魔道書物語
グリモワール
〜 光闇の魔道書 〜
第6話 : 閑かなる回廊






 例によって酷暑が続く中、私たちは一路、東に向かって歩いていた。
 迷うような事はなかった。
 水場を出発した頃にはまだ点々と生えているだけだった木々が、たった1日歩いただけのこの場所では、もはや鬱蒼と茂っている。そんな中でも迷っていないと言い切れるのは、近づくにつれて強く感じられていくその気配を、リプトンが的確に捉えていたからに他ならない。
 本来なら、遺跡の場所が記されているようなこの近辺の地図を用意したかったのだが、生憎とそんな便利なものはラボには無かった。火事で紛失してしまったらしいのだが、それなら私たちが来なかった場合、ガティマはどうやって遺跡に行くつもりだったのだろう?
 不意に、リプトンが歩みを止めた。
「…ここに遺跡がありますって言ってるようなもんだな、ありゃあ」
 呆れたように言うのも無理はなかった。開いているとはいえ、遺跡の入り口そのものは、確かに見つかりにくいような構造になっていた。しかし、両脇に立つそれが、遺跡の入り口の存在を明確にしてしまっていた。
 3mを優に超える、オーガよりも大きな体躯。褐色というよりも、むしろ漆黒を思わせる肌。そして何よりも特徴的な、顔の中央に1つだけ象眼された、巨大な目…
 C級冥魔、サイクロプス。
 手にした棍棒の力任せの一振りは、相手の全身の骨を打ち砕く。並の剣士なら裸足で逃げ出す、恐ろしい破壊力を持った巨人型冥魔だ。
 恐らくは、この2体のサイクロプスにも、攻呪防膜(ラ・ディーレン)がかかっているに違いない。そうなると、私の魔法で倒すのは不可能とまではいかないが、かなり難しくなる。
 それが解っているのか、リプトンは不敵な笑みを浮かべると、
「相手になってやるぜ、木偶の坊!」
 右手にブレード、左手にマン・ゴーシュを抜き放ち、右側のサイクロプスへと駆け出した。少し遅れて、ラティが左側へと向かう。
 私はその場で魔道書を取り出し、付箋を繰る…が、すでにリプトンは、サイクロプスの目の前にいた。冥転深影(アウトレット)で1体でも減らそうとしたのだが、森の中というこの条件では、サイクロプス自身の影が現れない。使ってみたところで、ほぼ確実に失敗するだろう。
 それならば、と、私は別の付箋を繰り、そのページを広げた。

  星界を渡りし 姿定まらぬ者

 サイクロプスの唸りを上げる棍棒が、リプトンの頭上に降りかかる。しかしリプトンは、これを難なく左手のマン・ゴーシュで受け止め、弾き返した。淵猫の一撃さえ受け止めるリプトンにしてみれば、これは特に難しいことではないのだろう。

  其の移ろいを 瞬きと成す

 左のサイクロプスに、ラティが遠い間合いから槍で牽制する。サイクロプスは棍棒を振り回すが、勿論それは、ラティにはかすりもしない。しかしながら、ラティの行動も牽制であるために、サイクロプスに傷を負わせるようなことは無い。

  闇色の外套 黒霧と化し

 重い棍棒と一緒に、リプトンはサイクロプスの腕を跳ね上げた。がら空きになったその胴体を、リプトンのブレードが鋭く薙ぐ…が、浅い。サイクロプスとのリーチの違いもあるが、腕が跳ね上がった瞬間、サイクロプスが素早く身を引いていたのが決定的な理由だった。体格に似合わず、思ったよりも素早い身のこなしをするようだ。
 リプトンもその場は距離を取る…と見せかけて、一気に間合いを詰めた。

  彼の者に下ろせ 黄昏の帷

 周りに木々が多く生えていることは、ラティにとって有利であり、不利でもあった。突き出した槍を引き戻しながら、ラティは右へ移動する…そのとき、槍の石突きを後方の木に引っ掛けて、ラティは大きくバランスを崩した。
 そこに、狙い済ましたようなサイクロプスの棍棒が、唸りを上げて襲いかかり…偶然ではあろうが、その一撃は的確にラティの槍の穂先を捉え、それを大きく弾き飛ばした。
「あっ!!」
 ラティの顔に焦りの色が浮かぶのを見て、私は急いで魔法を開放した。
視蝕闇霧(エクリプス)!
 視蝕闇霧…対象の視力を一時的に奪い取る魔法だ。しかしながら、瞬時に対象の目が見えなくなる訳ではなく、薄雲が月を覆い隠すように、徐々にその視力を奪っていく。視力を奪っていられる時間はごく僅かではあるが、通常、このような戦いというのはそれほど長引くものではない。
 今、視蝕闇霧の影響下に陥ったサイクロプスは、棍棒を振るうどころか、その場を右往左往するだけの、まさに木偶の坊と化していた。次第に黒く霞がかり、やがては完全な闇となった視界に戸惑い、ラティを追うどころではなくなったのだろう。
 …という計算でいたのだが、私の魔法はむしろ、裏目に出る結果となった。視力を失くしたサイクロプスは、その場に呆然と佇むどころか、闇雲に棍棒を振り回し始めたのだ。ラティの方はサイクロプスから距離を取ることで難を逃れたが、このままでは、振り回す棍棒が遺跡の入り口を潰してしまう可能性がある。
「ちょっと…これは失敗しましたか…」
 暑さだけの所為では無さそうな汗を拭いながら、私はひとりごちた。

 リプトンは間合いを詰めると同時に、刃を上にしたブレードを深々とサイクロプスの腹部に突き立てた。普通の冥魔ならこれで絶命するが、C級に多く分類される大型冥魔たちは、殊更に生命力が強い。多少動きは鈍っていたものの、サイクロプスは手にした棍棒を打ち捨て、両手でリプトンに掴みかかってきた。
 しかし、リプトンの行動のほうが速かった。深々と突き刺さったブレードを、リプトンは何の苦もなく、右手一本で大きく跳ね上げた。その結果サイクロプスは、腹部から眼球のあたりまで、大きく切り裂かれる形となり、一瞬後、盛大に血飛沫を撒き散らした。ここまですれば、さしものサイクロプスといえども即死だった。そのままリプトンは、左のサイクロプスのほうに向き直り…そこで初めて、1人暴れているサイクロプスを目の当たりにした。
「フォートっ、お前何やったんだ?!!」
 言いながら、すでにその足は駆け出している。
「済みません、どうもかける魔法が適切ではなかったようです。リプトン、あとは任せます」
「任せるって、簡単に言うなっ!」
 などと怒鳴っているものの、その頃には、リプトンはすでに残ったサイクロプスの正面にまで来ていた。未だ視蝕闇霧の影響は健在であり、サイクロプスは疲れを忘れたかのように、棍棒を縦横に振り回し続けている。
 リプトンは少しだけタイミングを計り、目の前を棍棒が通り過ぎた直後に、1歩だけ踏み出した。まるでそこを狙ったかのように、今度はリプトンの左側から棍棒が襲いかかってくる。しかしリプトンは、一見無造作に上げただけのマン・ゴーシュで、その棍棒を弾き返していた。
 途端にサイクロプスはその方向に向き直り、耳障りな咆哮を上げつつ1歩踏み出し、棍棒を大きく振りかぶった。対するリプトンは…
「アーマッド流…」
 小さく言いながら、左手に持ったマン・ゴーシュを、腰の後ろにある鞘へと戻す。同時に右手に持ったブレードを、大上段に振り上げ始める。
「初等奥義…」
 空いた左手を、まだ振り上げている途中のブレードの柄に添えるような感じで握る。このときサイクロプスとリプトンは、互いに上段に構えて向かい合っている形になっていた。
 瞬間、この猛暑の中、冷たい空気が肌を刺す感覚に襲われた。
 その巨大な体躯に似合わない素早い動きで、サイクロプスが棍棒を振り下ろす。リプトンは…まだ大上段に構えたままだ。サイクロプスの怪力が充分に乗った棍棒が、急速にリプトンの頭上に迫る。しかしリプトンはそれを回避するどころか…
「凍雪爆斬(ブリザード・ブレイク)っ!!!」
 大上段から、両手で持ったブレードを一気に振り下ろした。サイクロプスの棍棒を遥かに凌駕する速度で切っ先が落ちる。同時にそれは、爆風の如く吹き荒れる吹雪を生み出した。その吹雪のあまりもの強さに、私は反射的に、両手で目を庇っていた。
 吹き荒れる風の中で、キンッ…という、金属を打ち合わせたのにも似た高い音。
 風が収まりかけて、ようやく手をどけた私は……頭頂部から足元まで、棍棒ごと両断されているサイクロプスの姿をそこに見た。その切断面はまるで鏡のように平らで…私の姿をまるごと映すほどに、凍結していた。目が見えない状態で、正確にリプトンへと棍棒を振り下ろしたサイクロプスの手腕も見事ではあるが、如何せん相手が悪い。
 凍雪爆斬。幾つかあるアーマッド流の奥義の中では初等に分類される技だ。恐らくは体内のプライマルを凝縮させ、剣に乗せて一気に対象を叩き斬るという、豪快な技だと思われる。基本的に二刀流のアーマッド流の中では、珍しく一刀のみを使った技で、リプトンがまず最初に会得した奥義でもある。
 地に触れるほどの位置で止まっていたブレードがゆっくりと動き、鞘の中に納められる。その後、軽く息をついたリプトンは、
「フォート、まだ遺跡にも入ってない内からお前…」
 開口一番、予想した通りの文句を垂れ始めた。
「私だってたまには失敗しますよ」
「たまにか? 本当にか?」
 やけに絡んでくる。しかし、今はここでリプトンと漫才をしている場合ではない。ぽっかりと口を開けている遺跡へと目を遣りながら、
「……やはり、この奥のようですね」
 リプトンに同意を求める。ここにきて、私にも感じられる強力な気配は、サイクロプス程度のものではありえない。
「ああ……こりゃ、あの時のよりも強いな…」
 リプトンの言う「あの時」が、いつのことなのかまでは判然としない。しかし、リプトンがこれほどの気配を発する冥魔と出逢ったのは、今までに2回と聞いている。恐らくは私と一緒に見た、その2回目の方だろう。
 改めて見ると、この遺跡は状態が良いらしく、風化や破損のような個所があまり見られない。手を触れて、多少力を入れる程度のことでは、この遺跡は崩れてくるようなことはないだろう。
 しかし、こういった遺跡の常として、中は闇に包まれている。よく目を凝らしてみても、そこには暗いわだかまりがあるだけだ。
「…ラティ」
「なに〜?」
 近づいてきたラティに、視線だけで遺跡の中を指す。
「見えますか?」
「ん〜……」
 鳥目と言われるように、一般的な鳥類は夜になると目が利かなくなる。翼族(フェイザ)も同じだと考える者が多いようだが、実のところ、翼族は非常に目が利く。多少暗くても正確に見渡せる目は、いろいろな面で翼族の武器となっている。
 ラティは遺跡の入り口から中に1歩踏み出し、中の様子に視線をめぐらせた。
「なんか…ひんやりしてるね〜」
「まあ、遺跡っていうのはそういうものです。それで、どうですか?」
「なんか〜、狭い通路が奥に続いてるみたいだけど〜…ここまで暗いと〜、あたしでも見えないよ〜」
 ものには限度というものがあるようだ。さすがの翼族でも、暗闇を見渡せる能力は無いらしい。まあ、どのみち私たちも入るので、ラティだけに見えたところでどうにもならないのだが。
「わかりました」
 ラティにひとつ返事をして、私は魔道書を取り出した。
 付箋を繰り、ページを引き当て…詠唱。

  黄昏より舞い出ずる 幽かなる軌跡
  其の儚きを以て 輝きを成す
  迷いの闇に 導きを得て
  唯だ見よ 黎明の光明を


飛点光(ティン・カベル)
 魔法の発動とともに、小さな光点が、私の頭上に顕現する。淡く光を放つそれを、私はゆっくりと遺跡の入り口へと移動させていった。
 飛光点。簡単にいえば、術者の意思通りに操作できる照明を作り出す魔法なのだが、色々と使いにくい点がある。例えば…
「フォートぉ、これじゃあちょっと明るすぎるよ〜」
 遺跡の入り口に足を踏み入れたラティが、早速注文をつけてくる。そう、飛光点を操作できるのは、あくまでも術者のみなのである。私はラティの注文に応え、飛光点の光量を少し絞った。
「これでいいですか?」
「うん…もうちょっと下げられない〜?」
「これでどうですか?」
「影になって見えない〜。もっと前に出せない〜?」
「はい」
「フォートぉ、背中がかゆい〜」
「はい………ラティ」
「うぅ〜、冗談だよぉ〜」
 こんな状況下にありながら、ラティはいつもの調子を取り戻しつつあるようだ。さっきまで暑い暑いとぼやいていたのが嘘のようだ。まあ、遺跡の中がこれだけ涼しければ、さすがにラティも文句は言わないだろう。
 そのままラティを先頭に、私たちは遺跡の中へと踏み入っていった。
 ラティを先頭にするのには、それなりの理由がある。こういった遺跡には、たちの悪い罠が仕掛けられていることが多い。まだラティと出会っていなかった頃には、リプトンがいちいち罠を壊しながら進んでいたものだが、異常なほど目が良いラティなら、ちょっとした手掛かりから罠を探し出し、解除することができる。
 入り口を20mほど進んだところで、下に降りる階段がその姿を現す。
「何もないうちからいきなり階段ですか…変な造りですねぇ…」
 無論、こういった造りの遺跡が他にも無い事は無いのだが、それはあまりにも一般的とは言えない。この時点から、すでにこの遺跡の異常性が伺えた。
「別に仕掛けはなさそうだよ〜」
 ラティがざっと見渡してから言う。階段に罠を仕掛けるというのは、どの遺跡でもよく見られる常套手段だ。調べたとはいえ、それでも注意深く、ラティは階段に足を踏み出していく。
「地下深くに造る意味…何だと思いますか?」
「さあな。造った奴に聞け」
 少し考え込んだ私の横をすり抜けて、リプトンも階段を降りていく。私も考えつつ後に続き、優に50段を超える階段を降りきった頃には、もう入り口からの光は見えなくなっていた。
「…やけに広いですねぇ」
 入り口がそれほど広くなかったのに対し、階段を降りきったこの場所は、幅約5m、高さ約6m。幅も高さも、通常の遺跡に比べると少し…いや、かなり大きめだ。まるで、どこかの城か聖堂の回廊にでも立っているかのような錯覚を覚えさせる。
 そのまま20mほど進んだところで、左右に走る通路に突き当たった。ここではじめて、ラティがその能力を発揮する。
「真ん中の敷石は踏んじゃダメだよ〜」
 いつもの呑気そうな口調でラティが忠告し、その真ん中の敷石を、右側の通路へと軽やかに飛び越えていく。
「真ん中ですね?」
 私もラティに倣い、敷石を飛び越える。
「踏むと何が起こるんだ?」
「それは、踏んでみないとわからないよ〜」
 さすがにリプトンも、自ら厄介事を起こすつもりも無いようで(起こされたらたまらない)、真ん中の敷石を飛び越えてきた。
「ところで、左側は…?」
 言いながら私は背後を振り返り、ラティが右側に来た理由を知った。左側は、5mほど行ったところで行き止まりになっていたのだ。
「フォートぉ、明かり〜」
「あ、はいはい」
 ラティに促され、私はラティに都合が良い位置へと飛光点を動かした。


 その後もラティの目を頼りに、私たちは遺跡の中を奥へと進んでいった。小部屋が幾つかあったが、それらの部屋はすべて空であり、何か中に仕掛けがあるわけでもなかった。少し荒らされたような形跡があるのは、恐らくガティマたちの仕業だろう。
 実質ここまでのところは、枝道があるわけでもなく、ただひたすらに続く一本道を歩いているだけだった。
 と、飛光点が、この先通路が左に折れているのを照らし出す。
「…また左だ」
 ラティが不思議そうに言う。無理も無い、先ほどから3回連続で、通路が左に曲がっているのだ。
「なんかさっきから〜、同じくらいの間隔で左に曲がってない〜?」
 それは私も薄々感じていたことなのだが、距離感に長けているラティがこう言うのなら、もう間違いないだろう。
「このまま歩いていくと、もしかしたら最初の敷石のところに戻るかもしれない…そういうことですか?」
「それは〜…先にいけば解ると思うけど〜…」
 それはその通りだ。
「そうですね…まずは進んでみましょう」
 ラティを先頭に、私たちはそのまま通路を進んでいった。途中、通路の右側に、いままでと同じように幾つかの部屋があったが、やはり今までと同じように、中は空だった。
 そして…
 やはりラティの予想通り、今までと同じくらいの間隔で、左への曲がり角が現れた。
「つまり、このまま行ったら行き止まりってことか?」
「リプトン、決め付けるのはまだ早いですよ」
 ある程度の予測も必要ではあるが、こういった遺跡の中では、それは時によって命取りにもなりうる。行き止まりと思っていた通路の先に何かがあったことなど、1度や2度ではない。
「ああ、そうだな」
 リプトンも今までの経験を思い出したようで、後に続いてきた。
 が。
 私たちの期待とは裏腹に…或いは期待通りに、通路の行き着いた先には、行き止まりがあるだけだった。
「…まあ、こういう事もあるってことだな」
 リプトンがその行き止まりの壁に手をつきながら、ひとつ息を吐く。
「…ん?」
「…どうしました、リプトン?」
 私の問いには答えずに、リプトンはそのまま2度3度、その壁を叩く。
「どうしたの〜、リプトン?」
「この壁、意外と薄いんだな」
 言われて、私も試してみると…確かに他の壁に比べて、ここだけ音響が違う。音が軽いということは、つまり…
「場所的に見ても、やはりここはさっきの行き止まりと繋がって…ラティ、何してるんですか?」
 私は、さっきから壁の前を行ったり来たりしているラティに声を掛けた。
「この壁…動くみたい〜…?」
「動くって、こう…開くのか?」
 リプトンが両開きの扉を開く仕草をしてみせる。
「そうじゃなくて〜…なんか上に上がるみたいなんだけど〜」
「手で開けられるのか?」
 またリプトンが言って、手掛かりを探し始める。
「ん〜……多分手じゃ開かないよ〜」
 重すぎて、と小さく付け足す。
「では、やっぱりさっきの敷石で開くんですか?」
「多分…そうだと思う〜」
「だとすると、この壁の意味って一体何なんだ?」
「向こうからしか開かないとなると、近道と考えるのが妥当ですね」
 言っておきながら、しかしそれでは、ここに壁を造る意味が希薄であると、私自身感じていた。この遺跡が、これだけのものであるはずが無い。何より、ここに冥魔の気配を感じる以上、どこかに道があるはずだ。
「…とにかく、一度戻りましょう」
 再びラティを先頭にして、私たちは今来た道を引き返した。

「おかしいなぁ〜、ほかに道なんてなかったし〜…」
 首を捻りながら歩き、最初の曲がり角に差し掛かったその時。
「ラティ、下がれっ!」
 リプトンがそのまま歩いていくラティの手を後ろから引き、…直後、左側の壁に、蜘蛛の巣を張ったような無数のひびが走った。
「これは…衝撃波?!」
 その正体は、最近見慣れたものだった。曲がり角から僅かに伺えるその飛影は、間違いようもない…E級冥魔・魔鳥(シュヴァルツヴィント)。壁に残った痕から察するに、その数およそ、9。もしラティが気付かずに曲がり角に踏み込んでいたら、これが頭部どころか全身に直撃し、間違いなくラティは死んでいただろう。
「9体…ですか?」
「いや、10だ」
 リプトンがその数を正確に察知し、訂正する。しかし、壁を打った衝撃波は9つのはず………まさか?
「将烏(ゲネラルラーベ)、ですか…?」
「ああ、魔鳥どもが一斉に攻撃してきたのを見ても、まず間違いないだろうな」
「こんな時に、厄介なのが出てきましたね…」
 この狭い空間で今のように一斉攻撃されたら、逃げ場所はこの曲がり角しか残されていない。今でこそ、まだ将烏たちは曲がり角の向こうにいるから良いようなものの、この通路にまで進んで来られたら、後ろは行き止まり。進退窮まるとはこのことだ。
 しかし。
「そうか? 今ならかなりやりやすい相手だぜ?」
 この状況にありながら、リプトンはむしろ、余裕の表情さえ浮かべていた。
「片付けるのは早いほうがいいんだろ? 一気に行くぜ」
 言うが早いか、リプトンは無造作とも言えるほどの動作で1歩、曲がり角から踏み出す。
 途端に、空を切る音と共に衝撃波が殺到する。
「アーマッド流っ!」
 声高に叫びつつ、リプトンは飛来する衝撃波を、左手にマン・ゴーシュを抜き、流れるような動作でことごとく打ち払う。そこに間髪を入れず、甲高い音がリプトン目掛けて急速に迫る。将烏の不可視の砲弾、気砲だ。しかしそれさえも、
「初等奥義!」
 次なる叫び声と共に、右手に抜いたブレードで切り捨てた。2つに割れた気砲が、それぞれリプトンの左右背後の壁を穿つ。それが引き金となり、リプトンの背後の壁が、音を立てて崩れ落ちた。しかしそれは、遺跡そのものが崩れるほどのものではなく、後ろに隠れた地肌が見える程度に留まった。
 舞い上がる土煙の中で、腰を深く落とす。その僅かな時間で魔鳥たちの気配を掴み取り、次の瞬間には、リプトンは将烏の気砲もかくやという速度で、
氷狼疾駆(フェンリル・ドライヴ)っ!
 通路を駆け出していった。
 瞬く間があっただろうか。右手のブレードが、先頭に固まっていた3体の魔鳥を斬り落としたのは、それほどの時間しか要さなかった。しかし、次の2体は通路の高い位置にはばたいている。リプトンは割と間合いが広いほうなのだが、如何せんブレードという武器は短い。天井の高さも手伝って、2体の魔鳥にはこのままでは届かない。
 しかしリプトンは止まらない。疾走の勢いをそのままに…非常識なことに、リプトンはその走る面を、床から壁へと変えていった。つまり…壁を斜めに駆け上がっていったのだ。
 目の前でこんな非常識な事をされれば普通は驚くのだろうが、相手は空を飛ぶ冥魔だ。まず驚かない。しかし、仮にそれが驚愕に値することだったとしても、魔鳥にはその驚く暇さえ与えられなかった。なにしろ氷狼疾駆中のリプトンは、軽速補翼(ウイングド・ブーツ)の魔法の影響下にあるのとほぼ等しい速度で移動している。気がついたときには、目前にまで肉迫していたことだろう。
 2体の魔鳥を斬り落とした後、リプトンは更に常識外れなことに、今度は天井を駆け抜け、続く2体の魔鳥を打ち払った。そのまま天井を蹴り、将烏の両脇にいる魔鳥を、ブレードとマン・ゴーシュでそれぞれ斬り払う。
 …ここまで2秒もあっただろうか? 一瞬のうちに操るすべての魔鳥を失った将烏は、相当度肝を抜かされたことだろう。まさしく悪夢の瞬間だったに違いない。もっとも、その悪夢を見る時間さえ、将烏には無かったのだろうが。
 そのまま頭を下にした状態で、リプトンは空中にいながら、将烏に向かってブレードを上段から一気に振り下ろす。将烏にしてみれば、真下からブレードが襲いかかってきたことになる。
 しかし、そこは腐ってもD級冥魔だった。下方向から来たリプトンの斬撃を、当たる直前、その空間から掻き消えることでそれを躱した。将烏得意の瞬間移動だった。
 標的を見失ったリプトンのブレードは、もちろん空振りすることになった。その勢いを利用して、リプトンは空中で半回転し、床に片膝をつきながら着地する。その頭上に将烏が現れ、嘴を大きく開いた。
 次の瞬間、甲高い音と共に、リプトンの後頭部めがけて気砲が放たれた。しかしすでにリプトンは、振り返りもせずに、マン・ゴーシュを自分の後頭部に掲げていた。飛来する気砲は、マン・ゴーシュの腹に激しい金属音を伴って衝突し、元来た方向へと…つまり、将烏の大きく開いた嘴へと跳ね返っていった。
 将烏はその意外な出来事(だったに違いない)を目の前に、どうすることもできずに、自分の放った気砲を飲み込む事になった。もっとも、元々1mも離れていない至近距離から放った気砲だ。仮に反応できたとしても、次の行動を起こすのは到底無理だっただろう。
 そのまま気砲は将烏の頭部を貫通し、リプトンの頭上5mにある天井へと激突した。途端に轟音が起こり、その一角を構成する天井の組石が降り注ぐ。
「ぅおあっ?!! ちょっと待てぇっ!!」
 叫び声を上げ、リプトンはその場で立ち往生していた。たった今氷狼疾駆を繰り出した直後ということもあり、リプトンには次の行動に移る用意が何もできていなかった。自分に向かって降って来る一際大きな石塊に、リプトンがなんとか体を反転させて向き合ったとき…
「えいっ!!」
 何とも力の抜ける声を上げ、いつの間にかリプトンの近くまで駆け寄っていたラティが、槍を一閃した。その一撃で石塊は四散し、辛くもリプトンは直撃を免れた。
 しかし落石はそれで終わったわけではない。砕かれた石塊の上から、さらに大小様々な石塊が降り注いでくる。だが、ラティの一閃が、リプトンに落ち着きを取り戻させていた。
 不意にリプトンは立ち上がった。ブレードとマン・ゴーシュを持つ両手に息吹が蘇り、それはまさに2匹の氷狼のように駆け出しはじめた。自分に向かってくる石塊を、或いは弾き返し、或いは切り伏せ、或いは砕き…リプトンは、常人ではとても考えられない剣さばきで、すべての落石を凌ぎ切った。その隣では、ラティが自分のほうに降りかかってくるわずかな落石を、やはり槍で突き崩していた。
「ふうっ……まったく、イヤな置き土産残しやがって…」
 石畳に転がる将烏の骸に悪態をつき、リプトンは剣を収めた。そして、そのままその場に座り込んだリプトンとラティのもとへ、私は歩いていった。
「リプトン、見事な氷狼疾駆でした。もう完璧ですね」
「イヤってほど特訓したからな、当然だ」
 リプトンが満足気に頷いて返す。まあ、特訓では私の虹晶疾走(プリズマティック・シュート)を相手にしていたのだ、魔鳥あたりが相手なら、まず何の問題もあるまい。事実、結果がそれを証明している。
「まあ、最後が締まらなかったですけどね」
「…フォートだけには言われたくねぇよ」
 軽口を叩いてから、私は本題に入った。
「それにしても、この魔鳥たちは一体どこから来たんでしょうね?」
「そりゃお前…あれだろ」
 リプトンが全て解ってるといった風に口を切り、上を指差す。つられて私は上を見上げ…
「こんなところに…」
 確かに、リプトンに降り注いできた組石の量は尋常なものではなかった。しかしこの遺跡は、将烏の気砲程度で崩れ去るほどには老朽化していない筈だった。すると、最初から崩れやすい構造になっていたことになる。何のために?
「上に通路があるとは…ラティも見落とすはずですね」
 そう、天井の組石が綺麗に崩れ去ったあとには、更に高い位置にまで天井があり、そこから遺跡中央部に向かって、通路が延びているようだった。
 私は飛光点を上へと移動させ、ラティのほうを見る。ラティも解っているようで、私に向かってひとつ頷くと、軽いはばたきと共にその場で跳躍した。
 暫しの滞空…
 やがてラティは、羽根のように軽やかに石畳に降り立つと、
「入り口のまわりしか見てないけど〜、へんな罠は無いみたいだったよ〜。あと〜、冥魔もいないみたい〜」
 上の様子を、例の口調で話し始めた。まあ、これに関してはラティを信用していいだろう。冥魔のことも、リプトンが何も言わないのだから、まず近くには居ないと言っていいだろう。しかし…
「困りましたね、こんな壁を登るような道具なんて持ってきてませんよ」
 そう、通常こういった高い壁を登るようなことは無いので、私たちはロープの類を持ち歩くことがない。仮に高い場所を見る必要があった場合でも、それはラティが全てこなしてしまう。今までラティに頼りすぎていたと思い知ったところで、もう遅い。
「何を困ってるのか知らないが、上に登ればいいんだろ?」
 またしてもリプトンが、何も問題は無いといった風に言う。そのまま立ち上がると、通路の内側の壁へと歩き出し、そのまま壁に向かって片膝をつくように屈みこんだ。
「リプトン、まさか…」
 私がそう言いかけたのも束の間、リプトンは床を蹴り、上体を捻った。その瞬発力を利用し、わずか5m離れた反対側の壁へと走り出す。そのまま行けば、常人ならまず壁にぶつかって終わりだろう。しかしリプトンは、疾走の方向を水平から垂直に、(見た目に)何の苦も無く移行させた。そのまま6mほど駆け上がったところで、おもむろに壁を蹴る。私たちから見たリプトンは、蹴った壁から緩い放物線を描き…難なく上の通路へと着地していた。
「…リプトンを見てると、常識って何なのか考えさせられますよ」
「お前に言われたくねーな。それよりフォートも早く上がってこいよ」
 まさかリプトン、私に同等の身体能力を求めている訳でもあるまい?
「…無理ですってば」
 私は苦笑しながら答えた。
「じゃあ、あたしが先に行ってもいい〜?」
 言って、ラティが跳躍姿勢に入ったところを、
「あ、ラティ、ちょっと待ってください」
 私は慌てて止めた。
「…なに〜?」
 呼びかけられたラティは、屈みこんだ体を元に戻すと、私のほうを不思議そうな顔で見た。
「私を上まで運んでもらえませんか?」
「う〜ん…翼族(フェイザ)を抱えて跳ぶだけでもけっこう大変なんだよ〜。フォートは重い荷物も持ってるし〜…絶対無理だよ〜」
 無理だよ〜、と小さく繰り返すラティに、私は諭すように返した。
「大丈夫ですよ、軽くなりますから」
「?」
「いいですか、すぐに跳んでくださいね」
 やはり不思議そうに首を傾げるラティを尻目に、私は魔道書を取り出した。付箋を繰り、目的の魔法を見つけると、私はすぐに詠唱に入った。

  風受け止める小さき力
  天(そら)駆ける大いなる腕
  其の問い掛けにただひとつを願う
  地の縛めより解き放たれんことを


天浮軽羽(フェーダー)
 急激な浮遊感。直後、ラティがその場に沈み込む。浮遊感との関係で、そのとき私にはラティが急に姿を消したように見えた。そして跳躍の瞬間に私の手を取り、いつもと変わらぬ力強いはばたきと共に、ラティは一気に上昇した…
 ごんっ!
 頭上から思いがけず聞こえた鈍い音の後、私の手は開放感を覚える。そのまま私はリプトンの待つ通路に放り出され、そこで天浮軽羽の効果が切れた。
「いた〜〜〜いっ!!」
 涙声になって頭頂部を手で押さえながら、それでもラティは、はばたきで落下速度を調整しつつ、通路に降り立った。すぐにその場に座り込み、痛い痛いと何度も繰り返す。
「ラティ……思いっきり跳びましたね?」
 私の問いにも、やはり痛い痛いと繰り返し、その合間に首を2〜3度縦に振る。
「フォートの分の、重さもあると、思って〜…」
 …なるほど。
「ラティ、今の魔法…天浮軽羽がかかった後の私の重さ、ベイル通貨1枚にも満たないんですが…教えてませんでしたか?」
「知ってたら…普通に跳んでる〜…」
 ここに至って私は、今までにラティの前で天浮軽羽を使ったことが無いことを思い出した。
 …知らなくて当然か。
 私は内心冷や汗をかきながら、まだ頭を押さえているラティに手を差し伸べた。
「さあ、ラティ…先を急ぎますよ」
「う…うん…」
 涙目で見上げてくるラティに少し罪悪感を覚えながら、それでも私はラティを立ち上がらせ…飛光点が闇を切り抜いて浮かび上がらせる通路を、私たちは再び歩き始めた。先に待つ強大な冥魔の気配を感じながら…






魔道書物語 グリモワール 〜光闇の魔道書〜
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魔道書物語 グリモワール 外伝
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