East End episode 1
- 第4話 : その先にあるもの -

化学実験室が封鎖された理由が知りたかった訳じゃない。
俺が楽しめる材料がそこにあると思った。
ただ、それだけのことさ。
(東高校14HR・薙原 亨へのインタビューより)







 放課後。
 今日1日の授業が全部終わって、ぼくは開放感に浸っていた。明日からの土・日が休みだから、こんな気分に浸っているのは、ぼくだけじゃない筈だ。  そんな開放感とは別に、ぼくはこれからのことに心躍っていた。もちろん、昼からの授業は全く集中できていなかった。そんなぼくの視界に、影がかかった。
 見上げてみると、そこには上の空の原因の張本人がいた。
「授業中にぼ〜っとしてるとは、いい身分だな」
「あはは、見てたんだ」
「イヤでも見える席に座ってるからな」
 右斜め後ろの席を顎で指す仕草を見て、ぼくは苦笑いを浮かべた。
「それで、もう行くの?」
 と、訊いてみる。もちろん、化学実験室のことだ。
「まだ早いだろ。賑やか過ぎる」
 確かに、今は下校する生徒が多い時間帯だ。そんなときに、堂々と立ち入り禁止の場所に入っていくのは、いくらなんでもまずいだろう。ぼくだって、そんな観衆の目の前でピッキングするつもりなんて毛頭無い。
「ひとつ、面白い話を聞いてきた」
 突然、話を切り替えるように、亨くんが切り出した。
「面白い話?」
「化学の窪田(くぼた)先生が、今日は出勤していないらしい」
「窪田先生って…あの?」
「そう、あの窪田先生だ」
 別名、東高の狂的化学者(マッド・ケミスト)。日夜、化学実験室で怪しげな実験を繰り返しているという噂が、まことしやかに囁かれている御仁だ。
「出勤していないって…休みってこと?」
「無断でな」
 無断欠勤って…窪田先生ならありがちだけど…
「…それの何が面白いの?」
「化学実験室の閉鎖と、何か関係あるのかもな」
「それはちょっと話の繋げ方が強引すぎると思う」
「もちろん、そうだったら面白いってだけの話だ」
 …面白いのか?
「もし関係あったとしたら、扉に鍵掛けたのは窪田先生なのかなぁ?」
「…さぁね。今のところ、俺が興味あるのは、化学実験室の扉の向こうだからな」
「ホントに、何で立ち入り禁止なんだろうね?」
「暗幕が引いてあるから、窓からも中は見えないしな」
 暗幕まで引いてあるのか…なんだか徹底してるなぁ。
「そこまでして見られたくないものって、何なんだろうね?」
「…まぁ、それは見てからのお楽しみ、でいいんじゃないか?」
「…ん、そだね」


 それからぼくたちは、暫くの間、いろんな憶測を飛ばしあって時間を潰していた。例えば…
「実は、水元先生が何か新しいイベントを思いついて、気まぐれで化学実験室を閉鎖したとか」
「それ、あの先生には充分ありがちでコワイよ。だいたい、新しいイベントってどんなの?」
「場所が化学実験室だからな…窪田先生と共同で、錬金術の補助装置の開発に勤しんでいるとか」
「…れ、錬金術?」
「それとも実は、窪田先生が教頭のために超強力毛生え薬を作っていたとか」
「何でそこで教頭が出てくるの?確かに頭髪薄いけど…」
「それなら実は、世界征服の野望を持った有志団体に乗っ取られたとか」
「いきなり訳の分からないこと言わないでよ。世界征服っていうのがそもそも現実味無いよ」
 冗談半分で…って言うよりは、殆ど冗談で話をしている間に、時間は過ぎていった。


「もうそろそろ大丈夫かな?」
 1時間も経った頃、亨くんが思いついたように言った。
 さすがにこれくらい時間が経てば、下校ラッシュも無くなっているだろうし、普段化学実験室を根城にしている化学部の連中も、閉鎖となっては場所を変えるしかない。
「行ってみるか」
「そうだね」
 何となくお互いに確認しあってから席を立つ。
 14HRを後にして、東側の階段を2階まで下りる。そこから渡り廊下を通って北校舎に向かう、いつも化学実験室に行くときの道を無意識に選んでいた。
 渡り廊下にさしかかるちょっと手前。背後から唐突に声がかかったのは、そんな時だった。
「おぅ、薙原に水嶋じゃないか。おまえら、まだ帰ってなかったのか?」
 振り返るまでもなく、声の主は水元先生だった。…そういえば、ちょうど真後ろが職員室だったよ。担任に会ってしまった以上、このまま無視する訳にもいかない。
「ええ、実は今からかが…」
 すぱーんっ!
 景気のいい音と同時に、後頭部に衝撃が走った。
「いてて…何するんだよぉ、亨くんっ!」
「おまえのボケは天然かぁっ!」
 見ると、亨くんの手には、いつのまにかハリセンが握られていた。…どこに持ってたんだ、そんなもん?
「おい薙原、あまり乱暴にするのはイカンぞ。一応ここは職員室前だからな」
「すると、職員室の前でなければOKなんですね?」
「まぁ、問題にならない程度にな」
「ちょっと、せんせぃ〜」
 会話の内容にたまりかねて、口をはさんでみたものの、
「冗談だ」
 …などと、水元先生は平然とした顔で返してくれた。だけど…いま2人とも本気だった。絶対に!
「まあ、それはいいとして。部活動もやってないんだから、あんまり遅くまで残ってるんじゃないぞ」
「そう、それなんですよ!」
 亨くん…今度は何を思いついたんだろう?
 当然亨くんは、そんなぼくの不安なんてお構いなしだ。
「実はいま、俺と颯の2人で、部活の見学してたところなんですよ」
 …また口からでまかせを。
「で、落語研究会に行った後に感化されてたところに、水元先生が声をかけてくれたって訳ですよ」
 あのハリセンはオチ研からくすねて来たのか…ってその前に、オチ研になんて行ってないんだけど…ひょっとして、亨くんの標準装備?
「オチ研とはまたシブイ選択だな」
「ん〜、でも何か肌に合わないんですよね」
「…おう、それなら物理部なんてどうだ?薙原ならマイコン班向きだぞ」
「一応考えてみますけど、まずは順番に見て回ることにしますよ」
「その気になったらいつでも相談しろよ、水嶋もな」
 それだけ言うと、水元先生は去っていった。
「ふぅっ、何とか誤魔化したか」
「…亨くん、詐欺師になる才能あるよ〜」
「失礼な、せめて弁護士と言ってくれ」
 真顔でそんなことを言ってくれる。…でも弁護士は無理があるんじゃないか?
「それよりも、早く行こうぜ」
「…あ、うん、そうだね」
 先に立って歩く亨くんを、にわか返事をして追いかけた。


 渡り廊下を通って、北校舎へ。
 造りが南校舎と多少違うせいか、北校舎に1歩足を踏み入れた途端に、何だかそれまでとは別の世界に入り込んでしまったかのような違和感を感じる。まあ、いつものことだけど。
 そのまま真正面の階段から1階に降りると、もう目の前は化学実験室の入り口だった。ここから右に出ると自転車置き場と学食だ。見てみると、見事に誰もいなかった。今のぼくらにとっては好都合だ。
 それでも慎重に人通りを確認してから、柵を乗り越えて、化学実験室の前までやってきた。その扉を前にしたときに、ちょっとした疑問が頭に浮かび上がった。
「今思ったんだけどさ…」
「何だ?」
「今まで化学実験室に鍵なんて付いてた?」
「こういう特別教室には全部付いてた筈だ」
「そうだった?今まで気にも留めなかったから」
 そうか、最初から付いてたんだな。
 そんな風に思って扉を見てみると、取っ手の上に取り付けられた金具に、南京錠がぶら下がっていた。金具はいかにも使い込まれた感じだったから、やっぱり前からあったんだろう。それにしても…
「…これって、ドライバー持ってきたら、簡単に開けられるんじゃないの?」
 南京錠が下がっている金具は、ネジで無造作に4箇所留められているだけだった。高さは腰の位置くらいだったから、多分誰でも外せるだろう。
「颯、それをやったら俺ら、まるっきり泥棒じゃないか」
「…ピッキングは構わないの?」
「開けるのは俺じゃない」
「…」
 ひどい話もあったもんだ。ぼくは何も言う気にもならず、ぶら下がっている南京錠を手にとった。
 ここであんまり時間をかけていると、誰か通りがかるかもしれない。手早く済ませてしまおう。
 懐からピッキングツールを取り出し、手の中で弄びながら、鍵穴をのぞく。いつも通りに手早く外そうとして、ぼくはそこに意外なものを見た。
「…亨くん」
「ん、何だよ?」
「これ…例の新型の鍵だ…」
「例の新型?」
 亨くんは、眉をひそめて訊き返した。けど、すぐに思い当たったみたいで、ぼくが説明するより早く答えを導き出した。
「あの、ピッキング防止タイプの鍵か?」
「うん、その鍵」
「じゃあ、この鍵、開けられないのか?」
 襟元を掴んで揺さぶってくれるので、苦しいことこの上ない。
「ちょっ、ちょっと亨くん、首…、首絞めないでっ!」
「お、すまんな」
 亨くんが、たった今気がついたように手を離す。
 …死ぬとこだった。
「それで、中には入れないのか?」
 訊く亨くんに、幾分呼吸が落ち着いてから答えた。
「…そんなことはないよ。ピッキング防止タイプって豪語してみても、実際はピッキングされにくいってだけだから」
「それなら開けられるんだな?」
「う〜ん…そう言いたいところなんだけど、このタイプの鍵はまだ練習始めたばっかりで、あんまり自信ないんだよ」
「開け方知ってるんなら大丈夫だろ」
 …簡単に言ってくれるよ。
 でも、ここまで来た以上、この鍵を開けるのはぼくの役目だ。亨くんの言葉通り、開け方は知っているんだから何とかなる筈だ。それにしても…
「こんな新型の鍵まで使って閉鎖するなんて、よっぽど秘密にしたいんだね」
「ああ、ますます中に何があるのか知りたくなったな」
「ここまでされてて、何でもないことだったらがっかりしちゃうね…っと、ここがこうなって…」
 なかなか上手くいかないのを、軽口を叩くことで紛らわせる。
「そりゃないだろって感じだな」
「これをこうして…何でもないどころか、何も無かったりして」
「そういうパターンは避けたいな」
「避けたいったって、それってぼくらでどうにかなる問題じゃない…ん?」
 確かな手応えを感じた。
「ん、どうした?」
 問い掛ける亨くんに、ぼくは半ば呆然とした口調で答えた。
「…開いちゃった」
「開いたなら、何も問題ないじゃないか」
「ははは…そうだよね」
 それでも開いたのが意外で、自然と空笑いが漏れていた。
「颯、早速中覗いてみようぜ」
 言うが早いか、亨くんは金具から南京錠を外していた。
 取っ手に手をかけると、何の躊躇も無く、一気に扉を開ける。
 …沈黙が訪れた。
 ややあって、亨くんは、
「なあ、颯…」
 何とか言葉を搾り出しましたって感じで訊いてきた。
「…どうしたの?」
「あれが一体、何に見える?」
 亨くんが指差したその先を見てみると…

 ちょっと信じがたかった。
 そこには、翼長1.5mはありそうな、巨大な蚊が飛んでいたのだ。






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