East End episode 1
- 第2話 : ぼくたちの日常 -

いつもと何も変わるところのない、学校での生活。
でも、そんな日常から抜け出すための扉は、唐突に現れた。
扉を開けるための鍵は…好奇心。
(東高校14HR・水嶋 颯の事後録より)







 よく、他の高校に行った友達に言われること。
「おまえの高校って、変わってるよな」
 ぼくもそう思った。
 例えば、朝の予鈴・本鈴。
 鳴る時間は他の高校と一緒みたいだけど、どうもその意味合いが違うみたいだ。
 8:25に鳴る予鈴はHR開始の合図。
 8:30に鳴る本鈴はHR終了の合図。
 だから、8:25までに登校していないと遅刻になる。
「その朝の5分、損したと思わねーか?」
 これもよく言われることだ。でももう慣れたっていうのもあるのか、今更そんなことを言われても、あんまりピンと来ないな。


「颯!」
 呼ぶ声に、ぼくは顔を向けた。
 そいつはぼくの席にやってくるなり、机に両手をついて話し始めた。顔が笑っているのは、絶対に気のせいじゃない。
「おはよう、また朔美さんか?」
「…おはよう、亨くん」
 苦笑しながら応える。朝の挨拶の直後に、遅刻すれすれになった原因を言い当ててしまう辺り、分かってるなぁって思わされる。
 こいつの名前は薙原 亨(なぎはら とおる)。
 まだ知り合って2ヶ月しか経ってないけど、まるで小さい頃から友人だったような、そんな不思議な感覚がある。
 お互いの名前が読めなかったのがつきあいの始まりだった。少なくとも、ぼくはそのとき「亨」を「とおる」って読むとは知らなかったし、僕の名前をいきなり「そう」と読めるヤツはまずいないと思う。
「それで、今日は朔美さん、何やったんだ?」
 やっぱり笑いながら、そんなことを訊いてくる。
 亨くんは、姉さんのことを「颯のねーちゃん」とかじゃなくて「朔美さん」って呼ぶ。どうも好みのタイプらしいんだけど、どこがいいんだ、あんなの?
「昨日の夜CD貸すの断ったら、目覚まし30分遅らされた」
「ははっ、朔美さんもやることがかわいいなぁ」
 …おい。
「そのお陰で遅刻しそうになったぼくの身にもなってよ」
「そりゃあ、引っ掛かる颯が悪い」
 姉さんの非常識も、亨くんにかかるとこれだからなぁ…
「まぁ、颯と朔美さんの微笑ましい姉弟のやりとりはこの際置いといてだな…」
「全然微笑ましくないよ」
「先刻の水元先生の話、聞いてたか?」
 ぼくは今までの話題に喰い下がろうとするのを思いとどまった。亨くんの口調にちょっと緊張が走ったのを感じたから。でも、こういうときの亨くんって、いつも決まって妙なことを言いだすんだ。今度は一体何を企んでるんだ?
 ぼくは亨くんの顔を見て、瞬間的に自分の考えが正しかったことを悟った。
 目の奥に、妙な輝きがあった。何か妙なことを企んでいる時の目だ。
 肚を決めて、亨くんの次の言葉を待った。
 でも…
 1時限目開始のチャイムが鳴った。
「…続きは昼にでも話そう」
 亨くんは、意外にあっさりと話を打ち切った。


 他の学校に比べて変わっているところは、まだある。
 例えば、授業の時間が1時限につき65分ってことだ。
 この余分な5分が、いかにも東高校らしい。
 他の学校では、50分、長くても60分だって聞いているのに。
 ただ、授業時間が長いから、午前中に3時限、午後に2時限ってことになっている。得しているのか損しているのかよくわからない。
 それにしても、余分な5分は何なんだろう?


 3時限目も半分を過ぎた頃、周りからちょっと落ち着きなさげな雰囲気が漂い始めた。もちろん、昼休みが近づいたからだ。このタイミングで騒ぎ出すのは、まず学食派の生徒と見て間違いない。
 その学食。わざわざ専用(って訳でもないけど)に建物が1つ用意されているとはいえ、その収容能力はかなり低い。せいぜい50人程度だろう。メニューもそれほど多いわけじゃなく、出てくる料理も平均点だ。
 だから、学食に出向くだいたいの生徒の目的は、そこで一緒に売られているパンを買うことだ。
 このパンが曲者で、学食のどのメニューよりもおいしいというのが定説となっている。その中でもやっぱり人気のあるパンってのがあったりする。そのパンをゲットするのに、1分1秒でも早く授業が終わるのを待ち望んでいるのが、今こうして落ち着き無さげにしているやつらだ。
 でも教室のレイアウトから考えても、この14HRは南校舎3階の真ん中。北校舎のさらに北にある学食に真っ先に辿り着くには、かなり絶望的な位置と言っていいだろう。
 …まあ、ぼくはいつも弁当だから関係ないけど。
 周りが昼のパン争奪戦に備えて燃え上がっている、その雰囲気にちょっと呆れつつも、ぼく自身も集中力がだんだんと途切れていくのを感じていた。同時に頭に浮かんできたのは、朝気になりつつも通り過ぎた、あの場所のことだった。
 北校舎の通用口。
 そこに置いてあった、まるで工事現場からそのまま拝借してきたような、あの柵。何であんな所に…?
 あの向こう側には化学実験室くらいしかない…
 ん?化学実験室?
 そういえば、朝のHRで水元先生が言ってたような…
『…それから、暫くの間、化学実験室が立ち入り禁止になるそうだ。みんなも気がついたと思うが、実験室の前に柵が置いてあったな。そこから先には入らないようにな』
 そうか、立ち入り禁止のための柵だったのか。
 …でも、何のために?
「おい、水嶋!」
「ふえ?」
 不意に声をかけられて、ぼくは寝ぼけたような返事を返してしまった。
 顔を上げてみると、目の前には蟻川(ありかわ)先生の姿が。
 つい考え事を始めて忘れてたけど、今は数学の授業中だった。
「昼休みが近いからって、気を抜くんじゃないぞ!」
「はぁ、すみません…」
 気を抜いていたのは確かだったから、反論できない。
「愛の鞭だ!」
「いてっ!」
 意味不明な言葉と同時に、頭に軽い衝撃が走る。蟻川先生の手には、2mくらいの長さの棒があった。それで叩かれたのは間違いない。
 でも、授業の始めから気になってたけど、何故棒なんか持っているんだ?叩かれたことなんかよりも、むしろそっちのほうが気になった。周りのみんなも気になったらしく、なんだかみんな揃って呆然とした顔になっていた。
 そんな教室の雰囲気に構わず、蟻川先生は教壇に戻り、授業を再開した。
「先刻も言ったが、この公式は重要だぞ!」
 と言って、棒の先で板書された公式をコンコン、と叩いて見せた。
 お〜、そういう使い方があるのか。
 もちろん、公式じゃなくて棒のほうだ。
「これはもう、線形代数学では基本だな!」
 続けざまに、棒の先で空中に「基本」と書いてみせる。
 …読めないって。
「そしてこの方程式をグラフで表すと、こうなる」
 徐に棒を黒板に当てて、定規代わりにしてx軸の線を引いてみせる。
 …大活躍だな。
 棒ひとつが、ここまで使えるとは思わなかった。
「では、この問題4−1を…芝口!」
 棒の先を芝口くんに向けて指名してみせる。
 当の芝口くんは、額の先に棒を突きつけられて、かなり驚いていた。
 威嚇もばっちりだな。
「先生、いくらなんでも、いきなりは答えられません」
「なに? こんな問題は、見た瞬間に解が求まるはずだぞ?」
「そんなムチャなっ!」
「そうか、そこまで言うなら、少し時間をやろう」
 そう言われて、芝口くんは急いで問題4−1を解きにかかった。
 蟻川先生も意外と話せるのかもしれない。
 そう思った次の瞬間…
「他の者は、その間に問題4−4までをやるように」
 …話せる? とんでもない。
 考えうる限りの呪詛の言葉を頭に浮かべながら、それでもぼくはテキストの問題に視線を落とした。
 見た瞬間に解が求まる?…絶対に嘘だ。
 仕方なく、問題4−2を解きにかかったそのとき…
 3時限目終了のチャイムが鳴った。
「あれあれあれ〜、もう終わりか?」
 蟻川先生は、間抜けな声を出しながら驚いていた。
「じゃあ、問題4−4までは宿題だな」
 置き土産を残して、蟻川先生は慌てた素振りで教室を出て行った。学食のパンを買いに走ったのは、想像に難くない。
 それに続いて、学食組の生徒たちが、怒涛のごとく教室を駆け出していった。


 昼休み開始直後の、毎日恒例の嵐を見送ってから、鞄から弁当を取り出した。
「颯!」
 弁当を机の上に置いたところで、いつものように声がかかる。
 亨くんが、片手に弁当を持って教室の入り口に立っていた。
「うん、すぐ行くよ」
 弁当を片手に、亨くんの待つ入り口に駆け寄る。
「お待たせ。今日はどこにする?」
「そうだな…屋上にするか」
 亨くんは、少し考えてから、廊下を右に歩き始めた。
 こうやって、亨くんとぼくは、いつも弁当を食べる場所を変えている。
 最初のうちは、おとなしく教室で食べていたんだけど、そんなのは1ヶ月も経つと、お互いに飽きてしまった。『今日は外で食べないか?』って亨くんが言ったのも、それにぼくが応じたのも、ごく自然な成り行きだった。
 ただ、そこからが亨くんが他と違うところだった。
 亨くんは、とにかく色々と場所を変えた。中庭の池の前だったり、校門のそばにあるケヤキの木の木陰だったり、体育館のステージの上だったり(あれは恥ずかしかった)。
 で、最近開発した場所が、これから向かう南校舎の屋上だった。
「今週はずっと屋上だね。そんなに気に入ったの?」
「それもある。だけどな、今日屋上に行くのは、それなりの理由があるんだ」
「それなりの理由?」
「あんまり人に聞かれていいような話じゃないからな」
 …あ。
『…続きは昼にでも話そう』
 朝、亨くんがそう言っていたのを思い出した。
 話って、化学実験室に関係があることなのかな?訊こうと思ったけど、人に聞かれたくないようなので、屋上に着くまで待つことにした。
 やがて、階段を上りきって、ぼくたちは屋上に出る扉の前に立っていた。






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