East End episode 1
- 第5話 : 訪れた騒動源 -

あの2人、なぁ〜んかアヤシイのよねぇ。
…って、なんであたしがインタビューされてんのよっ!
(東高校22HR・夏目柚葉へのインタビューより)







 やたらと耳障りな、重低音の効いた羽音を出すそれを呆然と見ながら、それでもやっとぼくは答えを返していた。
「蚊、だよねぇ、アレ…」
 言葉にすると、余計に違うような気がする。
「ああ…大きささえ気にしなければな」
 亨くんも、ちょっとかすれた声で答える。
 そのとき、困惑気味の表情で向かい合ったぼくたちは、きっと同じことを考えていたに違いない。『何で学校にこんなのがいるんだ?』って。
 そんな現実感のない光景を目の前にして、頭に浮かんでくるのは、およそ緊張感に欠けた、こんなことだった。
『室内にいるってことは、アカイエカかなぁ?』
『刺されたらメチャクチャ痛そうだな』
『病気にかかる確率も、体の大きさに比例してるとか…?』
『…何か、だんだんと大きくなってるような気が?』
 と、ここまで考えて我に返った。
 大きくなってる訳じゃなくて、大きくなってくように見える…つまり、近づいてきているんだ。
「…っ、亨くん、蚊がっ!」
 言ったときにはもう、蚊は亨くんまで1mくらいの距離まで迫っていた。
 亨くんはと言えば、何だかぼんやりと蚊を眺めていたけど、ぼくの声を聞いた直後に、何でもないような動作で扉を閉めていた。
 蚊が扉にぶつかる音が何度か聞こえた。
『もしかしたら、壊れるんじゃないか?』とか心配したけど、蚊はすぐにぶつかるのを止めたらしく、すぐに静かになった。
 …そのまま2〜3分が過ぎ去った。
 ぼくも亨くんも、その間ひとことも喋らなかった。
 確かにぼくたちは、この化学実験室の向こうに、何か面白いことを求めていたはずだった。でも、そこにあったのが、こんな異常事態だとは予想も出来なかった。出来るはずが無かった。
「…颯」
 扉の方をずっと見たままでいた亨くんが、不意にぼくを呼んだ。
「…何、亨くん?」
「出直そう」
 振り向いて、口元に微笑を浮かべながら、そんなことを言ってくれた。
「出直すって…これ以上どうしようっての?」
 ぼくとしては、実験室の中も見たことだし、今日はこれでお開きかなぁ〜、とか思っていたんだけど、どうもそんな雰囲気じゃない。
「あの巨大な蚊の出所を探るんだよ」
「出所を探るって…その間、あの蚊がぼくたちを放っておいてくれると思う?」
「思わない。だから、そのための準備をしにいくんだよ」
「準備って…何?」
「いろいろとな…颯、鍵閉めろ!」
 その急な亨くんの、声を抑えた、でも鋭い口調に、ぼくは戸惑ってすぐには動き出せないでいた。けど、
「早くっ!」
 緊張感の漂うその言葉のままに、ぼくは南京錠を扉の金具に掛けた。
「どうしたの、一体?」
「誰か来る。鍵が開いてるの見られたらマズイだろ」
 …確かに、南校舎の方から誰かがこっちに向かってくる足音が聞こえた。
 下校ラッシュも過ぎたこの時間は、この辺りは人通りが殆ど無くなるし、部活が終わるには早すぎる。そんな空白の時間帯に、緊張感の無いスリッパの音は、かえって無気味に感じた。
「こんな時間に、誰だろうね?」
「誰でもいいや。取り敢えず、俺らは準備に戻ろう」
 …と、気持ちを切り替えて化学実験室を後にしようとしたそのとき、
「あ、ナギハラじゃん」
 通用路の方からそんな声が聞こえてきた。
「げ、夏目柚葉(なつめゆずは)!」
 一番逢いたくないヤツに逢っちゃったよ、って表情で、亨くんがうめいた。
「亨くん、知り合い?」
「…颯、よく覚えておけ。こいつが悪名高い、放送部突撃レポート班の夏目柚葉だ」
 うちの学校にはそんなものがあったのか…知らなかった。
 夏目柚葉(先輩らしい)は、そんな亨くんの物言いが気に入らなかったらしい。
「悪名高いとは、随分な枕詞(まくらことば)ね」
「気に入らなかったか?」
「気に入るわけないでしょ。だいたい、悪いことなんか何一つしてないわよっ!」
「すげぇ自信だ。そのふてぶてしさが、時々羨ましくなるよ」
 亨くんといい勝負だと言いかけたのを何とか押さえ込んで、ぼくは別のことを訊くことにした。
「ところで亨くん、この人とはどういう知り合いなわけ?」
「俺も好き好んでこのおさげの怪物と知り合ったわけじゃないけどな」
「だれがおさげの怪物よっ!」
 …おさげ?
 よく見ると夏目先輩は、腰までありそうな長さの三つ編みをしていた。なるほど、おさげの怪物だな。
 ぼくが夏目先輩のおさげを見ている間に、亨くんは先を続けていた。
「入学式の日に、俺を放送部に勧誘したんだよ、このおさげの怪物は。即座に断ったけどな」
「亨くん、放送部には興味なさそうだもんね」
「それだけならば、まだいいんだけどな…その後も俺を見かける度に、しつこく勧誘してくるんだよ」
「ナギハラは見どころがあるからね。うちとしてもどうしても欲しい逸材なのよ」
 亨くんの、その色んな事に首を突っ込むその性格は、まぁ放送部向きと言えなくも無いけど…逸材…かなぁ?
「それでナギハラ、放送部に入る気、無い?」
「何度も言うけど、無い。」
「何度も訊くけど、どうして?」
「あんたと始終顔を突き合わせて、神経磨り減らすような自虐的な趣味はないんでね」
「…また新しい理由考えたわね。毎回腹が立つのは変わらないけどっ!」
「お褒めに預かりまして、光栄にございます」
「褒めてないわよっ!」
 いつもこの調子なのか。亨くんも災難だな…いや、夏目先輩が災難なのか?
「…で、あんたたちは何でこんなところに居るのよ?」
 いきなり痛いところを突いてきた。
「多分あんたと同じ理由」
 素っ気無く、しかもあっさりと亨くん。
 …そうか、突撃レポート班なら興味もって当たり前か。
「ナギハラもここ調べに来たって訳ね…やっぱりナギハラ、見どころあるわよ」
「あんたに見どころあるなんて言われても嬉しくない」
「まぁ、そう言わずにサクッと入部してみない?」
「俺まだ人生捨ててないから」
「どういう意味よっ!」
 …そこまでヒドイ部活なのか?
「それはそうと、化学実験室の何を調べに来たんだ?」
「誤魔化したつもり?…まぁいいわ。決まってんでしょっ、閉鎖の原因よ!」
「鍵が閉まってるのに、どうやって調べるつもりなんだ?」
「ふふん…甘いわね、ナギハラ!」
 夏目先輩は、鼻で笑って言い捨てた。亨くんの言葉を、化学実験室の中に入れずにいると取ったんだろう。
 そのまま、ぼくと亨くんの間をすり抜けて、化学実験室の扉の前に立った。
「鍵が閉まってるなら、開ければいいのよっ!」
 誰かと同じようなことを言いながら、夏目先輩のその手には、いつの間にか1mくらいあるバールが握られていた。…どこから取り出したんだ、んなもんっ!
「ふふふっ、突撃レポート班に不可能は無いのよぉっ!」
 そのままバールを頭の上まで振り上げて、扉に突進していく。
 亨くんは、それを寸前のところで後ろから抱え込んで止めていた。それでもまだ夏目先輩は、扉に突進していくのを止めようとしない。放送部にしておくのは勿体無いくらいの体力だ。
「颯っ、誰か呼んで来いっ!早くっ!」
「わ、わかったっ!」
 …と、顔を2階に上る階段の方に向けたとき、ちょうど誰かが階段を下りてくる足音がした。ぐっどたいみんぐっ!
 ぼくがその誰かに声をかけようとしたとき、それより先にその足音の主が声をかけてきた。
「お〜い、夏目、そのくらいにしとけよ〜」
「…え?」
 聞き覚えのあるその声は…
「あ、水元先生」
「おう、水嶋か。何だ、お前らも夏目を止めててくれたのか」
「い、いや、まぁ…そんなとこです」
 まさか真実を明かすわけにはいかないだろう。
 振り返ってみると、水元先生の声が効いたのか、夏目先輩は突進を止めていた。ぎこちなく首を後ろに向けて、慌ててバールを後ろ手に隠していた。
「もうそろそろ暴れてる頃だと思って見に来たら…」
「え、えへへへへ…」
 笑って誤魔化そうとする夏目先輩。人差し指で頬なんて掻いてたりする。
「夏目ぇ、お前も女の子なんだから、もう少し静かにしておこうな」
 もう少し?…いや、それ以前に注意のしかたが根本的に違うような…
 夏目先輩はと言えば、バールを隠したまま2、3歩後退りして、そのまま脱兎の如く逃げていった。
 走り去っていく夏目先輩の後姿を見送っていた水元先生だったけど、ひとつ溜息をつくと、ぼくたちの方に向き直った。
「薙原と水嶋のお陰で助かったよ。大変だっただろ?」
「「そりゃあもうっ!」」
 ぼくたちは声を揃えて言っていた。
「しかしお前ら、どうしてこんなところにいるんだ?」
 うっ、またしても痛いところを…とか思っていたら、また亨くんが妙な言い訳を披露していた。
「今度は煎華道部を冷やかしに行こうと思ってたら、ここで夏目先輩に絡まれてたんですよ」
 煎華道部ってのは、茶道部と華道部をまとめて1つにした部活のことだ。いつも食堂の2階にある和室で活動しているから、言い訳にはちょうどいいかもしれないけど…
「煎華道部…オチ研といい、お前ら、渋好みか?」
「いや、手当たり次第ってところですよ」
「それで、入りたい部活は絞れてきたのか?」
「それが全然」
「…だろうな。で、まだ見学してくのか?」
「そうですね…あと少し」
「また夏目に絡まれないうちに、早く帰れよ」
「ははは、そうします」
 そこまで話すと、水元先生は念のため化学実験室の扉とその周りを点検してから帰っていった。
「…はぁ」
 どちらからとも無く、溜息をつく。
「なんか、大変だったね」
「そうだな」
「亨くんが放送部に入りたがらない訳、何となく解ったよ」
「…だろ?」
 それから、またどちらからとも無く溜息。
「…行くかっ!」
 区切りをつけるように、亨くんが言う。
「え?」
「準備だよ」
「え…あ、そうだね」
 でも、何を集める気なんだろ?…そう思いつつも、ぼくたちは一旦、化学実験室を後にした。






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