East End episode 1
- 第10話 : 報復措置(リベンジ) -

あたしはこのとき思った。
ナギハラを何とか引き入れないことには
この先、あたしに平穏な未来は有り得ないって…
(東高校22HR・夏目柚葉の未公開記事より)







 い…いいのかなぁ?
 言われるままに亨くんの後を追って、4階の廊下に走り込んだけれども、ちょっと後ろが気になった。あれ以上何を言う事も無く、それでも律儀に3階へと駆け下りていったけど、それで夏目先輩が黙っているとは思えなかった。後でどうなることやら…
 …どうにもならないんだろうな、多分。
享くんなら、夏目先輩がどんなに食って掛かろうとも、何事も無かったかのように受け流してしまうに違いない。
 そんな事を思いながら廊下を西に走りつづけると、ホールの方から棒を振り回す音が聞こえてきた。
 多分、亨くんは巨大蚊を3階に追いやろうとしているんだろうけど…ホールはとにかく広い。色々と障害物はあっても、あの巨大な蚊が、亨くんの攻撃から逃げ回れるほどに。
 このホールで何とかやりすごすつもりらしく、巨大蚊は、亨くんの間合いの外を悠々と飛び回っていた。隙あらば、今来た4階の廊下へと逃げ込むつもりのようだ。確かにそっちのほうが安全だし、今の状態で下に逃げるのはまずいと、直感的に察知しているらしい。直感的っていうか、半分は教頭先生なんだから、それくらい頭が回っても当然なんだけど…
 亨くんの方でも巨大蚊の狙いに気付いているのか、大きな動きが出来ずにいた。あんまり追い掛け回せば、そこを巨大蚊に付け込まれるだろう。だから亨くんの動きは、ホールの入り口付近で巨大蚊を牽制するに止まっていた。
 お互いが相手の隙を突くべく、千日手にも似た同じ行動を繰り返していたその時。そこにぼくが現れた事で、状況は一気に変わったようだ。
「颯っ、そこ塞いどいてくれっ!」
 言うが早いか、亨くんは間合いの外を飛んでいる巨大蚊に、猛然と飛び掛った。そのまま一気に巨大蚊を間合いに入れて、トリモチ棒を一閃!
 突然の事に対応が遅れた巨大蚊は、そのトリモチを足の先に喰らっていた。
 そのまま亨くんは、トリモチ棒を横に振り抜く…結果、空中を錐揉み、大きくバランスを崩した巨大蚊は、3階への階段へと転がり落ちた。
 何とか体勢を立て直して上に逃れようとしたところに、
「させるかよっ!」
 亨くんは一声上げると、トリモチ棒を投げつけた。それは一瞬後には、巨大蚊のちょうど上あたりの壁に突き立っていた…もちろん、トリモチでくっついているだけなんだけど。でも、いかにその粘着力が強力でも、長い棒を壁と垂直に固定するのは不可能らしく、棒はその真下にいる巨大蚊に向かって、ゆっくりと倒れていった。
 巨大蚊にしてみれば、上への進路を絶たれただけじゃなく、徐々に空間を圧迫する障害物を突きつけられたことになる。少しの躊躇を見せた後、このまま4階に留まるのは不可能と判断したのか、棒を避けるようにして3階へと向かった。
 ちょうどその時。
「あえええええええっ?!」
 …夏目先輩の悲鳴?
 そりゃ、暗闇でいきなり目の前に巨大な蚊が現れたら驚きもするだろうけど、夏目先輩は1度見てるし、そんな悲鳴を上げるほどに驚くとは思えない。何より、まだ巨大蚊は3階まで降りきっていない。となると…
「な…何があったんだろ?」
 とりあえず階段を急いで降りながら、誰に言うでもなく口に出してみると、
「そりゃあ驚くだろうなぁ…いきなりあんなのがホールの入り口に突っ立ってたら」
 いつの間にかトリモチ棒を引き抜いて来た亨くんが、後ろからしれっと言ってのけた。
 …あ。ひょっとして。
 3階に降り立ってみると、まず、ホールを飛び回っている巨大蚊の姿が目に入った。それから、ホールの入り口に目を移してみると、さっき亨くんが凍りつかせた蟻川先生と、その足元にへたり込んでいる夏目先輩。
「亨くん…もしかして、これを狙って夏目先輩を3階に?」
「颯、何を言うんだ…」
 亨くんはそこで一度言葉を切って、
「そんなの当たり前じゃないか」
 きっぱりと言い放った。
「…極悪人」
「極悪人ってのはな、あそこでへたり込んでるヤツにこそ相応しい言葉だと俺は思うんだが?」
 そんなぼくたちのやりとりに、
「ちょっとっ! これ…これ何なのよぉっ?!」
 こっちに気がついたのか、夏目先輩が割り込んできた。さっきまでへたり込んでたのに…回復の早い人だ。
「何って…蟻川先生だけど?」
「そんなの見れば解るわよっ! 何でこんなところで固まってるのか訊いてんのよっ!」
 凍りついた蟻川先生を軽く叩きながら、夏目先輩が食って掛かる。
「あ…そんな事したら…」
「わあっ?!」
 亨くんの忠告は間に合わなかった。
 どういう理屈かは解らないけれど、何らかの衝撃が加わると氷が融ける仕組みになっていたらしい。その様子は、まるでそこだけ止まっていた時間が急に動き出したかのようだった。
 突然起こった、ぶんっ、という音と共に、蟻川先生の両腕が振り下ろされる。その手に握られた、途中で折れた棒の先が、夏目先輩のすぐ横を通り過ぎていた…当たっていたら、ただでは済まなかったに違いない。
 蟻川先生の代わりに、そこだけ時間が凍りついたようだった。遠目にも、夏目先輩が冷や汗を流しているのが良く解った。
 でも次の瞬間、
「いきなり何してくれんのよっ!」
 あまりもの事に夏目先輩は逆上し、どんっと、思いっきり腕を突き出した。痩身の蟻川先生がその衝撃に耐えるには体重が軽すぎ、何よりそれは突然すぎた。バランスを崩し、その場から2・3歩後退ると、何かに足を滑らせて、そのまま背中から転んでしまった。
 その足元で音を立てて転がっているのは、蟻川先生が今手にしている棒の、折れた先端部分だった。更についていないことに…
「…あれあれあれっ?!」
 蟻川先生は起き上がれずに、どことなく情けない響きのある声を上げながら、その場でもがくばかりだった。
 腰が抜けたとか、腰を強く打ったとかいうんじゃなくて、背中が床に貼り付いている…そんな感じだった。
「もしかして…」
「夏目柚葉のトリモチ棒でくっついてんだな、きっと」
 さすがにそれを聞き咎めたのか、夏目先輩はすぐに反応していた。
「それ、あたしの仕業みたいに聞こえるじゃないの」
「あんたなら、計算ずくでそれくらいやりかねん」
「するわけないでしょっ!」
 亨くんと夏目先輩がそんな押し問答していると…
「お、おい…あれ何だぁ?」
 蟻川先生のどことなく怯えたような声が、ホールに響き渡った。仰向けに貼り付けられたことで、自分の置かれた状況を理解してしまったらしい。
 自分が動けないこと。
 そんな自分に、何か巨大で異様な影が近づいて来ること。
「ちょ…ちょっと待ってくれっ!」
 蟻川先生は、もうすぐ近くに迫った巨大蚊に怯えて、情けない声を上げていた。そして、それが何なのか確認する暇も無く…
 そのまま気絶してしまった。
 …蟻川先生、いいとこなし。
「今日は蟻川先生、踏んだり蹴ったりだな…厄日かな?」
「…そうしたのは誰のせいなんだろ?」
「俺のせいみたいに聞こえるな」
「そうじゃないとでも?」
「あれは不幸な事故だった…」
 …ふてぶてしいのはどっちなんだか。
「…なんて言ってる場合じゃなかったっ! 颯っ! ホールの入り口塞げっ!」
「え? 塞げって…」
 見てみると、廊下に逃げ出そうとしている巨大蚊の姿がそこにはあった。その先には、無防備に夏目先輩が立っている。強行突破でもするつもりなのか?
 …って亨くん、夏目先輩はどうでもいいのか?
 亨くんが4階への階段を塞いでいる今、動けるのはぼくしかいない。急いで蟻川先生を飛び越えて、夏目先輩のところに駆けつけようとしたその矢先、
「こっちに来るなっ、気色悪いっ!」
 夏目先輩が叫び声と共に、その両手で持った1mほどもあるバールを、力任せに振り下ろしていた。
 …だから、どこに隠し持ってたんだ、そんなの?
 バールは見事に巨大蚊の羽の先を叩き破っていた。その一撃でバランスを崩しながらも、巨大蚊は何とか方向転換をして…って、こっちに来るじゃんっ!
「わあっ? 待って待って待ってっ!」
 慌てて飛び退ったけど、巨大蚊はぼくには構わずに、ここからの唯一の逃げ道となった2階への階段へと飛び込んでいった。
 遠ざかっていく巨大蚊。その後姿を見て、ぼくは急にそのことに思い至った。
「…あっ、今トリモチ付ければ良かったんじゃんっ!」
「…うんうん、そうだよなぁ」
 どことなく疲れたような口調で、亨くんが言う。でもさぁ…
「そんなこと言ったら、享くんだって今捕まえられたんじゃないの?」
「あ〜、出来たかもなぁ…それよりも早く下に行こうぜ」
 …わざと捕まえるのに時間かけてるんだ、絶対!
『これでまだ出来てなかったら、もうちょっと遊べたんだが…』
 化学実験室で、亨くんはそんな風に言っていた。今のこの状況を楽しんでいるに違いない。更に、タチの悪いことに、同時に悪巧みまで進行している。
 そして亨くんはと言えば、ぼくのそんな暗澹たる気持ちなんて、まったく意に介していない風だ。
「ほら、夏目柚葉もっ!」
「…分かってるわよっ!」
 夏目先輩はどこか気に入らない様子だったけど(亨くんに主導権を握られてたら、そりゃ気に入らないだろう)、それでも後について走ってきた。

 2階ホールに出てみると、すでに巨大蚊は渡り廊下の入り口近くにまで逃げていた。ここで東に折れて廊下を進んでいたら、先には水元先生たちが待ち構えている。巨大蚊=教頭にしてみれば賢明な判断だと言えるけど、ぼくに言わせれば、追い詰める絶好の機会を逃した事になる。
 やっぱりあれは失敗だったか…
 飛び退った事にちょっと後悔しはじめたその時、
「あっちだっ! 行けっ、夏目柚葉っ!」
「なんでナギハラがあたしに指図するのよっ?!」
 そりゃ下級生に指示なんぞ出されたら、普通はこんな風に気に食わないだろう。でも、不幸な事に相手が悪い。
「ほ〜ぉ…」
「…な、何よ?」
「突撃レポート班ってのは、その程度なのか?」
「くっ…言ってくれるじゃない。…いいわよ、突撃レポート班の実力、見せてあげるわっ!」
 言うが早いか、夏目先輩はバールを掲げて渡り廊下に突っ込んでいった。
 面白いほどに単純な人だ、と呆れたぼくの頭の隅に、同時にその可能性が思い浮かんでいた。
「…亨くん」
「何だ、颯?」
「廊下って…あの時のままだよね…?」
「まあ、あれから誰もいじってないだろうからな」
 自分の顔が、ちょっと引き攣り始めているのが解った。
「まさか亨くん、…それを狙って夏目先輩を?」
「何を言う、颯…」
「あいいいいいいいいいいいいいっっ??!」
 渡り廊下から絶叫が迸ってきた。けど、それを平然と聞き流しながら、澄ました顔で亨くんが言った。
「…当たり前だろ、そんなの」
 …オニ。
 このときぼくは、絶対に亨くんだけは敵に回すまい、と固く誓っていた。






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