East End episode 1
- 第6話 : 渡り廊下の秘密 -

つまり、私の計算結果によれば…
新品のチョークを黒板にこの角度で当てて線を引く事により…
あの背筋が寒くなる音が出るわけだ(実演)
(県立東高校物理教諭・水元の授業風景より)







 外はもう薄暗かった。
 もうそろそろ、下校第2陣…部活から開放された生徒が自転車置き場に集まってくる時間だ。
 当然、化学実験室前の通用路を通る生徒も多くなる。そうなる前に、とりあえずの用事を済ませておいたのは正解だったのかもしれない。多少の(?)ハプニングがあった事については、とりあえず考えないことにする。
 静かになった化学実験室から南校舎に戻るのかと思ってたら、亨くんは北に足を向けた。そっちにスリッパで移動できるのは、学食しか思い当たらない。予想外の行動に、ぼくは慌てて声をかけた。
「ちょっと亨くん…まさか本気で煎華道部に行くわけじゃないよね?」
「…何だ、行きたいのか?」
「そうじゃなくてっ!」
「知らないのか? 煎華道部にはカワイイ女の子がいっぱい入部してるんだぞ」
「…え、そうなの?」
「何だ、やっぱり行きたいのか?」
「…、違うでしょっ! それより、こっちは学食じゃないの?」
「そう、その学食に用がある」
「え?」
 かなり話が迂回したものの、なんとか軌道修正できたようだ。意図的に話を逸らして、ぼくをからかってるに違いない。
「…学食に何を探しに行くの?」
「学食って言ったら、何をするところだ?」
「…ごはん食べたり、パン買ったり…もしかして、準備って腹ごしらえだったの?」
 それも亨くんが考えそうな事だけど、腹ごしらえをしたからって、あの巨大な蚊がどうにかなるとは思えない。
 蚊がパンを食べるとも思えないし…
「パン買うのも準備のうちだけど、今食うわけじゃないぞ」
「今じゃなきゃ、いつ食べるの?」
「後で」
「そりゃそうだけどさぁ…もしかして、そんなに遅くなるの?」
「そうなったときの準備もしておくんだよ。特にやきそばパンは重要だ」
「や…やきそばパン?」
 何でやきそばパンが重要なのか、この時間に学食でパンなんて売れ残ってるのか、とか不思議に思いつつも亨くんについていった学食には…
 昼ほど量は揃っていないものの、しっかりと全種類のパンが並んでいた。
「何でこんな時間にパンがこんなに売ってるの?」
「体育系の部活の連中が、帰りに腹減らして来るんだよ」
 …納得。


 やきそばパンとハムカツサンドを買ったぼくたちは、2階東側の渡り廊下を南校舎の方に…つまり、元来た道を戻っていた。
「…で、今度は何を探しに行くの?」
 亨くんに訊いてみると…
 例によって、いかにも何か企んでいますって感じで目を細め、口元には怪しげな笑みを浮かべただけで、何も答えなかった。
 …まぁ、予想はしていたけど。
 そのまま真っ直ぐ突き進んで、目の前にある部屋は応接室。左側の突き当たりが職員室。両方とも中に誰かいるのか、扉の隙間から明りが漏れている。
 それを見た亨くんは、ちょっと考え込んだ後、ぽつりと言葉を漏らした。
「ここが一番確実だと思ったんだけどな…」
「え? それって、どういうこと?」
 亨くんの意図が読み込めず、もういちど訊いてみることにした。
 今度は、ややあって答えが返ってきた。
「なあ、颯…」
「ん、何、亨くん?」
「ライターがありそうな場所知らないか?」
「え? …ライター?」
「ああ…ライターじゃなくても、火をおこせるものなら何だっていい」
「火をおこすもの…?」
 また妙な事を訊いてきたな。確かに応接室なら、来客が煙草を吸うときのためにライターが置いてあっても不思議じゃない。
 でも、さすがに中にいる教師に向かって『ライター貸して下さい』なんて言えないよね。多分…いや、絶対に思いっきり怪しまれる。
 ここ以外で、ライターがありそうな場所は…
 化学実験室…は無理だな。だとすると…
「数学研究室なんてどうかな?」
 ちょっと考えてから、答えた。
 数学研究室、略して数研っていうのは、数学教師陣のために設置された部屋だ。テストの採点とか休憩とかは、職員室よりはこっちでする方が多いらしい。やっぱり、上の目が届かないところの方が落ち着くのかな?
 こういう研究室は数学だけに限ったものじゃなくて、各教科ごとの研究室があったりする…そういえば、このことを別の高校の友人に話したら、やっぱり『お前の高校って、変わってるよな』って言われた。
 わざわざ数学研究室に的を絞ったのは、それなりの訳がある。煙草を吸う教師の殆どが、何故か数学担当だからだ。
「数研か…よし、行ってみるかっ!」
 言葉に出すと、亨くんはすぐに歩き出した。
「あ、ちょっと待ってよっ」
 少し遅れたぼくも、慌てて亨くんの後についていく。
 北校舎3階の西側…数学研究室へ。
 今度とったのは、今いる南校舎2階の廊下を西に進むコースだった。多分深い意味なんて無くて、ただの気分なんだろう。
『さっきと同じコース通ったって、面白くないだろ?』…って、きっとそんな事を言うに違いない。
 3年の教室がずらっと並んでいる廊下を西に進んでいく。やがて右側に、ぼくが今朝息を切らせながら上っていった階段が現れる。ふと姉さんのことを思い出して、苦笑を浮かべると…
「颯、何笑ってんだ?」
 亨くんが目ざとくそれを見つけてくれた。
「いや…ちょっと今朝の事を思い出してさ」
「今朝? …ああ、朔美さんか?」
「そう、そのこと…」
 廊下を右に折れると、西側の渡り廊下が真っ直ぐに続いている。話が出たところで、前からの疑問をぶつけてみる事にした。
「亨くんってさぁ…」
「ん、何だ?」
「…姉さんのどこがいいわけ?」
「ぉわっ…な、何だよ急に?」
 これは予想していなかったらしく、亨くんは、校舎と渡り廊下の段差につまずいていた。おー、動揺してるよ、珍しい。
「前から不思議だったんだよねー、およそ気に入りそうな場所なんて見当たらない姉さんを気に入るってことが」
「随分と容赦の無い言い方だな」
「毎日ヒドイ目に逢ってるからね」
 ためいきを吐きつつ、続ける。
「それで、姉さんのどこがいいの?」
「どこがいいったってなぁ…」
 顔を赤くしながら言いよどんだのも束の間…
 亨くんは急に拳をギュッ握りながら答えた。
「まず、あの可憐な制服姿」
「か、可憐? どこがっ?」
 ちょっと待て、あの姉さんのどこから可憐なんて言葉が連想されるんだ?
 制服だけならまだしも、制服+姉さんとなると…
「それから、悪戯がかわいらしい」
「かわいいって範囲に収まるもんじゃないぞ、あれは…」
 こっちはその悪戯に毎日付き合わされて、迷惑してるってのに…
 亨くんは実際に被害に逢ってないから解らないんだ。
「あと、何と言っても顔立ちが良いっ!」
「…そうかぁ〜? あれって並じゃないのか?」
「いちいち文句つけるヤツだな」
「亨くん、姉さんのこと美化しすぎだよ」
「颯はいつも一緒にいるから、朔美さんの良さが見えないんだよ」
 良さ? 姉さんに良いところなんて…
「そんなの、あるわけないじゃんっ!」
 と、力いっぱい否定したところで、妙な違和感。
「ねえ、亨くん…」
「…ああ」
 亨くんも同時に気がついたらしい。
 今こうして話している間に、渡り廊下を2往復できるくらいの時間があったはずだということに…
 だけど実際は渡り切るどころか、渡り廊下の半分までも歩いていない。
 …さっきから同じところを歩いている?
 そんなふうに考えている間も歩いているってのに、景色は全然変わらない…動いてない?
「…床が動いてるっ?」
 ぼくたちが歩くのと同じ速度で、床が後ろに流れている。
「なんで学校の廊下が動くんだよぉっ!?」
「ぼくに訊かないでよっ!」
 思わず立ち止まって、亨くんに抗議する…と、当然、亨くんとの距離が広がり…南校舎に戻されてしまう。慌てて足を速めて、亨くんに追いつこうとすると…
「わっ、待て、颯…走るなっ!」
 亨くんが叫んだ…が、遅かった。
 ぼくの走る速度にあわせて、床の流れる速度も速くなっていった。
 そのままだと足がもつれて転ぶから、自然と足を繰り出す速度を早くしてしまう。
 すると、それにあわせて床の速度も速くなる…
 そんなことを延々と繰り返して、やがて全力疾走になるまでに、そんなに時間はかからなかった。
「な…何でこんなところで…健康的に走らなきゃいけないのっ?」
「知るかっ!…これ…仕掛けたヤツに言えっ!」
 幸か不幸か、このあまりにもバカバカしく、非常識な仕掛けをする人に心当たりがあった。東高校でこんな暇な事に情熱をかける人なんて、1人しかいない。
 その思い当たった1人に…自分のクラスの担任に向かって、
「「水元先生の…バカぁ〜〜〜〜っ!!」」
 悪態をついていた…
 そろそろ全力疾走にも疲れてきた。いくらなんでも、このペースがいつまでも続くわけが無い。
「ねえ亨くん、これ…逆回転とか出来ないのかなっ?」
「…それだっ!」
 疲労から逃れるために言った言葉に、亨くんがいち早く反応した。
「颯、止まれっ!」
「うんっ…えっ、止まるぅ? だ、だって…」
「いいから止まれっ!」
 言われたとおりに足を止める…転ばないように。
 すると当然、南校舎まで戻されるけど…
「戻っちゃったけど…どうするの?」
「まずは、廊下が止まるまで待つか」
「そうだね。…疲れたし」
 上がった息が落ち着くまで、渡り廊下の手前で座り込む。
「それにしても、水元先生も何て暇なことを…」
「いつこんな仕掛け作ったんだろ?」
「さぁな…今日までこれで大騒ぎになったって話は聞かなかったからな…」
「でも…短時間でこんなの出来ないよね?」
「どこかにスイッチでもあるんじゃねぇの?」
「あ〜…そうかもね」
 話しているうちに呼吸も穏やかになり…渡り廊下も動きが遅くなっていき…やがて完全に止まった。
「それで、どうやって渡るの?」
「要するに、逆方向に動かせばいいんだよ」
 そう言った亨くんは、無造作に渡り廊下に踏み出した。
 この時点ではまだ廊下は動いていない。
「ここで、こうする…颯、そこ動くなよ」
 亨くんはそこで振り返って、ぼくの肩を掴む。
 掴んで…その場で歩き出した。
 いや、歩いてるんじゃなくて、廊下を足で押しているのか。
 …そうか、普通に歩いてるだけで動くんだから、こうするだけでも動くのか。
 程なくして、廊下は逆方向に…ぼくたちの進みたい方向に動き始めた。
「後は黙って乗ってれば運んでくれるだろ」
「後ろ向きに歩いたら早く着くかな?」
「やめとこう、もうこんなバカげた仕掛けに体力使いたくない」
「…そうだね」
 こうして…
 やっとぼくたちは北校舎に辿り着いた。
 あまりものバカバカしさに、お互い話をする気力もなく、しばらくそこに座り込んだままだった…






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最終話 あとがき