East End episode 1
- 第1話 : 例えば、こんな朝の風景 -

今思えば、この時からすでに、非日常への扉を開いてしまっていたのかもしれない。
…考えすぎか。
(東高校14HR・水嶋 颯の日記より)







 8:22。
 朝の道路は、かなり混雑している。
 通勤のための車、バス、そして…数多くの自転車。
 その数多くの自転車の中に半分埋もれるような形で、ぼくも自転車で学校に向かっていた。
 この時間になると、同じ道路がここまで変貌するものなのかと、呆れるのを通り越して感心してしまっていた。それほどまでに、道は混んでいた。
 校門までは、あと20mほど。時間が無いので猛然とダッシュしたくても、ここまで混んでいるとそれもかなわない。仕方なく、ぼくは周りの流れに任せていた。
 ちなみに、かなり遅い。そのせいか、たった20mの距離が、今のぼくには何kmにも見えた。
 いつも通りに登校していれば、道路にはもっと余裕があって、この時間にはすでに教室に居て、友達と何気ない話なんてしている頃なんだ。それなのに、なぜ今日に限ってこんな混雑の中に身を置いているのかといえば…


 目覚ましの音に、ぼくは目を覚ました。
 放っておけばまず間違いなく30分は鳴り続けるであろうその目覚ましを手に取り、時間を確認すると…
 7:00。
 ひとつ頷いてから、時計のアラームをOFFにする。
 ちょっとした肌寒さと、ほんの少しの違和感(それが何なのかは解らなかったが)を感じながらも、ぼくはいつもどおり素直にベッドから降りる。昔から寝起きは良い方だ。
 んっ…、と伸びをひとつして、窓を開ける。
 朝の少し冷えた空気が、室内に入り込んでくる。
 いい天気だ。
 そんな風に平和なことを考えながらも、もうひとつ伸びをして、壁にかけてあった制服を身につける。
 鏡に向かって、ネクタイを締めていると、後頭部に寝癖を発見。
「…洗面所で直そ」言って、寝癖を押さえる。
 もう一度時間を確認。
 7:15。
 こんなもんだろ、とか思いながら部屋を出る。
 と、そこで隣の部屋が気になった。
 《朔美の部屋》
 扉には、そんなコルクの文字が配置されたプレートが下がっている。
 昨日、ぼくからCDの強奪に失敗して、そのまま部屋に閉じこもってしまった、姉さんの部屋だ。ぼくとしても、今日が返却日のそのCDを素直に貸してしまうわけにはいかなかったんだけど、今になって、
『覚えてなさいよ、絶っっっ対に後悔させてやるからねっっっ!』
とかいう捨て台詞が頭に蘇り、背筋が寒くなった気がした。
 あの調子だと、ふてくされたまま寝てしまってそのまま起きてこないって事も充分に考えられる。ここで起こさないと、後になって…
「どうして起こさなかったのよっ!」
…なんて言われるに決まっている。後々うるさいのもイヤだし、今回の件をこれ以上ややこしくしたくなかった。
 …仕方ない、起こしてやろう。
 ため息をひとつついて、姉さんの部屋のドアをノックする。
「姉さ〜ん、起きてる〜?」
 …返事が無い。まだ寝てるのかな?
「お〜い、姉さ〜ん!」
 さっきよりも強くノックするけど、やっぱり返事が無い。
 …仕方ない、直接起こすか。
 ドアを開けて中を見ると…
「あれ?」
 ベッドはもぬけの殻だった。珍しいこともあるもんだ、姉さんがぼくよりも早く起きてるなんて。いつもならばここで、
「あんた、なんでもっと早く起こさないのよっ!」
…とか言って、部屋の中で散々ドタバタした後、洗面所の争奪とか、先を争うような朝食へと展開するんだけど。
…まぁ、ぼくとしても手間が省けて助かるってもんだ。
 階段を下りて洗面所へ。今日は争う相手がいないので、余裕を持って使えるのがなんとなく嬉しい。
 洗顔して気持ちを切り替えたところで、先刻から気になっていた寝癖を直す。寝癖なんて滅多につかないからちょっと苦戦したけど、あまり時間もかからずに何とか直せた。
「おはよう、母さん」
 いつもどおりに食卓に顔を出し、朝の挨拶。でも、ここからがいつもどおりじゃなかった。
「おはよう、颯。今日は随分ゆっくりしてるみたいだけど、時間は大丈夫?」
「…え?」
 一瞬、母さんの言葉が理解できなかった。時間?
 時計を見てみると…
 8:00。
「…え?」
 もう一度、そんな声を漏らした。
 少し混乱しながらも、ぼくはこれまでの行動を振り返ってみる。
 起きたのが、いつもどおりの7:00。
 部屋を出たのが7:15くらい。
 姉さんの部屋に寄ってから、寝癖とか直して…それも割と素直に直ってくれたし…
 どう考えてみても、これまでの行動では7:30くらいにしかならない筈だ。それなのに、どうして…?
 時計が止まっていたとか、電池がなくなっていたとかって訳じゃない。
「…あ」
 不意に昨日の姉さんの言葉が頭に蘇った。
『覚えてなさいよ、絶っっっ対に後悔させてやるからねっっっ!』
 …姉さんの仕業か。
 ぼくが寝ている間に部屋に忍び込んで、時計を30分くらい遅らせておいたんだろう。まったく、信じられないことをしてくれる。でも、その幼稚な手段が、いかにも姉さんらしかった。
「やってくれたな、姉さん…」
 つい口に出てしまったその言葉を、母さんは聞き逃さなかったようだ。
「また朔美かい? しょうがない子だよ、まったく…」
 ため息をひとつはきながら、それでも母さんは笑っていた。笑い事じゃないってば…
「そういえば、姉さんは?」
「もうとっくに出掛けてるよ。それで、颯は大丈夫なの?」
「…大丈夫じゃない」
 ぼくはトーストをくわえながら、鞄を片手に玄関に走った。こんな体験をするのはひと月ぶりだ。言うまでも無いけど、その時遅刻しそうになった原因を作ったのも姉さんだった。


 …というわけだ。
 いっそのこと、堂々と遅刻してしまいたいと思ったことが今までに何度あったのか…そんなことはもう忘れてしまった。いちいち覚えてたら胃が痛くなる。それに、「姉の悪戯が原因で遅刻しました」なんて言い訳が通用するとはとても思えない。
 いつもに比べてかなり速いペースで走ってきたこともあって、20分足らずでここまで来れたけど…ここに来てこの渋滞だ。この調子で予鈴に間に合うのか、すごく心配になってきた。
 3時間の長い行列に並んでいたような錯覚から開放されて(実際には1分も経ってないと思うけど)、やっと校門に辿り着くことができた。
 時間は…
 8:23。
 予鈴まで、あと2分を切っている。
「…ちょっとヤバイかも」
 そんなことを口に出しながらも、校門を走り抜けた。南校舎と北校舎の横を通り過ぎ、正面にある学食を避けるように、そのままの勢いで左に曲がる。
 目の前には、無駄に広い自転車置き場。いつもの場所に自転車を停めて、ぼくはふと周りを見てみる。予鈴直前だっていうのに、まだ20台は自転車が足りない。
 思わず苦笑をもらすけど、そんなことしてる場合じゃなかった。
 時間、時間っ!
 もはや、時計を見るのももどかしい。
 大丈夫、まだ予鈴は鳴ってないっ!ぼくは自分にそう言い聞かせて、昇降口に向かって走った。
 北校舎の通用口を通り抜けるとき、視界の隅に妙なものが飛び込んできた。
 (なんだ?)
 無意識に横を向くと、よく工事現場で見かける柵(黄と黒の斜縞のヤツ)が、化学室の入り口を封鎖するように置いてあるのが見えた。
 なんだろう、と立ち止まりかけて、僕はすぐに自分の置かれた状況を思い出す。
 だから、時間ないんだってばっ!
 迷いを断ち切って、南校舎の昇降口に駆け込んだ。
 ミドルカットのシューズを脱いで、スリッパに履き替える。あたりまえだけど、すごく走りにくい。いつもは特に何とも思わないけど、今日ほどスリッパが恨めしく思えたことは無い。断言できる。
 そんなことを考えながらも、階段を1段飛ばしで3階まで駆け上がった。
 廊下に踊り出て(踊ったわけではない、念のため)、真直ぐに自分の教室、14HRに向かう。
 教室の扉を開け、直後…
 予鈴。
 …何とか、間に合ったらしい。
 扉のところでほっと一息つくと、後ろから声が聞こえた。
「ほら水嶋、早く席につけよ」
 呼ばれて振り返ると、担任の水元(みなもと)先生が、教壇側の扉に歩いていくのが見えた。
 そういえば、今予鈴鳴ったんだった。
 まだ荒い息を整えながら、ぼくは自分の席に向かった。
 水元先生は教壇に手をついて、ざっと教室を見回した。
「今日も集まりが悪いなぁ…」
 ため息とともに、諦めにも似た言葉を吐き出した。いつのまにか、この言葉が朝のHRの始まりの合図になっていた。実際、まだ15人ほどが登校していなかった。
「みんな、もうちょっと早く来るようにしような」
 やっぱりため息混じりに言ってから、簡単な連絡事項に移る。
 いつもならば、殆どぼくには関係の無い話ばかりが繰り出されるのに、今日はいつもとはちょっと違っていた。
「…それから、暫くの間、化学実験室が立ち入り禁止になるそうだ。みんなも気がついたと思うが、実験室の前に柵が置いてあったな。そこから先には入らないようにな」
 化学実験室に立ち入り禁止?
 どうしたんだろう、と思い始めたとき、本鈴が鳴った。
「じゃあ、これで朝のHRを終わるぞ」
 そう言って水元先生が教壇から離れようとした直後、廊下に足音が響き…
 次の瞬間、残り15人の生徒が、教室の扉を開けて雪崩れ込んできた。
 水元先生は頭を抱えていた。






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