East End extra
- 幕間1 : 水元先生の日常(前編) -

ずっと待ちわびていた取材に、やっと許可が下りた。
あたしが企画立案しても、部長は通してくれそうもなかったから…
そう考えると、今回のリクエストはあたしにとって僥倖なことだった。
(東高校22HR・夏目柚葉の取材日誌より)







 ちょっと落ち着かなげに、深呼吸。それもその筈、あたしは今、珍しいほどに緊張している。取材の前にここまで緊張した事なんて、今まで一度だって無かったのに…
 この緊張の原因が、取材そのものじゃなくてもっと別のところにあるって事を、あたしは良く知っている。そこまで分かっていても、その対処法までは知らなかった。走ってもいないのに早鐘のように鳴る心臓を抑えようと、また朝の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
 …まだ朝の7時だ。
 体育系の部活の朝練でもなければ、こんな時間に登校する物好きな生徒なんて皆無に等しい。時折すれ違う人や自転車は、通勤を急ぐ社会人たちばかりだ。そんなまばらな人の流れに逆らいながら、あたしは、目的地に向かって歩いた。
 緊張を紛らわすために、歩きながら、今日何度目かの取材道具の確認。
 手に持った必需品の集音マイク、制服のポケットにはボイスレコーダー、そのレコーダー用の予備のテープ、常に持ち歩いている筆記用具、デジカメ…
 本来なら、撮影は写真部のスタッフの仕事なんだけど、今日はそれが望めない。この取材が『単独で行う』という条件でやっと下りたものだから、しょうがないといえばしょうがない。
 写真部の備品も借りられないので、あたしは仕方なく、個人持ちのデジカメを引っ張り出す事になった。130万画素の少し型落ちしているこれは、どっちかというと取材用じゃない。けど、まあ何かの役には立つに違いない。きっと。
 そう思いながらそのデジカメを鞄にしまった頃、あたしは自分がとっくに目的地を通り過ぎているのに気付いた。
「通り過ぎちゃったらダメよね…」
 独り言をこぼしながら、今来た道を戻りつつ、ボイスレコーダーの録音ボタンを手探りで押す。それからあたしは気分を換えて、右手に持ったマイクに声を吹き込み始めた。
「おはようございます。放送部・突撃レポート班の夏目柚葉です。今日は、放送部に寄せられるお便りの中から…14HRの…14HRって、ナギハラのクラスじゃん…え〜、各務桜花さんのリクエストで、『水元先生の日常』に焦点を当ててレポートしていきたいと思います。…ここ、後でリテイクしとかなきゃ」
 一度レコーダーを停止する。
 ナギハラのヤツ、こんな時まで邪魔しなくてもいいじゃないっ!
 でも、この場にいない奴に当り散らしても仕方がないので、あたしは気を取り直して、再び録音ボタンを押した。
「さて、現在わたしが居るこの場所が、水元先生のお宅の前です。早速、早朝インタビューを敢行してみましょう!」
 あたしはマイクに向かって喋りつつ、インターホンのボタンに手を伸ばす…と、ちょうどいいタイミングで、ドアノブが音を立てた。
「…あ、ちょうど水元先生が出勤する模様です」
 あたしから見て手前に開くドアの向こうから、水元先生と…ちょっと綺麗な女の人が出てきた。見るのは初めてだけど、あれが奥さんの瑞穂さんだな、多分。
『あなた、行ってらっしゃい』
『んんっ、行ってくるよ、瑞穂ちゃん』
 …などという、恐らく毎朝繰り返されているであろう愛の語らい(?)を、あたしの集音マイクはしっかり捉えていた。
「愛妻家という噂は聞いた事がありましたけど、本当だったみたいですね…ん? あれは…」
 そのときあたしが見たものは、玄関の扉が開けっ放しなのも構わずに、いや、それどころか思いっきり玄関の外に出て、素敵なキスを交わしている2人の姿だった。
「朝から、しかも玄関の前で堂々と、行ってらっしゃいのキスをしていますっ! ああっくそっ、いいなぁ………はっ、失礼しました」
 思わず大きな声で熱弁してしまったあたしは、慌てて声を潜めたけど…もう遅かった。別に潜伏調査って訳じゃないから隠れる必要も無いんだけど、さすがに今のは気まずいものがある。
 でも、見られた当の本人たちは、全く気にもしていないようで、あたしを見掛けると少し驚いた風に声をかけてきた。
「お? 夏目じゃないか」
「あなた、お知り合い?」
「ああ、学校の問題児だ」
 …問題児ってゆーなよ。
「あら…じゃあ、この娘があの夏目柚葉さん?」
 …どーして『問題児』だけで、あたしの名前が、しかもフルネームが出てくるんだ? それに、『あの』っていうのはどーいう意味だ?
「そ…それはそうと夏目、どうしてこんなところに居るんだ?」
 水元先生は、あたしの非難がましい視線を感じ取ったのか、慌てて話題を変えようとした。あたしとしても、別に水元先生を困らせたい訳じゃないから、敢えてその話題に乗ってあげる事にする。
「はい、実は今度、『水元先生の日常』をテーマに取材する事になりまして、それでこうして朝から待機してたんですが…」
「夏目、お前…ここまでどうやって来たんだ?」
 ジャケットの胸ポケットから煙草を取り出しながら、何気ない調子で水元先生がそんなことを訊いてきた。
 水元先生のお住まいは、東高校からはそんなに遠くない。でもあたしの家は、少なくとも東高校からは10km以上離れたところにある。交通の便はお世辞にも良いとは言えないので、当然の如くあたしは自転車通学をしている。辺りをざっと見回して、そのことを知っている水元先生は、あたしがここまで自転車で来たんじゃないことに気付いたんだろう。
「今日だけ、ここまでバスで来ました」
「バスで?」
 水元先生は、咥えかけた煙草を取り落とした。そんなに意外だったかな?
「お前…ここから学校までは、歩きじゃキツイんじゃないのか?」
「それもバスで何とかなると思いまして」
「この取材で、交通費とか出るのか?」
「そんなの、自費ですよ」
 そのあたしの答えに、水元先生は少し渋面になって、
「…仕方ない、乗ってけ」
 言いながら、顎で指し示した。そこには、白い軽のワンボックスが、そのフロントガラスに朝日を照り返していた。
「え…いいんですかっ?!」
「これも取材に入るんだろ?」
 水元先生は軽く笑みを浮かべていた。どうも、気前のいいところを生徒にアピールしたいらしい。ちょっと反応が遅れたけど、それに気付いたあたしは、
「も…もちろんですっ!」
 と、軽のワンボックスに乗り込んだ。


 軽快に走り出した車のナビシートに座りながら、あたしは、ともすれば緩みそうになる口元を引き締めながら、取材を開始した。
「では、まずは簡単に自己紹介していただきましょうか」
 あたしは隣で運転する水元先生にマイクを突きつけた。水元先生は運転しながらも、淀みなくそれに答える。
「水元俊夫(みなもととしお)、33歳。東高校物理教諭で14HRの担任。物理部の顧問もやってる。物理部は常時部員募集中だ。ヨロシク!」
「いえ、宣伝はいいですから…」
 あたしはそう言って、自己紹介の先を促した。
「誕生日は2月29日、血液型はABだ」
「2月29日って、普通はどっちかにずらして登録するんですよね。先生の場合はどうだったんですか?」
「私の親は、そのままずらさずに登録したらしいな。『その方が面白い』って言ってたのを、よく聞かされたよ」
「確かに、2月29日生まれでABって、希少価値ですからね」
「希少価値ってお前…私は絶滅寸前の最重要保護動物か?」
「い、いえ、そんなことは…あの、続きをどうぞっ」
 あたしは、慌ててその場を取り繕おうと必死になった…けど、水元先生は落ち着いた調子で、さっさと話を切り替えていた。
「家族構成は、妻の瑞穂(みずほ)と、今年4歳になる娘のしおり…」
「4歳ってことは、幼稚園ですか?」
「そうだな、今日はまだ寝てたけど、これから瑞穂ちゃんが大変だろうな」
 水元先生は優しそうな、思いやりのある笑顔を浮かべていた。あたしはその表情に不意打ちを食らったものの、なんとか質問を切り返す。
「えと…あ、自己紹介の続きをお願いします」
「ああ…でも、あと何話せばいいんだ?」
「学歴とか…大学だけで構いませんが」
「S大学工学部機械システム工学科だよ」
「教育学部じゃなくて? 何故教師になろうと思ったんですか?」
「教育学部じゃなくても教員免許は取れるからな。最初は企業に就職したんだが、どうにも上司と反りが合わなくてな…3年で辞めた。その後、せっかく教員免許を持っているんだから、それを生かして教師になることにしたんだよ」
 これはあたしも知らなかった。やっぱりこの取材は当たりだったな。
「では、教師になってからずっと東高に?」
「東高に来たのは3年前だな。それ以前は隣の市の南高に務めてた」
「S大に隣の市の南高に東高…それじゃあ、ずっとこの辺りに住んでいらしたんですね?」
「務めていた企業も近かったし、そういうことになるな…おっと、危ない」
 水元先生は、急に車道に割り込んできた自転車をやり過ごしながらぼやいていた。
「最近自転車のマナーが悪いな…悪くすると家庭裁判所行きだから、夏目も気をつけるんだぞ?」
「解りましたけど…あたしはあんな無茶やりませんよ」
 あたしのその言葉に、水元先生は声を殺して笑っていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか。次の質問、いきますよっ?」
「あ、ああ悪い悪い…で、何だった?」
「そうですね…趣味とかは?」
「趣味? う〜ん…」
 考え込むほどの質問じゃないと思うんだけど…
「最近では、ドライブかな?」
「ドライブって…この車でですか?」
 あたしは思わず、自分が今乗っているその車を、しげしげと眺め回してしまった。
「夏目、お前まさか…制限速度無視して、無謀な走り方をするようなのを想像してないか?」
「あ…違うんですか?」
「ああいうのは、暴走行為であってドライブじゃない。だいたい、そういう走り方をするのなら、私もそれ相応の車を買うぞ?」
 それはもっともだ。それに、水元先生が無茶な運転するところなんて、ちょっと想像がつきにくい。
「それじゃあ、この車ではいつも、どういったドライブを?」
「家族みんなでまったりと走るのが楽しいな。コースはそのときの気分で…というより、娘のしおり任せだな」
「なるほど、若い娘には弱いという訳ですか」
「それは…何か変な意味に聞こえるぞ?」
 しまった、部長の癖が伝染ったかも…これも後でオフレコにしとこ。
「そ…それはともかく、その他の趣味とかは? 例えば工作とか…」
「工作か…まあ職業柄、簡単な実験装置とかを作るが、ああいうのを趣味と言っていいのか?」
「実験装置だけですか? 色々と聞いてますが…例えば、用務員さんの仕事を横取りしてるとか」
「…どこからそんな話聞いたんだ?」
「その用務員さんからです」
「まいったな、森さんにも…」
 言うまでも無いけど、『森さん』っていうのは用務員さんのことだ。
「私が仕事を横取りしてるんじゃなくて、全部、ちゃんと森さんにお願いされているんだよ」
「ホントですかぁ? その割には嬉々として作業してるって話ですが?」
「…それも森さんから聞いたのか?」
「そうですよ」
 あたしのその返事に、水元先生は頭を軽く掻きながら、ちょっと苦い顔をした。
「どこから話が漏れるか解らないとなると、迂闊な事が出来ないなぁ…まさか森さんにもこんな取材をしたことがあるのか?」
「いえ、これは用務員さんの茶飲み相手になったときに聞いた話です」
「茶飲み相手って…お前、今時の女子高生とは思えないほど爺むさいな」
 爺むさいとはあんまりなお言葉…
「で…でも用務員さん、喜んでくれましたよ?」
「そりゃそうだろうがな…」
 と、水元先生が呟いたところで、前方で信号が赤に変わるのが見えた。
 停止線でぴったりと停まるのも待たず、自転車がまばらに横切っていく…それを次々と飲み込んでいく、見慣れた校門…気がつくと、東高はもう目の前だった。
 そうなると、車内で取材出来る時間は、あと少ししか残されていないことになる。
 信号が青に変わり、アクセルを踏む水元先生。あたしはそこに、もう1度マイクを向けた。
「では自己紹介の締めくくりに、東高生にひとことお願いします」
「ん〜そうだなぁ…色々あるが…みんな、少なくとも朝のHRには間に合うように登校してくれよ」
「はぁ…ありがとうございました」
 よく解らないけど、水元先生のHRは遅刻が多いんだろうな…とか思ってると、もう車は駐車場に着いていた。校門入ってすぐのところにあるんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
 あたしはナビ席から滑り降り、軽くドアを閉めた。反対側に回り込むと、水元先生もちょうど車から降りるところだった。
「水元先生、どうもありがとうございました」
 軽く頭を下げてお礼を言うあたしに、
「自費とか言われたら、乗せない訳にはいかんだろう。まあ、それはともかく、朝から取材お疲れ様」
 と、水元先生はいつもの調子で答え、そのまま職員用昇降口へと足を向けた。
 どうも水元先生は、これで取材が終わりだと思ってるみたいだけど…
「甘いですよ、水元先生…あたし、最初に言いましたよね?」
 そっと口に出しながら、あたしも生徒用の昇降口へと急いだ。






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