を制御しようとするとは、見上げた奴だ…と思ってみたものの、すぐに事実に思い至る。
 …腰が抜けてるのか。
 そんなジッタを横目に、私は構わず呪文をとなえ続けた。

  法(のり)に従いて其の身を焦がし
  疾風(かぜ)の如く駆け抜けよ

 膨張していく光の球体は、次第に輝きを増していき、直視できないほどに眩しくなっていく。
 その輝きに、馬車の間近に迫っていたオーガもさすがに動揺を覚えたらしく、踏み込むのを躊躇している。
 動揺から立ち直るのを待ってやる道理も無い。私は遠慮なく呪文を叩き込んだ。
虹晶疾走(プリズマティック・シュート)っ!
 呪文名の宣言と共に、頭上に浮かぶ光球が6つに弾けて分かれ、それぞれが近寄っていた6体のオーガの眉間へと吸い込まれるように飛んでいき、後頭部へと駆け抜けた。
 目を見開き、一瞬の痙攣の後、血の筋を引いて崩れ落ちるオーガたち。
 ちょうどその頃になって、先頭を走っていた馬車の方から、剣戟(けんげき)の音が聞こえてきた。今ごろになってリプトンが動き出したようだ。剣士としてはまだまだ未熟なのだろう。剣戟の音からも、それが窺い知れる。
 リプトンに任せておいたら、残りの馬車が潰されてしまうだろう。私は溜息をひとつつきながら、残りのオーガの始末をしに、先頭の馬車に向かった。
 ざっと見たところ、残り9体。そのうち3体はリプトンが相手をしている。
 右手に持っているのは片刃の剣…多分、グラディウスと呼ばれるものだろう。見たところ、何の魔力もかかってない、ごく普通のものだ。左手の盾も、ごく普通の中型のシールドだ。鎧も…これまた普通のブレストプレート。泣けてくるほど貧弱な装備だ。
 この装備で3体同時に相手をするとは、もしかしたら見かけによらず腕はいいのかもしれない…が、どうも見ているとそうでもないようだ。
 リプトンは、グラディウスを狙いもつけずに大きく振り回し、オーガたちを牽制しているにすぎない。それに、盾で受けたり、体をひねって棍棒の一撃を避ける回数の方が遥かに多い。
 残りの6体に目を向けてみると、馬車にと言うよりは、馬に襲い掛かっていた。
 さすがにこれは放って置けない。馬車が壊れる分にはまだ何とかなるが、馬がいなくなると荷物が牽けない。リプトンにはもう少し頑張ってもらうとして、私は残り6体のオーガを止めにかかった。
 バックパックから別の魔道書を取り出し、素早く付箋を繰る。
 呪文のイメージを思い浮かべつつ、詠唱文を読み上げていく…

  其は大地に在り眠るもの
  ただひとたびの目覚めを求むるもの
  其の身に失われし力を宿し
  力強き腕(かいな)に何を抱くか

 詠唱の終了と共に、周囲に軽い地響きが起こり…
豪力樹縛(ディ・ヴァイス)っ!
 呪文の開放。
 道の両脇の木々から枝が伸び、それが一斉にオーガたちに掴みかかる。
 馬に群がっていたオーガたちは、予想外の襲撃に対処できず、瞬く間に木の枝に絡め取られていった。
 オーガたちは、何とかそれを振りほどこうともがいているが、植物の力というのは侮れないものだ。下手をすれば、今もがいているオーガたちよりも力は強いのかもしれない。
 木の枝は、そんなオーガたちをあざ笑うかのように、力強く締め上げていく。
 やがて、枯れ枝が折れるときのような軽い音と、それをかき消すような絶叫が響き渡り、オーガたちは口から血の泡を吹き、絶命していった。
 …さて、あとはリプトンが相手をしている3体だけか。少しは始末していてくれると楽なんだが…あ、やっぱりまだ1体も倒せてない。ここまで持ちこたえられる体力がありながら何故倒せないのか、むしろそっちのほうに感心してしまう。
 リプトンに疲労の色も見えていることだし、手っ取り早く片をつけてしまおう。
 私はまた新たに魔道書を取り出し、目的のページの付箋を繰る。
 もうこれで最後だろうなとか思いつつも、呪文の詠唱を開始する…

  煉獄(れんごく)より来たりて荒れ狂い
  灰燼(かいじん)と共に去り行かん
  流るる其の身は蛇(じゃ)の如く
  燃ゆる顎(あぎと)に命散らさん

 足元が、振動と共に熱を帯びる。呪文はいつでも解き放てる。
 ふとリプトンの方に目をやると、背後に立ったオーガが、今にも頭上からの一撃を振り下ろそうとしている。これは、悠長なことをしている場合ではないな。
爆炎龍(サラマンダ)っ!
 私の宣言と共に、足元から炎が吹き上がる。
 それは、さながら生きているが如く身をよじらせ、リプトンの背後に立つオーガに直撃した。
 途端に爆炎に包まれ、オーガはのたうち回る。
 1体では満ち足りないのか、炎の蛇は、次の標的に向かって牙を剥いた。
 次に犠牲になったのは、リプトンの左側にいたオーガだった。そのオーガは何を思ったか、炎の蛇を手にした棍棒で叩き落そうとしたが、もちろんそんなものが効くはずも無い。炎の蛇は、振り下ろされた棍棒ごと、オーガを丸呑みにした。
 残ったオーガは、目の前のあまりもの出来事に狼狽していた。その隙をリプトンは見逃さず、がら空きになった胴をひと薙ぎにした。
 実質、有効になった斬撃はその1回のみだったが、その1撃は確実にオーガの息の根を止めていた。
 …太刀筋は良いようだ。ただ、多数を相手取った戦闘には慣れていないと見える。道場では模範生といったところか。
 そのご当人は、まだ息が上がってへたり込んでいた。だが今の騒ぎで、別のクリーチャーたちが襲ってこないとも限らない。リプトンには酷だが、すぐに立ち直ってもらおう。
「お疲れさまです」
 と、差し出した私の手を、
「ああ、ありがとう…あんたのお陰で助かったよ」
 まだ荒い息を整えながらも、素直に取って立ち上がる。
「お互い様、というやつですよ」
「いつもなら…他にも剣士が居るから、いっぺんに何体も相手にしなくて…よかったんだけどな」
 ああ、やはりそうか。
「慣れない立ち回りをすると…疲れるもんだな。…さっきから背中が熱いっていうか…」
 不意に、焦げ臭いにおいが私の鼻を突く。視界の端に、細く煙が立ち昇って…
「ぅわあっ、オレの背中燃えてんじゃんっ!」
 リプトンが戦闘の疲れもそっちのけで跳ね起き、走り回る。背中に引っ掛けているマントが燃えているのが見えた。さっきの爆炎龍が燃え移ったのか…
「あちっ、あちっ、あちちちちちちぃ〜っ!」
「あ、足元に…」
 注意を促したときには、既に遅かった。背中に気を取られていたリプトンは、足元にある窪みには当然気がつかず…お約束のようにその窪みに足を突っ込み、盛大に転けてくれた。…窪みの正体が、さっきの爆炎龍が飛び出した穴だったことは内緒にしておこう。
 転けたリプトンは、その勢いを殺さずに転がっていき、その先には…
 私は言葉を失くし、冷や汗を流した。
 リプトンの転がる先には、商隊の1号馬車があった。
 リプトンもその事実に気がついたようだが、踏み止まるには勢いがつきすぎ、方向転換をしようにも、時は既に遅すぎた。リプトンは、思い切り馬車に激突した。
 すぐにその場から離れれば、或いはそれ以上の惨事からは逃れられたのかもしれない。だが、背中をしたたかに打ちつけたらしく、リプトンは少しの間、その場から動けずにいた。
 その少しの間で充分だった。リプトンの背中についた火は、見事に馬車の幌に燃え移った。さすがにこれにはじっとしていられなかったのだろう、馬車の中から様子を窺っていたダイクが慌てて飛び出してきた。
「バッ…バカヤロウッ、はは…はやはやく早く火をけせけけけ消せぇ〜っ!」
 この声に反応してリプトンは起き上がったが、まずは自分の火を消すのが先決と思ったらしく(それはまあ至極当然だろう)、地面を転げ回った。
 そんなことをしている間にも、馬車に燃え移った火は、その勢いを急速に増していた。もはや、手作業で消せるレベルではない。
 この様子に、リプトンは役に立たないと判断したのだろう、ダイクは私に向かって怒鳴りつけた。
「お、おいっ、フォートッ! 魔法で何とかならねぇのかっ!」
 出来るものなら疾うの昔にやっているのだが…
「火は消せますけど、その場合もっとヒドイことに…」
「何でも良いから早くやれぇーっ!」
「…知りませんからね」
 半分消え入りそうな声で言いながら、魔道書を取り出した。
 あまり気は進まないが、付箋を繰り、目的の魔法の書かれたページを開く。
 私は、できるだけ森の木々の中に入り込んでから、呪文の詠唱に入った。

  其は激しき心眠りし処(ところ)
  穏やかにして還るべき処
  目覚めし怒り天を貫き
  濁流となりて総てを飲み込む

 私は威力を極力抑えるように注意しながら…
蒼龍牙(ネレイド)っ!
 呪文を解き放った。
 やや遅れて地響きが鳴り出し…
「な…何だっ!?」
 その振動にダイクは明らかに動揺を顕(あらわ)にし、馬車の消火作業の手を止めていた。もちろん、ダイク以外の者も同様だ。
 だから、その第2の災害…道の向こうから押し寄せてくる、まるで鉄砲水のような大量の水を見たときには、みんな揃って頬を引きつらせていた。
 …強すぎたか。
 ダイクたちは、それでも止まらない火勢に取り組んではいたが…
「お…おう、みんな…逃げろぉ〜っ!」
 これ以上留まることに身の危険を感じたらしく、ダイクが声を張り上げた。
 その声に、みんな一斉に両脇の森の中に逃げ込んでいった。ダイクの手前、逃げたくても逃げられなかったのだろう。
 ダイクは馬車を離れ、まっすぐに私のところに掴みかかってきた。
「フォートっ、こりゃ一体どういうことだっ!?」
「だ…だからもっとヒドイことになるって、言ったじゃ…ないですかぁ〜」
「雨を降らせる魔法とかは無かったのかっ?」
「そんな都合のいい魔法、ありませんよぉ」
「だからと言って、こんな…」
 なおも言いつのるダイクの言葉の続きは、怒涛の如く押し寄せてきた大量の水の音にかき消された。荒れ狂う水流は馬車を飲み込み、ついでにその水流に比べれば本当に些細なものに思える火勢も、辺りに散らばったオーガの躯をも飲み込み、押し流していった…


 荒れ狂う水は流れ去り、後に残ったのはぬかるんだ地面のみだった。
 ダイクたち商隊の連中も、リプトンも何とか無事に逃げ込んだらしい。みな一様に疲れきった顔を突き合せ、その場に座り込んでいた。
 水流に飲み込まれた馬車は、500mの彼方へと連れ去られていたが、簡単な補修で済みそうな被害にとどまっていた。馬は6頭どれもが水を大量に飲んで危険な状態だったが、何とか助かりそうな気配だ。
 呪文の威力をかなり抑制したことが、結果的に効を奏したのかもしれない。
 ただ、1号馬車の積荷の半分近くは、火と水により、深刻なまでの傷を負った。もう商品としての価値は望めないだろう。
 それでもダイクは、護衛を雇わず、オーガにされるがままになった時の事に比べれば軽い被害だと割り切ったらしく、すぐに商隊を立て直し、出発する準備を始めていた。私たち2人に対する風当たりが強くなったのは言うまでも無い事だが…

 そして商隊は進み出す。目指す街へと、再び…


 ユーストゥッドの街。  あれから2日が経ち、目的地であるこの街にどうにか辿り着いた。
 ここ2日というもの、ダイクの眉間の皺が恐くてあまり口を開けずにいたが、さすがに去り際まで口をきかない訳にもいかない。
 私はダイクに向き合うと、商隊にとっては甚大な被害を出してしまったことを再び詫び、ここまで乗せてもらった礼を再び言い、踵を返してその場を去ろうとした。
「フォート!」
 ダイクが、そんな私の背中に声をかける。
 恐る恐る振り返る私に向かって、小さな皮袋が飛んでくる。それは見事に私の顔面を直撃した。
「…忘れもんだ」
 私の荷物は、今背負っているバックパック1つなので、忘れ物がある筈が無い。おかしいなと思い、痛みに顔をしかめつつも、その皮袋の口を開く。
 ベイル金貨が20枚…
「そんな…受け取れませんよっ!」
 言いながら反射的に顔を上げた私は、そこにダイクの破願した姿を確認した。
 不意打ちを食らった私の姿を見て笑っているのか…それもあるだろうが、それだけであの笑顔は出てこないだろう。多分…どうしようもないお人好しなのだ、ダイクという人物は。
 私は再び礼を言い、その場を去った。
 ユーストゥッドは小さいながらも、漁港を備えた街だ。食料に困る事は無いだろうと思い、今度は盗られないようにしっかりと皮袋を握り締め、暫くの宿を探した。そこに…
「フォートぉ〜っ!」
 背後から呼ぶ声が聞こえた。
 この街に知り合いは居ない筈だと思いつつ、振り返ると…
「待ってくれよ、フォートっ!」
 リプトンが私を追いかけてきていた。
「リプトン、貴方、護衛は…?」
「へへっ、俺一人じゃ護衛は務まらねぇのが解ったからさ、ダイクの旦那には悪いが、他をあたってもらうことにしたんだよ。」
「それで…どうして私のところに来るんですか?」
 何だかイヤな予感を覚えつつも、出来るだけ平静を装って訊いてみる。
「俺、剣の修行をしなおそうと思うんだ」
「だから、それでどうして私のところに来るんですかっ?」
「あんたの魔法が、修行の役に立ちそうだから」
「…協力しろってことですか?」
「お、話が解るねぇ♪」
 突然降って沸いた不条理に頭痛がしてきた。何故私が、こんな未熟な剣士の面倒を見なければならないのだ?
「…貴方の面倒を見る事で、私にどんなメリットがあるというのですか?」
 言いながらも、自分のこめかみが小刻みに脈打つのがはっきりと感じ取れた。が…
「俺、けっこう金持ってるんだよ。少なくとも暫くの間は生活に困る事は無いぜ」
「…解りました」
 少々情けない感はあるが、それよりも今日からの食事の心配がなくなる事の方が大きかった。私は、これを仕事だと…断じて仕事だと思い込み、これを引き受ける事にした。
「よし、決まったっ! フォート、これから宜しく頼むぜっ!」
「え…ええ…」
 引きつった声で生返事をする私を他所に、リプトンは1人で盛り上がっていた。
 私はと言えば、これから背負い込む大荷物を前に、ただただ暗澹たる気分に陥るのだった…






魔道書物語 グリモワール 〜光闇の魔道書〜
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