East End episode 1
- 第11話 : 誘導 -

終ってしまえば、どんな非日常も、ただの出来事になってしまう。
だから俺は、いつでも事に全力で当たる。
その瞬間を思いっきり楽しむために…
(東高校14HR・薙原 亨の事後録より)







 渡り廊下の入り口で、夏目先輩が豪快に突っ伏していた。
 体力勝負では亨くんに引けを取らないと思っていただけに、その肩で大きく息をするほどの疲労っぷりは意外だった。
 もしかしたら、いきなり走りこむと、それだけ廊下の回転数も増すのかもしれない。作った人が作った人だけに、そんな蟻地獄のような仕掛けも充分に有り得る。
 そんな事を考えながら夏目先輩の横に差し掛かると、
「ナ…ナギハラ……ぜぇ、ぜぇ…お…覚えて…おきなさい…よぉっ!」
 …まるで地獄の底から響いてくるような声で、呪詛の言葉を投げかけてきた。
 でも、亨くんは全く気にした様子も無く…それどころか、夏目先輩を視界の隅に納めながら、薄く笑ってさえ見せた。うっわ〜…夏目先輩の悔しそうな顔が…
「颯、コワイから急ごう」
 コワイからって…その原因作ったのは亨くんでしょうがっ! しかも、何か笑いを噛み殺しながら言ってるしっ!
 余計に火に油を注ぎながら、亨くんは涼やかな顔で、夏目先輩の横を通り過ぎる。でもぼくはと言えば、夏目先輩の恨みの篭った視線の余波でさえ、痛いくらいに背中に感じていた。
 亨くんが立ち止まったそこは、ちょうど渡り廊下が動く部分との境目だった。よく見れば何とか判別できるけど、それはうまく床材の継ぎ目に偽装されていた。普通に歩いていれば、まず見分けられないだろう。
 そこから1歩下がり、亨くんは渡り廊下に向かって大きく跳躍した。
 仕掛けを知っていれば何と言うことは無い。こんな風に、簡単に対処することが出来る。ぼくも亨くんに倣って、その場から大きく跳び出した。
 着地の反動で、渡り廊下は静かに動き出し、ぼくたちを反対側へと運びだした。便利と言えば便利なんだけど…それ以上に扱いにくい。
 やっぱりこれは、ただのイタズラ以外の何物でもない。
 と、突然背後から破壊的な金属音が聞こえてきた。それと同時に、流れていた渡り廊下が、がくんっと止まり、亨くんとぼくは、そのまま慣性の法則でつんのめった。
「なっ…何だっ?」
 何とか踏み止まって、ぼくは後ろを振り返った。でも、よく考えてみたら、今この場で何か出来るとしたら、夏目先輩以外に有り得ないことに気がついた。その考えが正しい事は、視線の先の暗がりから届く声が証明してくれた。
「ナギハラっ! …あんた、知ってたんなら一言くらい声掛けなさいよっ!」
 …そうとうご立腹のようだ。当たり前だけど。
 そして信じがたい事に、夏目先輩が倒れていた辺りの渡り廊下には、バールが深々と突き刺さっていた。
 これか、金属音の正体は…
 それを見て、さっきよりも背筋が寒くなるのを感じたけど、亨くんはと言えば、
「お〜っ、そういう手もあったなぁ」
 …なんて、呑気に言ってる。
「と…亨くん…夏目先輩が…」
「ああ、…こっちに来るよなぁ…」
「何か、目が完全に据わってるよっ?!」
「大丈夫、武器が無ければそれほど脅威でもない…んなにぃっ?!」
 その言葉を『甘いわね、ナギハラっ』と一笑に付さんばかりに、夏目先輩は、背後からバールをスラッと抜き放った。
「…一体、何本持ってるんだっ?!」
 亨くんが思わず驚くのも当然だ。単純に考えれば、夏目先輩は最低でも3本のバールを持ち歩いていた事になる。でも、それ以上に気になるのは、何本持っていたかじゃなくて、どこに隠し持っていたか、だった。
 背中に冷たいものを感じながらも、そんな緊迫感の無い考えばかりが頭の中を駆け巡っていた。
「…逃げよう」
 言うが早いか、亨くんは踵を返し、一目散に駆け出した。
「あっ、ずるいっ、待ってよっ!」
 慌ててぼくも振り返って、南校舎へと飛び込んだ。
 北校舎のほど広くないけど、今ぼくたちが立ち止まっているここは、渡り廊下と校舎の廊下、それに階段とが互いに交差するホールだ。
「それはそうと亨くん」
「何だ?」
「巨大蚊…見失っちゃたよね?」
 夏目先輩のことで時間がかかりすぎたのが災いして、巨大蚊の姿は、暗いのも手伝って、視界のどこにも映らない。廊下に出て突き進んだのか、1階に降りたのか、それとも3階に上ったのか…
「大丈夫だ、行き先は見当ついてる」
 でも、亨くんは自信ありげに返してきた。
「南校舎から外に出ようとするなら、向かう場所は1つしかないだろ?」
 そう言われて、ぼくも頭の中に校舎の全体像を思い浮かべる。
 南校舎から普通に外に出る方法は、3つある。
 1つは、生徒用昇降口。でも、所狭しと並ぶ靴箱の間を、あの巨大な蚊が通り抜けるのは無理だろう。その上、この時間なら昇降口も閉まっている。
 2つめは、体育館への通用口。巨大蚊が外に出るには申し分ないけど、体育館を使う部活の活動時間は、疾うに過ぎている今、そこも施錠されている筈だ。
 となると、正解は残りの1つ…
「正面玄関だね?」
「それで間違いないだろう」
 来客の出入り口となっている正面玄関。その隣には、職員用に小さな昇降口が設けられている。夜遅くまで残る先生も割と多いこともあって、その扉はかなり遅い時間まで施錠されないらしい。
 …もちろん、こういう話の出所は亨くんと決まっている。でも、どこでこんな話仕入れてくるんだろ?
「でもさ…明日休みじゃん? 残ってる先生なんて、宿直くらいしか居ないよ?」
 宿直…つまり、蟻川先生と、水元先生だ。
「そう、それが問題だ。今校内には、まず他の先生は残っていないと考えていい。そうなると、職員用昇降口は閉まってる筈だ」
「…閉まってるんだったら、どこ行っても一緒なんじゃない?」
「まあ、普通に考えればそうだろうな。でも困った事に、今日の宿直は、よりによってあの2人だ。1人は北校舎3階の西ホールで、床に貼り付いてる。もう1人は、やっぱり北校舎2階の東ホールで、待機してる。あの調子だと、昇降口の鍵を閉めてない可能性なんて充分すぎるほどにある。しかも、南校舎はノーマークだ」
「…そうだね」
 どうでもいいけど、蟻川先生と水元先生、ひどい言われようだ。
「それを踏まえて、だ。南校舎に来た教頭が、外に出ようとして反射的に向かう場所といったら、どこになる?」
 ちょっと考えて…
「…正面玄関だね」
「そういうことだっ」
 答えながら、亨くんは1階への階段に駆け込んだ。
 急にどうしたんだろうって思ってから、今の自分の立場を思い出した。首を少し横に向けると、地獄からの使者はすぐそこにまで迫っていた。バールを持って歩いてくるその姿は、見るものを恐怖に陥れるのには充分な迫力を持っていた。
 ぼくも慌てて亨くんの後を追って、その場から逃げるように(実際逃げてるんだけど)、階段を駆け下りた。

 南校舎1階。
 階段を降りて廊下に出ると、すぐ真正面が保健室。とりあえずそこには用が無いから、廊下を左に…つまり東に向かう。すぐに、右側…南側に、ちょっと広い空間が広がる。そこが、体育館への通用口だ。ほのかに外の明かりが射し込んでいるけど、その明かりを頼りにしてみても、巨大蚊の姿はここには無い。
 また東に少し進むと、今度は左側…つまり北側に、生徒用昇降口。靴箱が所狭しと並ぶこの空間では、巨大蚊が入り込む隙間が無い。これも無視して先に進む。
 生徒用昇降口を過ぎたこの辺りは、外から射し込む光が全く無いから、他に比べて極端に暗い。無意識のうちに周りを気にしつつ、真っ直ぐ駆け抜ける…と、
 行く先から、聞き覚えのある重低音と、棒を振り回す音…
 急に視界が開けたその先では、今日何回目かの、亨くんと異形との格闘戦が繰り広げられていた。
 ここが、正面玄関ホール。床には少しだけど段差があったり、スノコが敷いてあったりして、お世辞にも足場は良いとは言えない。外から薄く光が射し込んでいるけど、それが足場を確認するのにどれほどの足しになっているかは、甚だ疑問だ。
 実際、亨くんの動きは、目に見えてさっきまでよりも鈍くなっている。巨大蚊も、亨くんの追撃を余裕で躱して、何とか外に出る扉に取り付こうとする。でもその頃には、亨くんも追いついて、巨大蚊も扉から離れざるを得ない。ここに着いてから、そんなことをずっと繰り返しているみたいだった。
 今このホールで…それどころか、学校中で唯一鍵が開いている(だろう)職員用出入り口は、巨大蚊が通り抜けるには少し小さいようだ。外に出るには、這って出るしか方法が無いんじゃないかな。
 …なんて考え始めたその時、
「お、颯! いいところにっ!」
 ぼくに気がついて、亨くんが声を飛ばしてきた。
「コイツ、何とかここから引っ張り出せないかっ?」
「引っ張り出すって…?」
「ここ、動きづらくてしょーがねぇんだよっ!」
「急にそんな事言われたってっ!」
 そう簡単に思い浮かぶ訳ないじゃないか…と続く言葉は、何とか飲み込んでいた。亨くんが巨大蚊の相手をしている今、それを考えるのが僕の役目だ。
 でも、ぼくがたった今口にしたとおり、そんな方法はそう簡単に思い浮かぶもんじゃない。ぼくも亨くんと一緒に追い立てれば、少なくとも玄関ホールから外に出すことは出来るだろう。でも、その後が問題だ。折角追い出しても、巨大蚊に今来た道を逆に辿って戻られたら、ここまで追ってきた苦労が全くの台無しになる。
 目の前を巨大蚊が通り過ぎ、それを亨くんが追っていく。巨大蚊がまた扉にすがり付くのを、亨くんが引き剥がしに行く。…またぼくの前を往復する。それでもまだ、これといった考えは浮かんでこない。
「颯、まだかっ?」
 亨くんが急かす。でも、急かされたってどうにかなるもんじゃない。そんなぼくの前を、巨大蚊がまた通り過ぎた。その目に、外で頼りなく光る街灯が反射して映った。
 光…?
「…そうかっ!」
「何か思いついたのか?」
「そうだよ、最初からこれをやってれば良かったんだよっ!」
 言うなり、ぼくはハンドライトの電源を入れた。
 化学実験室で巨大蚊をライトで照らしたとき、こっちに向かってきた。昆虫の集光性という本能が、巨大になっても生きているから。捕まえる事ばかりに気を取られて、今までその事をすっかり忘れていた。
 ただ、あのときはそう結論づけていたけど、それが本当に正しいのかどうかはわからない。でも今、ぼくたちには、これくらいしか有効な手段は残されていない。他に方法が無いのなら、やってみたっていいじゃないか…
 そう思って、巨大蚊にライトを向けた。
 …思った通りだ。巨大蚊は、ライトに向かって、真っ直ぐに飛んできた。でもそれは同時に、ぼくが巨大蚊に追われる立場になったってことだ。
「亨くんは、念のために後ろを塞いできてっ!」
 ぼくが吐き出したその言葉は、殆ど叫び声に近かった。亨くんから何か返事が聞こえてきたけど、必死で逃げ始めたぼくは、それを聞き取れなかった。とりあえず、ぼくの意図を汲み取ってくれたんだと思っておく。
 玄関ホールから廊下に入り、すぐにある三叉路を右…つまり北へ。そのまま一気に階段を駆け上がろうとするのをぐっと堪えて、片足を階段に掛けたまま、巨大蚊が確実に追ってくるのを待つ。この時ふと、『この役は亨くんに任せればよかった』なんて思ったけど、すでに遅かった。巨大蚊は確実にライトを…ぼくを追いかけてくるし、今更代わることなんて出来ない。
 重低音が近づいてくる…
 視界の隅に巨大蚊の姿が見えた瞬間、ぼくはダッシュで階段を駆け上った。踊り場から下を照らすと、確実に巨大蚊が追ってくるのが見えた。同時に、その向こうには…
「ぉわっ、夏目柚葉っ?!」
 突然、廊下を曲がろうとする亨くんの前に、夏目先輩の姿が浮かび上がった。バールを頭上まで掲げ上げ、ゆらりと近づくその様は、ある意味、巨大蚊より恐い。おまけに、
「ナ〜ギ〜ハ〜ラ〜…」
 なんていう恨みの篭った声が一緒となると、下手な怪談話なんて裸足で逃げ出すほどの迫力があった。
 もちろん亨くんは、その場で夏目先輩から踵を返し、一気に階段を駆け上ってきた。あくまでも巨大蚊を後追いする、という名目で。
 そのお陰かどうかは知らないけど、巨大蚊が追ってくる速度が速くなったような気がして、ぼくは急いで、それでいてライトを巨大蚊に向けながら、2階へと続く階段を駆け上った。






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