East End extra
- 幕間2 : 水元先生の日常(中編) -

まったく、いつもの事ながら、夏目にも困ったもんだ。
あの熱意をもう少し勉強に向けてくれたら…
…あいつ主席だったな、そういえば。
(東高校物理教諭・水元のひとりごとより)







 スリッパに履き替えたあたしは、まずは放送部の部室に直行した。昇降口を出て廊下を右に。そのまま歩いていくと、左手には購買部。まだ生徒が殆ど登校してないのに、早々と店を開けているおじさんに挨拶を投げかけた。
「おじさん、おはよっ!」
「お、夏目ちゃん、今日は早いねぇ…また取材かい?」
 おじさんは、あたしに話し掛けてくると同時に、牛乳パックを放り投げてくる。あたしはそれを受け取りながら、
「そ。今日は一日中なの。…あ、コレありがとっ!」
 とか返答する。およそ朝の挨拶とは思えないけど、いつものことだ。
 おじさんの「頑張れよ〜」という声を背に受けながら購買部を通り抜けると、目の前は急に開けた空間になる…体育館への通用口だ。こんな風に廊下が交差する場所は、必ず教室1つ分くらいの広さを持つホールになっているのが、東高の校舎の特徴だ。あたしはホールに進み出て、左側に見えるドアへと真っ直ぐに進んだ。体育館への通用口の手前にある部屋…それが、放送部の部室だ。
 あたしはドアノブに手を掛けて…開いている? 今日は取材の事もあって、あたしが鍵を開けることになっていた筈なのに?
 訝しみながらも、あたしはドアを手前に引いて開けた。見慣れた部室の光景が視界に飛び込んでくると共に、その声が耳朶を打った。
「おはよう、夏目くん」
 声の主…放送部部長・長谷川雅人(はせがわまさと)は、部室の中央に置かれたテーブルの端に足を組んで腰掛け、嫌味なほどに爽やか〜な笑顔であたしの入室を迎える。
 あたしは、テーブルまでつかつかと歩み寄り、
「なんであんたがこんな時間にここにいるのよっ?!」
 大声と共にテーブルをひっくり返した。しかし…
「いてててて…朝の挨拶がこれかい?」
 まともに転んで、しかもテーブルの下敷きになった筈なのに、その顔の笑みは全く損なわれていない…いつもながら頑丈なヤツだ。
「あんたへの挨拶なんて、これで充分よ…それで、何でこんな時間にあんたが部室にいるのよ?」
「はっはっは、何を言うんだい、夏目くん? 部下の仕事の様子を気に掛けるのは、上司として当然のことだろう?」
「部下とか上司とか…どっかの企業じゃないんだから…」
 予想通りの返答にあたしは頭痛を覚える。しかし、相手にしていたらきりが無い。あたしは鞄から必要なものだけを取り出すと、その鞄をロッカーに放り込み、足早に部室の出入り口へ向かう。
「おや、もう行くのかい? 取材、頑張ってくれたまえよ」
 背後から掛けられた部長の言葉に、あたしはそこで振り返り、
「言われなくてもっ!」
 吐き捨てると、その勢いでドアを閉めた。ドアの向こうで何かが崩れ落ちる音が聞こえてきたけど、あたしは無視して立ち去った。


 部長のお陰で、貴重な時間が無駄になった。その時間を取り戻すべく、職員室へ向かう廊下を早足で歩きながら、あたしは『PRESS』と文字の入った腕章に腕を通した。放送部では、校内での正規の活動中は、この腕章を着用することが義務付けられている。
 もう1つ鞄から取り出したものは、今は制服の内ポケットに仕舞っておく。これも今回みたいな取材活動では欠かせないものだ。
 昇降口前の廊下を通り過ぎ、やがて見えてきた階段を上ると、左手に見えるのが職員室の扉だ。取材活動中とはいえ…いや、取材活動中だからこそ、まずノックをしてから、ドアノブの付いたその扉を横に引く。何度見ても奇妙な扉だと思う。
「失礼しま〜す」
 言って、1歩踏み出したそこは、広いんだか狭いんだか良く解らない空間があった。単純に空間だけ見ると、普通の教室の2倍くらいの広さがあるんだけど、所狭しと並べられた事務机と、その周りに堆く積まれた本やら資料やらが、その広さを全て台無しにしている。
 入り口から軽く見回して…見回すまでも無かった。水元先生は、ご自分の席に座って、一服している最中だった。一応、途中の席に座っている先生方にも挨拶をしながら、あたしは水元先生の席へと急ぐ。
「水元先生!」
「んあ?」
 突然背後から呼び止められて、ちょっと慌てた風に水元先生は振り返った。けど、それがあたしだって判ると、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「…何だ、夏目か。どうした?」
「さっきは、どうもありがとうございました」
「礼なら娘に言ってくれ」
「しおりちゃんに?」
 どういうことなのか訳が解らなかったけど、すぐに水元先生が、吸っていた煙草の火を灰皿でもみ消しながら補足した。
「本来ならば、あれはしおりの特等席なんだからな」
 そんな特等席に座れるなんて、あたしってばラッキー? …いや、今はそんなことより取材取材っ!
「で…でも、素直にお礼言ったら、しおりちゃんに怒られそうですね」
「それもそうだな…ところで、何しに来たんだ?」
 そんなことを言い出す水元先生に、あたしは「ふふふ」と薄く笑みを浮かべながら答える。
「言いませんでしたか? 『水元先生の日常』がテーマですから、今日は1日水元先生に付きっきりで取材させていただきます」
「今日1日って…夏目、お前授業は…?」
 と言い出す水元先生の目の前に、あたしは制服の内ポケットに仕舞っておいたそれを突き出した。
「ん? 何だこれ…公的活動認可証?」
 例えば運動系の部活で、平日に大会なんかがある場合、その大会に参加するために、同日の授業を正式に休む事が許される証明書…それが、公的活動認可証。専ら『公式欠席証』略して『公欠』なんて呼ばれている。
「…よくこんな取材で公欠の許可が下りたなぁ?」
「あたしの情熱をもってすれば、公欠の1つや2つ、何てこと無いですよ」
「…その時の光景が目に浮かぶようだ」
 どんな光景を思い浮かべたか、だいたい想像がつくぞ。
 水元先生は、あたしのそんな視線に気がついて、慌てて話題を変えてきた。
「そ…それより夏目、もうすぐ朝の職員会議が始まるから…」
「い〜えっ、これも取材のうちですっ!」
「…いくら取材でもそれはマズイだろ?」
「大丈夫ですよ、校長公認ですから」
 あたしはそう言って、再び公式欠席証を水元先生に見せた。
 あたしが指差したのは、許可印の欄だ。通常そこに捺されるのは部活担当顧問の印。でも、今あたしが指差している場所にある印は…
「校長印…お前、校長まで脅したのか?」
「失礼ですね、脅してなんていませんよ。ただちょっと弱みを握ってるだけですよ」
「…そーいうのを脅してるって言うんじゃないのか?」
「情報の有効利用ってヤツですよ。それより水元先生、もう会議始まるみたいですよ?」
 あたしが指差した先、職員室の入り口には、ちょうど噂の校長が現れたところだった。そのまま、並んでいる机の間を縫って、あたしたちの方に歩いてくる。あたしと目が合っても、校長は苦笑いを浮かべて挨拶した程度で、あとは何も言わなかった。
「お前…校長のどんな弱みを握っているんだ?」
 校長とのやりとりを見て、興味津々といった感じで訊いてきた水元先生に、
「さすがにそれは秘密です」
 あたしはイタズラっぽく笑いながら答えた。


 職員会議では、特に取材対象になるような事は無かった。それ以前に、全校の教師陣が集まる中に生徒があたし1人っていう状況では、居心地悪いことこの上なく、結局取材どころじゃなかったってのが正直なところだった。会議の終了と同時に、あたしは妙な安堵感を覚えて、大きく溜息を吐いていたほどだ。
 時計の針は、予鈴まであと5分っていう時間を指している。担当クラスを持つ先生方が朝のHRへと出掛ける中、机の引き出しから出席簿を取り出しながら、
「はぁ〜っ…」
 と、盛大な溜息を吐く水元先生…
「…どうしたんですか、溜息なんて吐いちゃって?」
「ついて来れば解るよ」
 あたしはその言葉の意味を量りかねながら、ようやく腰を上げて朝のHRに向かう水元先生の後についていった。そんなあたしたちの横を、予鈴ギリギリで教室に駆け込む生徒が、何人か通り過ぎていく。恐らくその子の担任の教師が、後を追って走っていく…何か、すっごく楽しそうに見えるのは気のせいかな?
 14HRの扉の前にきて、水元先生は肺の空気を残らず搾り出すような溜息を吐いて…そして予鈴と同時に扉を開けた。生徒からの挨拶を受けながら教壇まで進み、
「やっぱり、今日も集まりが悪いなぁ…」
 教壇に手をつきながら、もう諦めてますって顔で水元先生が言った。教室を見回してみると…なるほど、空いてる席がまだ15ほどある。随分遅刻が多いみたいだけど…確か水元先生、『今日も』って言ったわよね? ってことは、もしかしてこれが毎日?
 それで溜息か…水元先生も大変だなぁ。
 気を取り直して、今日の連絡事項に移る…その時。
「その前に先生、質問ですっ!」
 聞き慣れた、憎ったらしい声が響いた。
「何だ、薙原?」
「何でここに夏目柚葉がいるんですか?」
「うん、実にいい質問だ」
 …どこが?
「何の因果か今日1日付きまとわれる事になってな…薙原、頼むから助けてくれ」
 助けてってのはどーいう意味だ?
「面白いからイヤです」
「と、亨くんってば…」
 ナギハラの不敵な笑みと共に発せられたその言葉をたしなめる声…これは確か、ナギハラといつも一緒にいる…水嶋だったかな? あの子も大変だなぁ。
「お前、付きまとわれるのが自分じゃなければいいのか?」
「そんなの、当たり前じゃないですか」
「薙原…部活で覚えとけよ」
 …さっきから酷い言われ様だ。まるであたしが悪人みたいじゃないの。
「あ〜、それよりも今日の連絡事項だが…」
 水元先生のことだから、もっと変わった連絡方法でもしてるんじゃないかと期待していたんだけど、割と普通に、淀みなく連絡事項が流れていく。それが終わると、朝のHRの終わりを告げる水元先生の声。あまりにも普通すぎて、ちょっと拍子抜けだったかも。ここはカットしても問題無いかな?
 やがて聞こえてきた本鈴の音に重なるように、何か遠くから地響きのような音が…? あたしが何事かと思って扉に目を向けた次の瞬間、『がらっ!』と扉が横に滑る音に続いて、その地響きの主が教室に雪崩れ込んできて…
 身の危険を感じたあたしは、反射的にバールを引き抜いて、その雪崩れ込んでくるものを残らず迎え討っていた。


 1限目が始まった。水元先生は14HRでの授業ってことで、朝のHRが終わった後もそのまま教室に残っていた。教室には、何故か体中に包帯を巻いた生徒が15人ほどいるような気がするけど…それは多分、気のせいに違いない。
 いくら密着取材とはいえ、授業の邪魔をする訳にはいかない。あたしは暫く水元先生の授業っぷりを教室の後ろから眺めながら、その様子をメモ帳に記録していくことにした。
 黒板に、運動方程式の羅列とベクトル図とが、所狭しと書き連ねられていく。それをあちこち指差しながら、時には違う色のチョークで注釈を書き加えながら、事細かに説明していく水元先生…う〜ん、かっこいいっ!
 …写真、撮っとくか。
 デジカメを構えて、ちょうどいいアングルを狙って1枚。でも、撮れた画像は、狙いどおりのものじゃなかった。デジカメ持ってるのはいいけど、殆ど使わないからなぁ…やっぱり無理言ってでも、写真部のスタッフ連れてくれば良かったかも。
 気を取り直して、もう1枚撮ろうとデジカメを構えた時、唐突に水元先生が説明を止めて声をかけた。
「ん? 何だ夏目、写真撮るのか?」
「ええ、やっぱり取材には付き物ですし…」
「それならちょっと待ってくれよ。何かポーズを考えるから…」
「いえ、別にそこまでしてもらわなくても…」
 でも水元先生は、そんなあたしの言葉なんて既に届いていませんって感じで、腕を組んで少し考えてから…
「こんな感じでどうだ?」
 おもむろにそのポーズを取った。
 黒板に整然と並んだ数式の1つを後ろ手に示し、空いたもう一方の手で生徒の方を見ながら指差している。
「『いいかお前ら、この式が大事なんだぞ!』って感じでな」
 途端に、教室から爆笑が巻き起こった。
 そんな中で1人だけ、胸の前で手なんて組んで、ついでに言うと目までキラキラさせながら、じっと水元先生を見つめている子がいるのに気がついた。…なるほど、あれが各務桜花さんか。あの子がいなかったら、この取材も成立しなかったよな〜とか思いながら、水元先生の姿をデジカメに納める。続けて、角度を変えて2〜3枚。
「どうだ夏目、いい写真は撮れたか?」
「あたし、カメラは専門じゃないですから、保証は出来ませんよ」
「何だったら写真部に協力させるが、どうする?」
 どうする?ったって…それでいい写真が撮れるなら、あたしとしてはすごく嬉しい。けど、この授業、いつの間に撮影会になったんだろう? それでも水元先生が乗り気な以上、あたしはこう言うしかなかった。
「…いいんですか?」
「ああ、構わん構わん…おい、芝口!」
「え? オレですかぁ?」
 教室のちょうど真ん中あたりで声が上がる。いきなり指名された事に驚きながら立ち上がった芝口って子は…確か、うちの1年生と組んでるのを、何度か見たことがある。その時の写真を見る限り、腕前はそれなりに良い。少なくとも、あたしよりもずっといい写真を撮ってくれるのは間違いない。
 教室の後ろにいるあたしのところまでやってきた、その芝口って子にデジカメを渡して、その事にふと気がついた。
「でも、そうするとその席、空いちゃいますね」
「じゃあ、夏目が座っとけ」
 事も無げに言う水元先生。あたしは今まで一度も水元先生の授業を受けた事が無いものだから、この提案に内心小躍りしながら席まで歩いていくと…ここ、ナギハラの前の席じゃん!
「ナギハラ…あんた、何でこんな席に座ってんのよ?」
「厳正なるくじ引きの結果決まった席のことについて、このクラスの人間でもない夏目柚葉にとやかく言われる筋合いは無いな」
 うくっ…こいつはぁ…他に言い方は無いのか?
 ナギハラの言葉に頬を引き攣らせながら、あたしはとりあえず席に座った。後ろから何か仕掛けてくるんじゃないかって始終警戒してたんだけど、意外にもナギハラは大人しかった…撮影中は!
 教室の後ろから、微かなシャッターの音が何度か聞こえて…やがて。
「は〜い、先生、お疲れ様で〜す!」
 …なんていう、撮影が終わったカメラマンみたいな挨拶が聞こえてきた。まあ、写真部に籍を置いている以上、芝口って子もカメラマンなんだろうけど…
 ともかく撮影も終わった事だから、あたしは席を空けようと、椅子を引いて立ち上がった…その時!
「あうっ?!」
 不意に頭が後ろに引っ張られた。もちろんその力は、立ち上がる力とは逆方向に働いている。結果、両方の力があたしの首に集中し…
 ぐきっ!!
 なんて音が、教室中に響き渡った。
 暫く言葉も無くその場にうずくまり…
「…ナギハラっ! あんた、何てことしてくれてんのよっ!!?」
 あたしは涙目になりながら、ナギハラの襟首を掴んでいた。
「俺は何にもしてないんだがなぁ…」
「嘘よっ! この前のだけじゃ飽き足らずに、この上まだあたしをバカにしようっていうのっ!?」
 平然と答えるナギハラに、あたしは尚も言いつのった。
「俺だって一応TPOってものをわきまえてるつもりなんだがな。だいたい、そんな長いおさげを椅子の背もたれの後ろに投げ出してたら、立ち上がる時に机と挟むのは当然の成り行きじゃないのか?」
「三つ編みにしたポニーテールよっ!」
「そんなのどっちでもいいから、とにかく俺のせいにするな」
 かっ…かわいくないヤツぅ〜っ! この期に及んでまだシラを切るナギハラに腹が立ち、あたしは無意識のうちに、空いた右手にそれを求めていた。
 そこに、
「あ〜…夏目、一応今授業中なんだが…」
 と、水元先生の声。
「…っ! すっ…すみませんっ!!」
 あたしは慌ててナギハラの首を開放した。あまりにも頭に血が上っていて、今が授業中だってことをすっかり忘れていた。よりにもよって水元先生の授業を邪魔しちゃうなんて…
 あたしは真っ赤になって教室の後ろへと駆けて行った。本当は逃げ出したいくらいだったけど、一応公式の取材だから、ぐっと堪えて教室の後ろに待機した。
 時間にしてみたら、1限目の授業が終了するまで、それから10分も残ってなかったと思う。けど、その時のあたしには、それまでの時間が果てしなく長いものに感じられて…授業終了の鐘が鳴るや否や、あたしは14HRを逃げるように飛び出していた。






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