魔道書物語
グリモワール
〜 光闇の魔道書 〜
第4話 : 魔道講義






「我々に、その力を貸してはくれませんか?」
 ガティマは私が思ったとおりの事を口走った。話の流れから言って、瓦礫の片付けを手伝ってくれとかいう類の事では無いと思うが、一応訊いてみる。
「…具体的には?」
 私のこの返事に、少しは脈があると見たのか、ガティマは更に勢い込んで話を始めた。
「魔法研究施設を名乗ってはいますが…実のところ、我々が保有している魔法の数は、たかが知れています」
「え? でも、南ラボで魔法の解読をしているとか仰っていませんでしたか?」
「それが…」
 と、ガティマは急に言葉を濁らせた。いかにも『込み入った事情を抱え込んでいます』と言わんばかりの態度だ。その苦々しく、かつ縋るような表情は、どうにも居心地の悪いものを覚えさせられる。
「訳ありってところですか。言いにくい事情もあるとは思いますが、話してもらえませんか?」
 立ち入った事を訊くのは多少失礼かとは思ったが、こんなにも話が見えない状態では、協力の可否を決める以前の問題だ。私の横では、リプトンが『またか』とでも言いたげな、うんざりした表情をしていたが、それについては気付かないふりを決め込むことにした。
 ガティマの方も、何か話すきっかけが欲しかったようだ。少し表情を和らげて、口を開きかけ…しかし、すぐに落ち着かなげに辺りを見回すと、
「…部屋に戻りましょう。それからお話します」
 とだけ言って、少し早足で展示室を後にした。
 途中、廊下の向こうから駆けて来た研究員が、ガティマを呼び止めた。何か慌てたような様子だが…?
 立ち止まったガティマに、その研究員は何か耳打ちをしていた。当然、その内容は何も聴こえなかったが、ガティマがその時していた、天を仰いで両肩をがっくりと落としている様子を見れば、何か良からぬ事があったのは間違いないようだった。
「さ、さあ、行きましょうか…」
 ガティマは、そのかなり気落ちしたままの様子で、私たちを先ほどの部屋へと案内するのだった。


 それから程なくして、私たちは、再びガティマの部屋…ここに来て最初に通された、あのだだっ広い部屋に戻ってきていた。入り口のプレートに《所長室》とあったのを見ると、多分ガティマが、この北ラボの所長ということになるのだろうが…
 所長が務まるようなタイプには見えないよなぁ…
 そう思いながらも、リプトンと私は、再びあの座りにくいソファに身を委ねていた。他に椅子が無いのだから仕方が無い。しかし、私たちのそんな様子にはまったく気付いた様子も無く、正面にガティマが座した…難しい顔をして。
「さて…何から話せば良いものでしょうか…」
 話すきっかけは掴んだものの、ガティマは、どう話せばよいのか整理がついておらず、迷っているようだった。放っておいたらずっと悩みかねないので、私は訊きたい事を幾つか挙げることにした。
「まず、先ほどガティマさんが仰っていた『保有する魔法はたかが知れている』というのが気になりますね。それと、私としては、こっちの方が気になるんですが…何故、このルーンマインの街に、突然冥魔が出現したのか」
「うっ…」
 冥魔、というところで、ガティマは明らかな動揺を見せた。少なくとも、先ほどの冥魔の襲撃は、魔法研究施設と何かしらの関係があるに違いない。
 私の質問に目を白黒させていたガティマだったが、
「で…では、魔法の不足から説明させていただきます」
 と、ようやく言葉が見つかったかのように、口を開き始めた。
「先ほども説明いたしましたように、この街には、魔法研究施設が2つあります。魔法の生活への応用研究するこの北ラボ、それから、魔法の解読・収集を専門とする南ラボです。普通に考えれば分割する必要性は無いんですが、北と南で同様の施設を揃えるのが、この街の様式…というか特色なんです」
「それはつまり、今回のような災厄に対応できるようにするためですか?」
「さぁ…先人がどこまで考えていたのかは解りませんが、この様式のお陰で一難を逃れた施設は、ここ以外にも多数あることは確かです」
 ガティマは他の施設…延いては街全体のことを心配したのか、その一瞬だけ言葉を切ったが、すぐに話を元に戻していた。
「実は、この街で魔法研究施設が発足した当時は、互いの魔法の流通は上手くいっていました。しかし最近…とは言っても、1年以上前になりますが…その頃から、南ラボから報告される魔法が少なくなってきたんです」
「何でまた、その南ラボは魔法の差し止めなんかしてたんだ?」
 これは、もちろんリプトンの言葉だ。が、当然の疑問とも言える。
「正確に言うと、差し止められていたのではありません。南ラボでも、魔法を解読出来ない状態にあったのが原因なんですが…それについては、後で触れることにします。ともかく、元々魔法はあまり多くは発見されないらしく、この街に回ってくるのも稀なことなんです。それでも僅かながらに回収できる魔法は、優先的に南ラボに回されますから、北ラボでは新しく入ってくる魔法は皆無にも等しい状態です」
 正確に言えば、これは正しくない。魔法は、ガティマが思うよりもずっと広く世の中に散らばっていると推測されている。ただ、なかなか見つからないだけの話だ。これが、ある条件の下に探すとなると、ガティマの言う通り、かなり見つけるのが難しくなってくる。
 それはいいとして、ここまで聞けば…いや、最初からある程度予想はついていたが、ガティマが何を望んでいるのかが、はっきりしてきた。
「それで…私の魔道書から魔法を書き写したい、とでも仰る?」
「…はい、是非ともご協力をお願いしたいのです」
「でも、さっきスクロールが沢山見つかったばっかりなんだろ? それを解読してみればいいんじゃねぇのか?」
 たまにまともな事を口にしたリプトンに同調して、私は首肯しながらガティマを見やった。
「それが…」
 急にガティマは落ち着かなげに体を揺すりながら、ひどく言いにくそうに言葉を継いだ。
「あのスクロール…殆どが白紙だったんですよ」
「「白紙!」」
 リプトンと私は、揃って声を上げていた。
 すると、さっきの研究員の報告は、これだったのか。あの時のガティマの様子にも、これで納得がいく。
 何だかいたたまれなくなって、私はそれ以上の言葉を暫く継ぐことが出来なかったが、それでもリプトンが、多少遠慮がちに話を続けてくれた。
「で…でも、何か書いてあるスクロールもあったんだろ?」
「ええ…でもそれは、私たちが知っている魔法ばかりだったんですよ」
 …不憫すぎる。意気揚々と解読作業に取り掛かった結果がこれとは…
「それで、私に頼ってきたという事ですか…」
 まあ、この件が無くても、ガティマは私に頼ってきたのだろうが、せっかく見つけたスクロールが白紙だったのが、かなりガティマに動揺を与えたようで…
「何とかお願いできないでしょうか?」
 その頼み方も、ちょっと必死なものになっていた。
 しかし私は、これに対して、多少困惑しながらも、こう対応するしかなかった。
「あの、ガティマさん…失礼ですが、意味が解ってて言ってるのですか?」
「…と仰いますと?」
 …知らない振りでもしているのだろうか? そうでもしないと魔法が入手出来ないと確信して?
 …いや、ガティマは、そういう腹芸が出来るタイプには見えない。
 私は溜息を吐きつつも、説明を始めた。
「まず、ガティマさん…貴方は、これまでに魔法を書き写した事がありますか?」
「それはもちろんです」
 まあ、普通はそうだろう。
「それは、スクロールから魔道書への転写だったと思うんですが…では、魔道書からの転写は、したことがありますか?」
「ありますけど…それが何か?」
 …あるのか? それなら知っててもおかしくはないのだが…?
 少し眉を顰めた私の顔を、ガティマは、何か不思議なものでも見るかのように覗き込んできた…これは、本気で知らないようだ。
 私は気分を落ち着けるために、ずれてもいない眼鏡を直しつつ、詳しい説明をしてあげる事にした。
「通常、魔法はスクロールの状態で見つかります。これは、スクロールが魔法を転載するというただそれだけの目的で、フォション朝の頃に生まれた魔道具足だからです。では、何故わざわざそんなものを作る必要があったのか…お解りですか?」
 あまり期待してはいないが、一応訊いてみたら…
「…いえ、解りかねます」
 …予想通りの返答。しかし私は、これにはさして落胆せず、話を続けた。
「魔法は転写すると、かなり高い確率で威力が劣化するんですよ。それも、その魔道書に写し取った魔法の威力だけでなく、参照した魔道書に載っていた魔法の威力までもです。その劣化率は、実に96%にもなります」
「…本当ですか?」
 ガティマは、ちょっと信じられないといった顔をして訊いてきた。
「例えば、貴方が先ほど使った天浮軽羽ですが…あれは、少なくとも5回以上は書き写しがされたものだと思います。継続時間が多少短かったし、あの舞い上がり方から見て、多分本来よりも若干重さが抑えられていないようでした」
 私はそこで少しだけ言葉を区切った。ガティマの驚き戸惑っている顔が見えるが、構わず話を続ける。
「もちろん魔法というのは、術者の力である程度威力を調整出来るものなのですが、天浮軽羽はただでさえ効果時間の短い魔法です。あの局面にあって、微妙な調整は難しいと思いますし、それ以前に調整する暇は無かったことでしょう…違いますか?」
「もちろん、あの時は加減などしませんでしたよ。事態が事態でしたからね。それから、私の天浮軽羽は、確かに4〜5回程度、書き写しをしていますが…」
 そんな私の問いに、ガティマは即答した。が、後半の回答には、まだ半信半疑といった様子が伺えた。まあ、劣化の事を知らなければ、にわかには信じ難い話だ。これは、もう少し説明する必要がありそうだ。
「本来の天浮軽羽なら、もっと長い時間魔法が継続します。貴方の天浮軽羽がもし本来の力を備えたものだったなら…あの時ラティは、もっと上空まで舞い上げられていた筈です。そして、リプトンがいくら思いっきり跳躍しても、届かなかったと思うのですが…そうはならなかった。本来よりも継続時間が短くなっていたために、リプトンも何とか彼女を抱え込む事が出来た。こう言っては失礼ですが、貴方の魔法が劣化していたお陰で助かったんですよ…もっとも、その直後のリプトンには気の毒でしたが」
「…ちょっと信じ難い話ですね」
 多少憮然とした表情で、それでもなおガティマは信じられない様子で言った。
「では、試してみましょう。それが一番早いです」
「どうするんですか?」
「同時に天浮軽羽を唱えればいいんですよ…何か、同じ物が2つ必要ですね…」
 言って、私は部屋を見回した…が、ちょうどいいものがなかなか見当たらない。
「…ガティマ氏、ベイル通貨を2枚、貸していただけますか?」
「いいですけど…?」
 急な申し出に戸惑いながらも、ガティマは懐に手を入れた。それを出すか出さないかの内に、私は肩幅くらいに示しながら、追加オーダーを出した。
「それから、このくらいの長さの棒と…紐が少々欲しいですね」
 その材料で、これから何をするのか合点がいったらしく、ガティマは部屋に据え付けられた棚から、要求どおりの長さの棒と紐、それからベイル通貨を2枚取り出した。
「私が作ったら仕掛けがあるように思われるかもしれませんから、失礼ですが、ガティマさんが作ってくださいね」
「そこまで疑ってはいませんけど、すぐに作りますよ」
 言う間にも、ガティマの手は忙しげに動き、たちまち正確に均衡の取れたモビールを作り出した。それを天井に吊り下げながら、ガティマは言った。
「これで同時に天浮軽羽をかけるんですね?」
「そうです。ご存知の通り、天浮軽羽は初等魔法に分類されるほど簡単な魔法です。術者の能力による影響など無いに等しいです。ですから、純粋に魔法の劣化度を比較することが出来るんですが…」
 他の事もそれくらい話が通じると嬉しいんですが…とは、言わないでおいた。
 ともかく、準備は整った。
「では、私が左の通貨に、ガティマさんは右の通貨に、それぞれ同時に天浮軽羽をかけることにします。いいですね?」
 《 Himmel 》と銘打たれた魔道書を取り出しながら言う私に、ガティマは黙って頷き、こちらもまた自分の魔道書を取り出した。
「では、参ります…」
 合図をして、私たちは魔道書を開き、同時に詠唱に入った。

  風受け止める小さき力
  天(そら)駆ける大いなる腕(かいな)
  其の問い掛けにただひとつを願う
  地の縛めより解き放たれんことを

 徐々に私とガティマの周囲に、プライマルが収束していくのが感じられる。この時点ですでに、収束されるプライマルの量に差が出ているのに、多分ガティマは気付いていないだろう。
「「天浮軽羽(フェーダー)」」
 ガティマと私の声が重なり、魔法が同時に発動した。
 …すぐに、効果の違いが現れた。
 モビールは、目に見えて右に傾いている…つまり、ガティマのかけた天浮軽羽の方が、効果が薄いのだ。それからすぐに、更に別の効果の違いが現れた。
 右側の通貨ががくんっと沈み込み、その約1秒後、モビールは左右に大きく揺れ、再び均衡を取ろうと、その揺れを減衰させていった。ガティマの天浮軽羽が劣化していたため、その効果が切れるのが早かったのだ。
「………」
 そのあからさまな違いを見せ付けられて、ガティマはしばし、その場で呆然と佇んでいた…が、モービルが再び均衡を取り戻した頃、ゆっくりとその口を開いた。
「…魔法の劣化については、納得できました」
 さすがに事実を目の前にしたら、ガティマも納得したようだった。しかし。
「ですが、気になる事があります」
 それでも疑問が全て晴れた訳ではなかったらしく、ガティマは、私の応じる声も待たずに質問を始めた。
「スクロールは魔法を書き写すするために開発されたものだと、先ほどフォート氏は仰いました。それなら、魔道書から一旦スクロールに書き写して、それをまた魔道書に書き写せば、劣化は防げるんじゃないですか?」
 …まあ、さっきの説明だけを聞いていれば、こういう解釈もあるだろう。だが、現実はそんなに甘くは無い。それが出来るのならば、私だって転写を渋ったりはしない。その辺りの事を解ってもらう為にも、ガティマにはもう少し説明する必要がある。
「劣化が防げるのは、スクロールから魔道書に書き写す場合に限られるんですよ。しかもこのとき劣化しないのは魔道書に書き写した魔法だけで、スクロールに載っていた魔法は劣化してしまいます。だから、魔道書からスクロールに魔法を書き写すのは、魔道書から魔道書に直接書き写すのと、結果は違わないのです」
 それから、と私は言葉を続ける。
「魔道書からの魔法の書き写しは、確かに禁じられている訳では無いです。しかし、決して好ましい事ではありません。それ以前に、自分の魔法がほぼ確実に劣化すると解っていて、それでも書き写そうとする者なんて居ませんよ」
 ガティマは私の説明を聞いた後でも、それでも釈然としない様子で自分の魔道書に視線を落としていた。どうにも、まだ未練があるらしい。困った事にこの手合いは、残りの4%に賭けたがるのだ。
 気持ちは解るが、私としてはどうしようもない。やはりガティマを諦めさせるには、それが不可能だという事実を突きつけるしか無さそうだ。
「もう1つ、書き写しができない理由があります」
 私の言葉に、ガティマは再び顔を上げた。
「魔道書に魔法を書き写す場合、その魔法を使う本人が行わなければなりません。これは知っていますね?」
「もちろんです」
「では…」
 と言いながら、私はバックパックから6冊ある魔道書のうち1つを取り出した。先ほど使った天浮軽羽が載っている、《 Himmel 》と銘打たれた魔道書だ。そして、徐にページを開いて、それをガティマに見せつけた。
「これは、先ほど私が使った魔道書ですが…こういう魔道書から、貴方は魔法を書き写す事が出来ますか?」
 ガティマは自分の目を疑ったらしく、しきりに目を擦ったり、瞬きをしてみたり、果てには魔道書のページを隅から隅まで繰っていた。まあ、無理も無い事だろう…なにしろ、そこには何も書かれていないのだから。
「これは…一体…?」
「普通の魔道書ならば、記載されている魔法の詠唱文を、誰でも見ることが出来ます。それが魔法使いでなくても、です。しかしそれは」
 と、私は自分の魔道書を指差し、続ける。
「契約者である私にしか、詠唱文が見えません」
「契約?」
 その言葉に、ガティマは魔道書から目を上げ、私に注視した。まるで『妙な言葉を聞いた』と言わんばかりの表情が、その貌には貼り付いていた。
「魔道書に契約が必要な訳、無いじゃないですか。契約が必要になってくるものといえば、割と強力な力を持つ魔道具足に限られて……っ!?」
 そこまで言って、ガティマはその事実に思い至ったようだ。
「それでは、これは魔道書じゃなくて魔道具足だと言うんですか?」
「そう…」
 ガティマの目の前にあった魔道書を引き寄せ、
「お察しの通り、これは魔道書と言うよりは、むしろ魔道具足に分類されるシロモノです。それも、フォション朝よりも遥か以前に作られたものと推測されます」
 《 Himmel 》の文字を指でなぞりながら、ガティマの問いに答えた。
「私は現在、これを魔道書として使っています。それは、魔道書としても使えるからという訳ではなくて、単純に魔道具足としての使い方を知らないからです」
「でしたら、こちらで解析を行えば…」
「いえ、」
 私は、そんなガティマの申し出を一言の元に切り捨てた。
「契約を済ませた今となっては、これは他の人には解析できません。何も知らない最初の頃は、私も他人に協力を求めていましたが、それが無駄だと知ってからは、あくまで私自身の力で答えを見つけ出すしかないんです」
 部屋に静寂が訪れた。
 ガティマは愕然とした表情で固まっており、リプトンはさっきからずっと暇を持て余している。眠っていないだけでも賞賛に値する。私は喉の渇きを覚え、差し出されてからずっと放りっぱなしだった薬草茶を一口含んだ。
「途中変な話になりましたが、これで、私が魔法を譲る事が出来ない理由がお解りいただけたかと思います…ああ、それから、南ラボから引き上げてきたスクロールですが、内容が同じものであっても、書き換えておいた方がいいですよ」
「…どうしてですか?」
 がっくりと肩を落とし、俯いたままだったガティマは、その言葉に貌を上げ、怪訝な表情で訊ねた。
「スクロールが未開封の状態で魔法が見つかったのならば、それはまず間違いなく、全く劣化していないものだと考えるのが妥当というものでしょう」
 少なくとも、度重なる書き写しで、劣化した魔法しか持っていない今のガティマにとって、これはかなりの収穫だったと言っていい。
「そ…そういうことならば、すぐにでも…」
「ま…まあ、待ってください」
 ガティマの服の裾を掴み、例によって慌てて部屋を出て行こうとするのを強引に引き止めた。
「まだ2つ目の話があるじゃないですか」
「あ…そうでしたね」
 今思い出しましたとばかりに、ガティマは自分の椅子に引き返し、深く腰を下ろした。他人事ながら、この北ラボの将来が非常に心配になってきた。こんな人が所長を務めていて、本当に大丈夫なのだろうか?
 私がそんな風に思っていると、ガティマは先ほどの話の時よりも、更に輪をかけて言いにくそうな様子を見せていた。彼が話し始めたのは、私が再三に渡って促した後のことだった。
「実は、その2つ目の話というのが…フォート氏の質問と重なる部分がありまして…いえ、そのまま答えになると思います」
 ともすれば口を噤みそうになるガティマに、私は目で話の先を促す。
「その…ある時期を境に、南ラボから報告される魔法が少なくなってきたことは話しましたよね?」
 確かに先ほど、『南ラボでも、魔法を解読出来ない状態にあった』とガティマが言っていたのを思い出し、首肯する。
「それでも最初の頃は、魔法の解読が難解なのかと思って、私どもは自分の研究に没頭していたんです。でも、さすがに1年以上も音沙汰が無いとなると、どういうことなのか気になってきます。そこで私は、当時南ラボの所長を務めていたサントゥスに説明を求めました」
 務めていた、というのが気になったが、今は話の続きを聞くことにしよう。
「何と答えてきましたか?」
「本人からの明確な回答はもらえませんでした。ですが、南ラボの研究員からその時聞いたのは…何か大掛かりな魔道書の解読を、全員で分担して行っているという話でした」
「大掛かりな魔道書?」
「ちょうどその頃、この近辺に何らかの遺跡が発見されまして、そこから発掘された魔道書だということでした。フォション朝の頃に使われていた文字ではなく、もっと異質な文化系体から生まれてきた文字ではないか、という予測が立てられていたようです」
 フォション朝のものじゃないとなると…私の魔道書と似たようなものなのかもしれない。興味が湧いてきて、私は思わずこう訊いていた。
「それで、その魔道書は解読出来たんですか?」
「ええ、解読は出来たようです…色々と事件を伴いましたが」
「事件?」
 そのひとことに、私のみならず、さっきから退屈していたリプトンも、その表情を険しくしていた。
「事件が起こったのは、魔道書の解読を開始してからかなり経ってからのことだと思うんですが、その…」
 少し言い淀んでから、それでもガティマは続きを口にした。
「南ラボの研究員が半数以上、その消息を絶っていたんです」
「穏やかじゃありませんね」
「研究員ってのは、全部で何人居たんだ?」
「50人ほどです」
 リプトンの問いに対するガティマの答えは簡潔だった。  50人…すると、30人前後は行方不明になっているということか。確かにここまで来ると、単純に施設の不祥事では済まない問題だ。
「それだけ行方不明者が続出すれば、大問題になっていたんじゃないですか?」
「それなんですが…この施設では、研究員それぞれに個室が与えられていまして、研究に没頭すると、何日もその個室に篭りっきりになることが珍しくないんですよ」
「気付いたときには、既に何人もが行方不明になっていた、と?」
「そんなところだと思います」
「それで、その人たちは見つかったんですか?」
「割と、簡単に」
 簡単に?
「行方不明になった研究員は全員、所長であるサントゥスの部屋で見つかりました…死体になって」
「…どういう事ですか?」
「見つかった状況というのが、丁度サントゥスが自分の研究室で、何らかの儀式をしているところだったんですよ…例の魔道書を片手に。部屋にはむせ返るほどの血臭が漂っていて、研究室に設えられたテーブルには…」
 ガティマは、そこまで言って急に口を噤んでしまった。まるで、そこから先が禁忌の言葉であるかのように。しかし、ここまで聞けば何が起こったのか推測するのは容易い事だった。
「…研究員が触媒として使われていた、と?」
「…ええ」
 言葉を継いだ私に、ガティマは苦痛の表情を浮かべながら頷いた。
 しかし、これは厄介な問題になってきた。触媒というのは、一般的に解りやすく言うと、『生贄』のことだ。その触媒が必要になるのは、少なくとも魔法ではなくて、儀式を伴う魔術になる。魔術は多大な犠牲を伴うこともあり、その種類はそれほど多くは無い。
「その魔道書は…冥魔召喚の書だったんですね?」
「…そうです」
 冥魔召喚の書…それは、触媒が必要になる魔術の中でも、状況的に最も可能性が高いものだった。しかし…
「サントゥスが、冥魔を召喚して強制従属させる研究をしていたという噂は、ある種の冗談として流れていました。勿論、そんな噂は誰一人として信じてはいませんでしたが…その噂が真実であったことは、状況から見れば、疑いようも無い事実でした。見つかったときのサントゥスは、うっすらと笑みさえ浮かべていたとさえ言われています」
 ガティマはそこで息を1つ吐き、続けた。
「サントゥスは割と早い段階で、あの魔道書の解読に成功していたんだと思います。触媒が必要になってくることも、冥魔召喚の研究をしていたのならば最初から予測出来ていたことでしょう。それでサントゥスは、通常なら2〜3人のチームを作って進める筈の解読作業を、今回に限り、南ラボにいる全研究員に割り当てたのでしょう…研究員が1人になる状況を作り出すために…」
 言葉が途切れ、部屋中を重苦しい雰囲気と静寂が支配した。
 つまり、サントゥスという男は、冥魔召喚の書が見つかったその時から、この事を計画していたということか。いや、或いは…?
 そんな私の考えと部屋の静寂を破り、ガティマは再び語り出した。
「我々は、サントゥスを即時追放処分にしました。魔法研究施設からだけでなく、ここ、ルーンマインの街からも…サントゥスは、この裁定を下した私たちに、そしてルーンマインの街に、あらん限りの呪詛の言葉を投げかけながら、去っていきました。ただ、このとき我々は、もっとサントゥスの行動に注意を払っておくべきだったのかもしれません」
「…と言うと?」
 訊いてはみたものの、返って来る答えには予想がついていた。
「サントゥスの追放から2日経ってから発覚したのですが、冥魔召喚の書が、南ラボから消えていました…恐らくは、サントゥスが追放と同時に持ち出したのでしょう」
 私は、そうではない可能性も考えつつ、またガティマに質問した。
「それで、サントゥスさんの足取りは掴めたんですか?」
「実際に確認した訳ではないですが、サントゥスの逃亡先は、まず間違いなく魔道書が見つかったあの遺跡だと思われます」
 私は疑問の表情を浮かべた。ガティマのその推論には賛同するが、彼にしてはやけに自身ありげなのが気になったからだ。しかしガティマは、私の表情を見て、私が彼の推論に懐疑的であると判断したらしい。
「南ラボには、不幸にも儀式に適した環境が取り揃えられていました。魔道書を持ち出したということは、今後も儀式を続ける意思があると見て間違いないと思います。しかしこの近辺で、南ラボと同じかそれ以上の施設がある場所といったら、それは…遺跡しかあり得ません。今日街を襲った冥魔たちも、恐らくはサントゥスが遺跡で召喚したものなのでしょう…」
 遺跡に逃げ込んだという点では、ガティマと私の考えは一致していた。その遺跡が、私の考えた通りの場所にあればの話だが。恐らくは間違いないだろうが、私はガティマに確認してみた。
「ところでその遺跡というのは、ここから東に馬車で2日程離れた位置にあるんじゃないですか?」
「…何故、それをご存知なのですかっ?!」
 正解だったか。
「何故って? 私たちがここルーンマインの街に辿り着く前に、大量の冥魔に襲われたからですよ。丁度、そのあたりの街道で。通常、冥魔は自力でこちら側に来れるだけの力は持ち合わせていません。例えそれがA級冥魔であってもです…つまり、何物かがこちらに来る手引きをしたと考えるのが妥当というものでしょう」
「それはその通りですが…あの、大量とは…どのくらいだったんですか?」
「30体は居ましたよね?」
 隣でリプトンが頷く。それを見て、ガティマは呆気に取られたような表情になり、やがて『やっと言葉になりました』といった様子で言った。
「よく…無事でしたね」
「E級冥魔程度なら、その能力も強さも知れていますから」
 事も無げに言った私のその言葉に反応したかのように、ガティマの目に、何やら決意のようなものが浮かんだのが見えた。
「フォート氏、これが2つ目の用件…というか、お願いです」
 そう言ったガティマは、私の目をしっかりと見据えていた。
「貴方たちは我々と違って、こういった事態に慣れていらっしゃるように思えます。本来なら私がするべき事なのですが、冥魔が待ち構えている遺跡に入り込むだけの力を、私は…我々は持ち合わせていません。貴方たちの能力を見込んで、是非ともお願いしたいのです!」
 まあ、そういう事だとは思っていたが…私は1つ溜息を吐いた。
「それで…私たちは遺跡に行って、何をすればいいんですか?」
「引き受けて下さるんですかっ?!」
「ち…ちょっと待ってください」
 ガティマは、もう私たちの諒承が得られたものと勘違いしたらしく、私はそれを慌てて制してやらなければならなかった。私としては、引き受けるつもりは勿論あったが、その前に、最低でもそれだけは確認しておく必要があったのだから…






魔道書物語 グリモワール 〜光闇の魔道書〜
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