piece.

事象を本人の許可を得て載せています。

……というか、本人の希望する意図として
「困っている人達に自分の姿を伝えてあげたい。」
それが、情報公開の発端です。

なにか……考え深く……
なにかの奥の……

ここを読んでくださる貴方。
自分を見つめる糧にしてみてはどうでしょうか?
一つの節の提案です。

私自身、公開するか迷っていたのだけど、やっと決心がついた♪

でも、別に無理に他力の慈悲に、自分の心を重ねたわけではありません。

いろんな 事象の欠片 をここに置いていきます。


piece1.
G-Shock DWM-101 ST
皆さん、 G-Shock という時計を知ってる?
これは、今も私の仕事机の上で時間を刻むオブジェ。

ある小牧の工場に私は派遣社員として行く。
Computer で飯を食らう私は、工場へそのFA機の同期周りの制御、集計、解析softを作っていた。

工場とはいってもPC部品の工場。
綺麗なもの。
なので工場の職員と事務の休憩所は一緒だった。

私は当時 25 歳だったのですが、当時 5? 歳の友達をそこで作る事になる。

私は自分に正直に、あと言わないと誓った約束を守る信念で生きてきただけで、
これといって何もしていないが、芯のある人だとその工場では言われてた。

そんな中、背の高い 50 後半の男の人が絡んでくる。
「お前、まじめだな。」
はじめての会話はそんな内容だった。
私はその人がどれほどの苦労をしているか知らんが、
口調からにじみ出る自信と、嫌味の無い偉さにちょっと好感をもっていた。

そのうち休憩室へ、そのおっさん(友人だけどね)と話すのが楽しみにさえなっていた。
私は仕事に対してpolicyがあり、休まず、遅刻をせず、全力を尽くす事にしている。
おっさんも全く同じ考えの持ち主で、外見も口調もマフィアみたいなんだが、背中に見えるものは確か。
そして、おっさんは、重い口を開く。

名字が変わっているんですが、その謎が解けた。
琉球生まれ。

今から何十年も前、日本は世界で戦争する。
血の雨、血の涙……。
そのおっさんの父親は、おっさんが生まれて直ぐに戦争の犠牲者。
戦争に犠牲者という言葉が正しいのか……私には結論が出ていないので、
未だに違和感さえある。
(……なにを犠牲にしたの……なにが犠牲者なの……)
犠牲者では片付けられないもっと深いところに答えがありそうと考える。

話はもどり、琉球で平和ではない状態にある時期を迎え……。
おっさんは今でいう小学生にもならない時期に母子家庭になる。

原爆が日本に投下され、怒りと憎しみの激突は終焉を迎える。
母一人に子一人。
渡米して生活を立てることを決意されたようだ。
渡米し、おっさんが小学生の頃、事件が起こる。
違法の薬に手を染めた数人の若者に強姦に……、そして殺される……。

州によって義務教育費を貰う少年は、近所の銃取り扱い店のじいさんに育てられる。
若者になったおっさんは、学問の知識もなく、定職につかず暴れたらしい。

その行動に、ふとある日空しさを憶え、うろ覚えの故郷日本へ無理矢理帰国を目指す。
国籍もなく、所在できない人でも、無理矢理入れる世の中だそうだ。
愛知県にやってきた、おっさんは、英語ペラペラな工場の従業員。
おっさんは、仕事が出来るが、社宅のある環境で契約社員でしか雇ってもらえない。

しかし、すべてを否定して生きてはいない。
それは、おっさんの若い頃に、散々America でやってきていて、もう気づいたこと。
今更……そう、今更……。



自分は、このおっさんの表面だけでも、空気を感じることが出来て幸せだった。



ある日、おっさんに、長野の地酒をかってきてやったんです。3,000円ぐらいのもの。
まぁ、旅に出たとき、ふとおっさんの顔が浮かんだので、何気なく買ったものだ。
おっさんは、あっからさまに照れてやがる。r(^-^;;;
私には意味不明。
あそこまで、強靭な精神をもった人が、手土産一つに心を動かされるはずもないと確信していたからだね。

そろそろ契約期間も終わりに近づき、何気なく酒の味を聞いてみた。

おっさんは、酒を飲んでいなかった。
酒豪で安い酒でもキャバクラでドンペリでも飲むおっさんがだ。
神棚に飾る神様下ろして、私の買ってきたお酒を飾っているんだそうだ。
呆れたを通り越して、倒れそうになった。

おっさんは、私が期間を終える前に時計をくれた。
若者に人気なんだってな……とかいいながら。
おっさん!時期終わっているよ。(笑
まぁ、気持ちの問題だからいいか。
おっさんはパチンコの景品だといっていた。

人から物を貰うのは30年振りだったそうだ。
……っていうかスゲーびっくりした。
その時計 G-Shock だった。

おっさん、おれ腕時計しないんだけど……。r(^-^;;;;;;


piece2.
dying message...
まぁ、いろいろと世の中で騒がれている事がある。
何が正しいのか、何が間違っているのか。

そもそも、単純明快な事で、正しいことはないし、
間違っている事なーんて、人間が都合の悪い事を悪事と決めただけのこと。
実にくだらん。
災いが降りかからないように、臆病な人間どもが決めた、くだらん都合だ。
俺もくだらんのかな……。決まっているか。



あれはいつだったかなぁ。
この文を書きながらちょっと手が震えている。
大学を卒業した頃、俺はとりあえずの職を求めて、派遣業その1を選ぶ。
ご飯が食べればそれでよかったし、その頃から俺にはやりたい事が山とあった。

適当な会社だったが、そこそこ居心地が良かったし、別に問題はなかったかな。
そこの会社の同僚だったやつで、俺と同じ日に入ってきたやつがいた。
年齢は21歳。
出身地は福岡県。
親戚のうちに居候中。
別にこれといって特別な奴じゃなかった。
うん、一ついえば、ひょうきんだった。(^^;
彼には夢があった。
彼は America へいって、映画俳優になることだ。
顔は……まぁ、表現力の問題だ。関係ないだろう。

名古屋に友人がいるわけでもなく、彼は俺とよく話した。
まぁ、次から次へと話が出てきて、楽しい奴だった。
自分は、結構話題が無いつまらない男なので、彼のその話術は魅力的だった。

歌が好きな奴で、俺は彼の「夢基金」に邪魔にならないように、俺の奢りでカラオケによく行ったものだ。

野郎が二人っきりでボックスを2時間以上出てこない。
異様な光景。r(^^;;;;;;;;;;;
しかも、俺、極度の音痴。でも、恥ずかしがらずに大声で歌う。
自分でも、ジャイアン(ドラえもんの)だと思う。(笑
#カラオケでの俺のあだ名(カラオケジャイアン)r(^-^;;;
俺、車を出して結構名古屋を教えてやったっけ。
楽しかったなぁ。
九州では、いい奴いなかったんだろう。
奴も、俺を初めての親友だと思ってくれたらしい。
電話でも結構話した。
といっても、奴は携帯をもたない主義なので、奴は親戚の家からで、あまり繋がらない。(^^

俺も興味を持ってきて、彼にいろいろ質問する。
何故 Hollywood なのか?
彼はこう答えた。
Americaの文化が好きだ。
でも、本当は違っていた。
彼の高校までの生活は、虐めと虐待の中で逃げ出したかっただけだったのだ。

俺的には、それでもいいと思っていた。
どちらにしても、彼は夢を大きくして、否定する未来を作らず……。
彼は夢を実現する努力をしはじめていたんだから。

切欠なんて何でもいい。
弱く小さい存在が、希望の塊を胸に羽ばたく事は、なんと素晴らしい事か……。
俺には、この過程を過ごす彼と知り合えて、俺は恵まれていた。

数ヶ月の時期が過ぎ、彼はAmericaへいく資金が出来ていた。
その間、俺と彼は楽しい月日を過ごしながら、
俺は俺のやりたい事をこなしていった。
彼は、俺のその点を尊敬さえしてくれていた。

奴は日本を離れる前に、俺に会いたいと行ってきた。
初めて、俺は会社に有給をとり、そいつに会いに行った。
どーも、俺はシケた空間が苦手だ。
会話は……。空元気、どもり、空気が重い。
でも、彼は、日本を出る事で辛いのは、「俺との距離だ」といってくれた。
俺はただ、がんばれよ!!自分の人生なんだから。
というだけで精一杯だった。
実質、それ以外望むことはなかった。

それから、半年後ぐらいだった。
俺の携帯に奴の居候先の名古屋から電話が掛かってきた。
彼が今日本に帰って来ていて、九州の病院にいると言っていた。

なんでこんな電話が掛かってきたのか。
この電話には続きがある。

彼は俺に会いたいと云っているとの事だ。
しかし、九州は遠すぎる。
そんなにしてまで、会いたいってのもあるけど、ちょっと苦しい。
しかも唐突過ぎる。

しかし、結局行く事になる。
よくわからんが、どうしても会いたいってことらしい。
俺は状況がよく理解できないまま、九州の小倉という所へ向かう。

高校の修学旅行以来だ。九州へ行くのは。

とある病院へ向かう。
ある程度想像していたが……。

そこで見た光景はあまりに残酷だった。
そこにいたのは、骨と皮の人間。
体重は身長 170 cm (俺と一緒)
に 30kg もない状態だった。
病名を、今記憶から思い出したが、聞いていない。
俺にとって、もはや病名なんぞ聞いても何の価値もなかったからだ。
変わり果てた姿。
俺は、どんな顔をしてたんだろう。
すべての体力を声に代えているような消耗する口調で俺に話し掛けてきた。
彼の体には意味不明の装置が沢山ついている。

彼の話をまとめるとこうだ。
America へ行った。
America は素晴らしかった。
しかし、America のいい面だけに憧れていってしまった。
向き合ったのは、全部の America 。
日本にはない辛さがたくさんあった。
精神的に追いやられ、重度の精神疲労と肉体疲労の中、完全に自分を壊した。

完全に潰れた彼は日本で休養をする事になり、今の病院に運ばれる。
ここで休養をし回復へ向かうはずだった……。
しかし、精密検査の結果、不治の病に成っている事に気付く。

……死期も近くなり、私に会いたいと思い呼んだそうだ。

俺は、彼の淡々と語るその事実の話をどんな顔をして聞いていたんだろう。
彼は病の深刻さより、私と会話できている事のほうが気分的に勝っているような気がした。
彼は笑っていたから。
俺は多分ビックリしすぎたんだろうな……。
涙なんて出やしなかった。
彼はどこへいっても逃げる理由で希望を抱く事の無意味さを教えてくれた。
彼は俺に感謝を言いたかったそうだ。
「俺が語る言の葉の重み」が心の支えだったといった。
実際には「何でもよかったのだろう」と俺は思う。
彼には友がいなかっただけだ……。

人の死はいつ訪れるか分からない。
だからこそ、毎日を一生懸命いきなきゃ駄目なんだ。

いつ死ぬか根拠もないかもしれない。
でも、いつまで生きていられるかも根拠もない。

身近な死が、それを現実のものとされる。

誰が死ぬのか……。
誰がしぬんだ。
死ぬのは自分だ……他の誰でもない。
だから、自分の人生を一生懸命生きなきゃ後悔する。

この時代になると平和で文学的な所為で、他人の言葉を沢山借りることになる。
でも、自分が生きているのである。
自分の意見を全ての事象に、全ての人が持って欲しい。
俺は、このとき、そう切実に願った。

彼は自分の人生に悔いは無いといっていた。
でも America ではなく日本で頑張りたかったといっていた。
その理由は 日本 から逃げ出して america へ行ったからだそうだ。
逃げる理由で、憧れる先には、きっと逃げた以上の辛さがその先にある。
彼はその大きさを身をもって知ったのだろう。
彼は俺がよく相談を受ける事を知っていた。
自分の体験も活かして欲しいという message を頂いた。
彼の生き様は俺には人間としてスジの通ったかっこいいものに見えた。
俺の人生、俺流に生きてやろうと改めて気を引き締めたのを憶えている。

やっとその気持ちを形にできた。
彼には説いた話がある。 それが jigsaw puzzle 。
そして私の key である peo の p は Piece, Puzzle の意を込めてのもの。

よーするに忘れないようにと身近に置いたって事だね。r(^-^;;;
でも一ついえる事は彼は間違っていた……そして、それでも正しかった。
俺はそう無理矢理ではなくて、彼を今でも思い出す度にそう確信する。


piece3.
E-mail : 拝啓 HP拝見させて頂きました。
いろいろな事象が自分から行動を起こす場合だけではなく、
時には外から入ってくることもある。
俺はこの刻の on-line でのやりとり(E-mail)を消してある。
それは当人の希望によるものだ。

しかし、消してからだいぶ経つある時期また一通手紙が届く。
その人からだ。
「自分と同じ悩みを持つ人に、kuno が話す資料になるなら、そうしたい。」
そう書いてあった。
私の記憶が残っているうちに書くべきか……。
俺の答え(俺の本心)はどう整理がつくのか……。

でも、 piece2, piece3 の人達一つ間違っている。
俺ってさぁ、そんな相談所みたいに相談事が入ってくるわけではないよ。r(^-^;;;;
あーんど、俺でも解決できる相談事ってのは、実は他の誰でも一緒。
まぁ、折角俺が選ばれたので、俺の都合にあう適当な時間で答えているだけ。
でも基本的に他人のためじゃない。
そう、課題に対して自分の答えを明確にしているだけだ。
答えってのは、最終的に自分で見つけるものだからね。
無論、別の答えにしろってわけではない。
なにか納得できない部分がきっと出てくるはずなんだよ。
そこに自分の意見を盛り込む、書き直す、ぶっこわす!



この mail が来たのは 2001 年の夏頃。
俺は就職の先を探していた。
いつものように mail を読んでいるとfiltering できない手紙を発見。
ん?と思って読むと、17歳の女性から mail が届いていた。
#今おもいだしたんだけど、最初は
#”ペンネーム「ひまわり」女の子です。”
#っていう情報だけだった気がする。途中から名前になったんだけどね。(^^;

どこに住んでいる人なのか、名字は何なのかわけのわからない不思議な mail だ。
メル友とかやっている人なら当然なんだろうけど、俺そういうのやったことないから……。
俺の知らない世界だから……小心者なのね私……r(^-^;;;。
#一応行っておくと私は何にでも手を出す人です。
#形で自分の好きなものを決めてしまうより、体験してみて俺の価値観で判断したいから……。
#俺の勧めるものは、机上の空論から展開されたものじゃないからね。v(^^)

そーそー。
当時、一番気になったのが、yahoo とか google とかで検索しても、
俺の web site って引っかからないはずなんだよ。
どーやってやってきたのか……。
#今はひっかかります(爆)

mail の内容を思い出しながら書くね。
内容は確かこんなような内容。
「kuno さん、貴方が何を云っているか全くわからん。」
唐突アンド、何故、我が 情報発信を捨てて置いてくれないのか。
だよね〜、だって 変な site を見つける度に
「変」とか管理者に伝えて廻っていたら恐ろしく大変だよ。

だから、俺的にはこの言の葉の意味がわからなかった。
でもね、文脈からと、そういう文面を送る心理にはきっと困った事があるんだと思ったよ。
そこから、寄り道をしつつ、相談へ話は深くなっていったんだ。

彼女はね。中学生の時に社会に出たくてしかたなかったんだ。
日本って国が大好きで、文化、文明、いろいろな憧れを持っていたんだね。
中学時代に担任の教師や、親の反対を押し切って、社会に飛び出した。
彼女は絵を勉強始めるんだ。
選択肢として美術学校へ行くという手段があると思うんだが、彼女には魅力が無かったらしい。
彼女にその理由も聞いてみた。
彼女にはその基本的な学問に上書きされて自分を表現したくないという policy があったらしい。
そこで、自分の思い描く理想の師匠を見つけ弟子入りしたという事だ。
俺は、その答えは間違っている事を指摘していた。

  • 鵜呑みの学問は、学問だけではなく、自分さえ見失う事になるという事。

  • この考えで自分を作っていくと、自分を作ったり一般像に飲み込まれたり、自分を管理できなくなるほど、酷い状態に陥り易い。
    その中で見つけた少しの自分は宝物なのはわかるけどね。

    でも、ここでも説明しなきゃ話が進まないので、一応書いておくぜー。

    1km という課題を出します。
    Q. 1km とはずばり、あなたにとって何ですか。

    真剣に心にある答えを思い浮かべてほしい。
    俺にとって、 1km というのは、タンタンタンタンタンタンタンタン……。
    なんだよ。
    実は 約 30秒ぐらいかな。
    そこに俺の 1km の image があるんだ。
    そう俺にとって、 1km は 大体 30 秒のrhythm。
    理由はどーでもよくて、大切なのはここで、1000 m とかそういった連想に繋がっていない事。

    確かに 1km の image を 1000m と持つのはおかしい事じゃない。
    おかしくないけど、そんな image を持つ人間の変わりはいくらでもいるんだよ。
    決してそんな、想像を持つ奴に俺は魅力を感じない。
    でも 1km == 1000 m が否定できないのは事実だ。
    しかし、根底を覆してほしい。あなたも必要な人間なんだから。
    1km == 1000 m という連想を……。
    例えば、
    1km = 楽しい。
    1000 m = 面倒くさい。
    これでいい。
    同じ長さを表しても、人によって価値は違うんだ。
    同じ意味をもっていても、人それぞれの意味は違うんだ。
    一緒じゃない二面性をもっていて、その全ての人のimageを認めること。

    image は自分の image が認めて欲しいんだったら、全ての人の個性を認めることだ。

    ここでよく質問が来る。
    俺、私が認めても、皆がそういう考えをもってくれるわけじゃない!!
    そんなのは皆がそういう意思をもたなきゃ無意味でしょ。
    そんな空振った人生なんて、それこそ魅力ないじゃない。

    そんな人に2つ応えている。(not 答えている)

    大切なのは、他人がどーのこーのじゃないんだよ。
    自分が、どういう世界観を作ってその中で生きていくか?なんだよ。
    世界観ってのは世の中にあるんじゃ無い!
    それこそ他人の所為にしている証拠。
    この世の中の事象を優劣つけて評価した自分の世界観なんだよ。
    その証拠に自分の知っている世界を世の中として認めて語るよね。
    でもさ、世の中の全てを知ることって可能だと思う??
    自分の見えてる世界って全部なのかな?
    そうだったら、もう学ぶものは無いよね。
    一部を知って、全部を評価して、価値をつけて……。
    でもさ、すこし生きてみると新しいことが見つかって。
    それに加えて、他の人が新しい事象を起こす……。
    &それを一般風情として自分の主観で評価しているに過ぎないでしょ。
    結局、客観的に見ているようで主観で作り上げた自分だけの世界観なんだよ。

    でもそれは、無意味じゃない。
    それはたぶん、皆が気付いていること。

    その世界観が自分の社会への image なら、作り変えて見せろ。
    事象の価値を変えれば、きっと変わるから。
    天使になって、美徳化することじゃないよ。(正義なんてないんだから)
    自分の納得のいく理想に変えるんだ。
    全ての事象の中で、自分が自分として生きられる最高の世界観に。
    素晴らしい人生とは、自分で作れるものなんだよ。



    閑話休題。
    彼女は いわゆる「鬱」の病気になっていた。
    精神の疲労が肉体を破壊していた。
    とくに女性はこの病気によわい。
    かかると酷い事になる case が多々ある。
    医者に私は話を聞きに行ったんだが、再発すると二度と治らない事もあるそうだ。
    症状は人様々でなんともいえない。
    現代病として認められるほどの数になっていて、深刻なのは確かだ。

    思うように体がついてこない。
    難しい事を考えると頭痛がすぐ酷くなり、体調を崩し、酷いことにいつ直るか検討がつかない。
    しかし、この悪循環のspiralから抜け出そうと気力を振り絞り光を求める。
    人間さえ不信感で覆い尽くされる。
    彼女との mail のやり取りはそんな感じの事を訴えていた。

    彼女の原因は 絵としての師匠との関係にあった。
    全てを賭けて、先生、両親を敵に回して外へ飛び立った彼女には逃げる場所がなかった。
    逃げる場所……帰る場所……頼れる場所……頼れる人……。
    全てが欠けていた。
    友達は何人かいたらしいが、同情はしてくれるが理解はしてくれない。
    親友といえども、面倒くさいと思われたくない自分がいる。
    支えて欲しい事はもっとおくにある、ドロドロした部分。
    でも、そこまでは……。
    結局、自分の精神限界まで自分で包み込んでいつかくる希望の日を待ち続けた。
    悲痛が、自分の限界を越え始める。
    崩壊が始まり、自分を失うのが分かり始めていた。
    どうてもよく思えてくる価値観と根拠の無い苛立ち。
    真剣な顔と嫌悪感が区別できずに、笑っていない人全てが自分に対して怒っている感覚があった。
    絵の師匠は作品的に尊敬する人だったが、人間的に腐っていた。
    手におえなくなった師匠が親元へ返したそうだ。
    今も精神病院へ通院しながら静養中だという。

    彼女は、何でそうなってしまったのだろうか。

    でも俺は、その所為にして欲しくは無かった。
    酷な言い方をしたが、俺は彼女自身が自己暗示によってそうなった事を伝えていった。
    最初は反発していた彼女だが、俺宛の返信 mail は来なくなっていた。
    でも俺はひたすら、無意味かもしれないが、その「意」を送信続ける……。

    上でも述べたが、全ての image 、印象は全て自分で作ったもので、この社会に image があるわけじゃない。
    もし、社会の image を共有してしまっているなら、そこに個人が生きることは不可能だ。
    だから、自分の代わり、代用はそこいら辺りに沢山いる事になってしまうんだよ。

    ある日、その子から mail がやってくる。
    自分の答えがみつかったそうだ♪♪
    俺は凄くうれしかった♪
    当時 25 歳の俺が 17 歳の子に惚れてしまいそうだったぐらいに。(一度も会ったこともないくせにね。)
    #あぶねー奴だな。俺って。(汗
    #でも、俺は自分を持っていて個性のある女性に惹かれるのかもしれない……。
    彼女は今日までの自分に気付いていたが、意識してなかった事として、

    「自分で生きるって事が、自分に自信がなくて、世の中の意見を鵜呑みにして信頼をして作り上げた幻想だった事。」

    「もし、自分が生きるなら、自分が活きるなら、それは、自分で確かめる事」

    だって彼女は言っていた。
    #ふむ、なぁるほどねぇ。(俺的感想。)

    自分を絵に表現するため、独学する空間として France へ行くといっていた。
    その前にどうしても、俺に一目会いたいと言ってきた。
    別に断る理由もなかったので簡単に OK をした。
    彼女は横浜に住んでいた。(めっちゃ遠いよぅ。) (T_T
    結局名前(苗字かな)さえ聞かなかった。
    顔は奥菜恵っていうタレントにすんごく似てた。(だからどうした。(笑)
    #それぐらいしか、特徴おぼえてないんだもん。r(^-^;;;
    それよりも、彼女の母親も来ていた。
    俺は意味不明に焦りまくった。
    mail をやってから初めて彼女は笑ったらしい。
    それを感謝しに母親がしゃしゃり出てきたって事らしい。
    #おいおい……。r(-_-;;
    別に、彼女やその母親の為に、俺は何かをしたわけじゃない。
    ここいら辺りが、まだ、俺を理解していないな。こいつらは。(-_-メ)
    俺は、俺がそうしたい、そうしたい人生を歩んでいるんだよ。(^^)
    他人様の為に俺様の時間を踏み潰しているなんて勘違いもいいところだ。
    #俺様をなめんな!!
    つまり、相談に応じたのは、俺が、己の時間でその時間が大切だったからだ。
    はぁ……、ちゃんと理解する前に、Franceへ行くなんぞ、ふってー野郎だ。(アマか(笑))
    喫茶店でちゃっかりと、coffeeをご馳走になった俺は、
    「自分にしっかり活きろよ。」
    と言い残し、愛知へ帰る。
    今ごろ France にいるのかな。
    がんばれよーーーーーーー。

    余談だが、なんで、なんで、皆外国へ行くんだ???
    場所を求めない、自分の意志で選択した地へ。
    その結果が物語るのだろうか?
    俺には、そういういい存在が外国を発展させていることが気に食わん(笑
    そいつらの新しい思想は、新しい日本を作るのに凄く大切なんだよ。

    価値観に固定概念をもってしまった時代を止める人は人間の歴史上多々いる。
    だから、こそ、おれは新人類という名前をつけて、新しい価値観を作る人間を纏めている。

    Rome の Caesar が言った言葉の中の一つにこういうのがあるそーだ。
    「最近の若い者達は……。」
    プププ。今でもつかってるよね。

    こんな昔から若者はこの言葉を云われ続けているんだ。
    何故だろう???
    それはね。
    多分、価値観に固定概念を気付きあげていて、それ以外を拒む生き方をしているから。
    そのほうが、自分の経験にね、経験則が簡単に作れるからなんだよ。
    一種の自分の心への暗示。自分を洗脳する典型的なものだね。

    日本でも40年前、ジーパンを履いている奴は不良だったのを知っている?
    それを40年代の人達が壊してきてくれたんだよ。(^^)
    #俺沢山ジーパンもってるからなぁ。感謝感謝。

    しかし、若者だった彼らも今じゃぁ、
    「最近の若者は……。」
    当然の如く口にする。r(-_-;

    そう、壊された文化を標準(的な価値観)として新しく生まれてきた人間は、
    新しい疑問点に着眼しそれを破壊しようとするんだよ。

    それは一世代前では、どうでも良かった事。
    他に壊すものがあったから……。
    経験則に安住の地を求めた者達は理解出来なくなった時、口々に
    「最近の若者は……。」
    と、この言葉が世の中に。

    しかし、それなら、言わせておけばいい気もする。

    でも、俺はね、もっと新しい人類に成る。g(^^)/
    全ての事象の意味を俺なりに根拠を考えて見せる。(へへへ)
    そして、俺は、その人種を創って、新人類と命名している。(^^)

    多分ここを読んでいる人は、かなり新人類なんだろう。
    そんな気がするんだ。(^^)

    きっとね……信じていたい。(*^^*)


    p.s.
    俺焦った。
    今日この文を書いていて、ふと気付いた。
    なんと!!!!!
    送信済みの folder に消し忘れの mail (俺が出した分+引用部分)が残ってた!!!
    うわ〜〜〜〜。どどどどどどうしよーーーー。
    ……
    ……
    ……
    まぁ、今消したので問題無しだ。(大汗
    ……
    ……
    ……
    ……っ
    ……ごめんなさい。m(_ _)m


    piece4.
    樹海に痕を残して
    theme "人……"
    そして
    theme "死の重み……"

    俺が、果たしてどれほど自分の中で死に対して
    己の意見で確かに生きているのか……。

    実は考えてなくて
    本当の自分に重みを軽く受け止めているのでは……。
    その疑問を拭い切れない……
    そういう人間になっていた事に気付いた。

    ……特に piece 2 での事象では痛感した……

    身近に感じて欲しい事象

    身近に感じていたい事象……

    事象の傷痕を観察し対処として行動し過ごす日々……

    今思えば、この刻の"事象の重み"は
    "仕事量"
    のように感じていたのかもしれない。

    実際にあの刻、己がどういう心境だったのか……
    未だに不明確……。

    孤独。
    それは一人と意味が異なっていた。
    楽しむ……。
    楽しむ事……。

    楽しむことには、必ずあるもの。

    それは楽しい事の「終焉」

    終焉のときに必ず来るもの。

    それは巨大な寂しさ。

    何故寂しい……。
    なぜ、こんなに辛い……。
    なぜ、こんなに苦しい……。

    なにが、苦しい……辛い……。
    なにが……。

    言の葉になりきれない複雑な感情がメビウスのように、
    自分の心を支配していた気がする……。


    俺は TV などから有名な日本の樹海へ足を運ぶ。
    といっても別に暗い重い空気があるわけではない。

    木々は魅力的に葉を広げていて、それこそ青々としている。
    空気はうまいし、空一面澄み切っている。
    まさに森林浴効果、relaxation効果が自分に浸透しているのだろう。
    一応言っておくと、
    TV などの narrator のように特別な印象を創造したりはしない。
    だから、
    「何か異様な空気」
    とか
    「辺り一面に張り詰めた圧迫感」
    は微塵もない。
    この二つは私の場合、ソッチの能力が無いので
    正直、恐怖心理でしかない。
    この素直な感想は、自分の心を表した表現だと考えている。

    立派な道路があって山を囲むように続いている。

    道の駅というところに車を駐車し、
    自分と名所の中で気持ちを整理しに来た事を自分に言い聞かせる。
    #関係ないけど、恐竜展やっていた。興味津々(笑

    やはり大自然の中……(^^)
    考えないといけない事とは裏腹に、気分は軽くなってしまう……。r(^^;

    樹海が広がる。
    森の中に入ってみたいが、多分帰れなくなるので、想い留まる。r(-_-;

    道沿いに歩みながら思想を深めてみることにする……

    歩いては、木々に目を配り、そのやさしく感じる光景……。
    その光景とは全く異なる人の死について「起点も無く」闇雲に思考を彷徨わす。
    ……何か考える自信が持てる起点がほしい……
    そこから枝葉を成長させるのは、問題はないだろう……。
    しっかりとした「根」だ……。

    この日、結局、何も見つからなかった。
    日は暮れてしまって、とりあえず退却。
    頭の中は、無駄足という image で一杯だった……。

    こういう場所には大抵、温泉があるはず(富士山は休火山です。)
    なんだけど、周り一体に見たら無いので
    他県まで drive に行き温泉+宿(食事なし)で 1,800 円 という格安の宿を発見し一泊する。

    次の日の早朝。
    目が冴えてしまってダメ。また、樹海へ向かう……。同じ道の駅に車を駐車。

    昨日と変わらない光景……。
    また、起点となるものがみつからないような不安感が募る……。

    でも、行動を起こさない限り、変わりはしない……。
    自分に、経験を止める想定は無益だと、自分の過去が教えてくれたこと。

    そう言い聞かし、同じ roots を歩き始める。
    紅葉台……。綺麗な場所。

    やはり、自分の中にある、「死」に対する考えの起点さえわからない……。
    漠然としていて、物事としての事象が大き過ぎる……。

    俺が、己自身として、妥協せずに納得いく思想が浮かばない。
    そんな 負の spiral 現象を永遠と深めてしまった……。

    その日も結局収穫は無し……。
    自分の無能さに、ちょっと blue ……。
    同じ宿まで車を飛ばし、床につく。

    三日目。

    帰ろうとちょっと思ったんだけど、それ以上に答えを出したい気持ちでいっぱいだった。
    何かの時間か、何に追われていたのか、未だにわからないんだけど、
    答えを出せない自分に焦っていたみたい。
    その感覚だけは鮮明に覚えている。

    同じ場所に行く。今日で三日目。
    道の駅で、みやげ物屋のお姉さんに、とうとう話し掛けられる。
    「よく来られますね」
    私は、嘘はつかない事が pride なので、
    「そうですね。今日で三日目になります。ちょっとがんばってきますよ!」
    と抽象的ではあったけど、間違ってはいないと思う。

    気合をいれて道へ出る。
    ここの道は長くて、道の駅から出ると、相当な距離を歩く事になる。

    でも、三日目という事で景色にも記憶と一致する場所が増え、新鮮さは無くなっていた。

    だからこそ、なのかもしれない。
    普段、見慣れないものに、直ぐに気づいてしまうのは……。
    suit を身にまとい、変な case を持ったおっさんが木々の中を歩いている。

    俺と視線が合い、一目散に逃げやがった。
    #っていうか、そっちはやばいでしょう???
    #森の奥なんですから。(-_-;

    しかし、人の顔を見て一目散に逃げ出すとはどういう了見だ。(笑
    おっさん、逃げるのはいいんだけど、結構体力無いね。
    #(というか、ここは標高 1,000 m 付近です。)
    お:「うわぁ〜〜〜!!あっちいけ。」
    直ぐに追いついて tackle かまして、おっさんを倒す。(^^;;;

    お:「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……」

    信じられないぐらいの早い口調で連発する。よく呂律が廻っているものだ。r(^^;;;

    私:「なんで逃げた。オイ?!」

    とまぁ、こんな感じで、おっさんから事情を聞くとこんな感じだったわけ。
    おっさんは、ここで死のうとして昨日一日歩いていたらしい。
    #っていうか俺も昨日もこのあたりたくさん歩いていたんだけどね。(^^;;;
    #まぁいいや。

    ところが方向音痴なのが幸いなのか、偶然にも道路の方へたどり着いてしまったらしい。
    挙句の果てに、人様に遭ってしまったので、罪悪感から場にいられなくて、逃げ出したらしい。

    なんか、俺、自殺者を止めてしまったらしい……。(汗
    つーか、それってこんなに日常茶飯事の出来事なのかと、ちょっと焦った。

    実は、この樹海には volunteer 団体があるのを、皆さんはご存知だろうか。
    あまりの自殺者が多いために、夜中に patrol する団体がある。
    まぁ、このあたりを車で走れば事務所の prefab 小屋は即、見つかる。

    まぁ、何があっても相談事には発展はしないだろうし、
    とりあえず、私がこのまま、この場から去るよりも、
    そこへ連れてって行った方が断然いいと考えた。
    #まぁ、また森へ行くのは確実だろうし……。

    おっさんの腕をしっかりと組んで、その場所へ向かった。
    さきほどのtackleでの印象があるのか、結構こんときは大人しかった。

    着くなり、おっさんは、このガキに脅されたとか、タカリにあったとか、
    散々な事をいってくれたので、少々殺意が沸いた。r(^-^;;;

    ここで怒っては、おっさんと俺もおんなじ level になってしまうので無視していた。

    volunteer の人もやっぱり専門家。
    おっさんの勢いなんかものともしない。

    スゲー cool な眼差しで、精神患者を相手にするように、おっさんの瞳孔を微動だにせず、
    見つめて、何か分析しているみたいに見えた……。

    大変だった。
    事情を説明する俺と、必死に作り話するおっさんで、
    ほんっっっとに世話が掛かるおっさんだったわけ。r(x_x;
    #ほんとにもう!!

    一応、私が信じてもらえて一段落。
    その後、私の方は volunteer の人達から感謝状を送りたいと話が勝手に進み始める。
    で、奥に居た人が、「そんなの無い 」の一言で、話は無かった事になっていました。(大笑)
    #私もそんなの貰ったら恥ずかしいゾ(笑

    で、coffee を出してくれまして、そこの volunteer の方々と、
    ここに「死」を意識する「その人」の事情的な概要を聞くことが出来た。

    大抵の人は、中年の男性が多いそうだ。
    次に多いのが若者。

    中年の男性のほとんどが、死にたい理由を持っていないそうだ。

    死にたいというのは、理由があっての事。そういう時代ではないらしい。
    Volunteer の人は「現代人は病んでいる。」とさえ言ってた。
    でも、これを聴いたときから、私には、何か「違う」という感覚が芽生えていた。

    何が違うんだろう。

    これは、自分の起点に関する何か?そんな気がしていた。
    やっとです。やっと、三日も費やして何かを掴もうとしている。
    その場にじっとしていられんかった。

    Volunteer の人達には、大変恐縮だったのですが、おっさんを預けちゃいました。
    #まぁ、私ではなんともできませんしね……。
    私には用事があるので失礼するといって、その prefab 小屋を後に。
    一応連絡を取る可能性があるって事で、携帯の番号と愛知の住所を記述……。

    用事というのは、ここでの theme である「死」について。

    "死"に対する恐怖や、死んだ相手への重い想いを晴らす意図ではなく……

    「俺の僅かな期間に友達だった piece 2 の彼の死を、
     自分が自分に納得出来るほどの思考で考えているか?」

    その一点だった。
    俺にとっては、数ヶ月の間一緒に居た友達なんだけど、
    実質の距離が離れていたって、俺には大切な今でも友達なんです。
    でも、うやむやに整理をつけれなくて、
    いや、うやむやに整理をつけたくなくて……。
    そのままの自分で生きていると、
    俺が活きていないような不安があって……。

    夜中に、何も思考が浮かばない時なんて、わけ解らずに目に水が溜まることも……。
    #歳を重ねると、ど〜も弱くてね……。

    誰だっていつかは死ぬのに、なんで辛いんだろう……
    何よりも先に自分が死ねれば、人の死を考えなくても済むかもしれないけど。
    だから、周りにいる近い存在は必ず死ぬ……。
    ……経験する事象であり経験する事象……
    それを受け入れていないのか、受け入れているのか、それ以外なのか。
    本当に真剣に考えると、それさえもわからない……。

    俺は、その自分に見切りをつける為に、ここにやってきたぁ!!……

    車で紅葉台へ向かい、そこの展望台?で考える事にした。

    …絶景!!
    この自然なら、自分に hint を出してくれるような気さえしてた。

    最初に考えていたのは
    「彼の人生は満足だったんだろうか。」
    という点。
    彼は、辛い過去から周りの環境に強いられ強い人間になろうと努力をしている人。
    多分、自分もそのなかの一員だったに違いない。
    それは、彼の死の前の言葉からも自負している。
    別に謙遜する気も、自慢する気もない。(笑
    #あるがままでいたいんだよ。

    本当に大切なのは、
    「彼が」
    「彼の人生で」
    「彼の人生を theme として送れていたか」
    という点にあるんだと想う。

    でも、この答えは見つかりませんでした。
    何故なら、どんなに考えたところで、本当の心は、彼自身にしか"わからない事"。
    彼の心がわかるんだったら、言葉も要らないし、他人は必要ないでしょう。

    自分には考えられない、想像がつかない存在だからこそ、集団生活を選んで、
    お互いの意見を言葉という 約束 で、交流してきたと私は考えている。

    だから、私の考えられる範囲の限定された空間に彼は存在しない事になる。
    私の心も無限大なら、彼の心も無限大なんだから。

    「彼はこう。」「私はあれ。」
    そういう限定は、その人の価値を下げてしまうだけ。

    だから、きっと、自分以外の人の言動は、全部受け身で意見を聞こうと努力する事にした。
    受け身とは、
    自分が築き上げてきた先入観で、言動から心理を割り出さないという視点。
    #これは、自分的解釈。(造語に近い)

    つまりは、「彼に対して考えている」私のこの立脚点では答えはなくて当然だった。

    ならば、私自身なら、私の死なら、私が考えてよい事になる。

    「私が」
    「私の人生で」
    「私の人生を theme として送れていたか」

    過去形になってるけど、そんな感じの点に立つ事が意味があるように考えていた。

    私が死んだら、大抵、葬式がある。

    「お悔やみ申し上げます。」

    ???
    …………なんだろ。これ……。
    私が死んで「悔やむ」んですか……。

    俺が死んで悔やんでいる……おまえは誰だ……。

    「まだお若いのに。さぞ、無念でしたでしょうに……。」

    ???
    若い=無念?
    若いと無念なのは誰にでも当てはまる意見なのか???
    …………なんでだ……これ……。

    これも一般道徳。
    一般的には人の死に対して悔やむのが慣わし。
    これに条件がつくと、無念になる。

    私の場合、今死ぬと2000年で25歳ですから「若い」という条件。

    でも、ここに
    「私が貴方にとって必要な人間だったから悔やむ」
    事では無いし、
    「俺が、何かに努力をしていて報われなかったから無念」
    なんて事、全然知らないどころか……全然関係ないわけ。
    関心さえないだろう。

    たとえば、俺が、自分の人生を最高に活ききって、
    どれほど自分の人生に満足して、気持ち良く自殺しても、
    きっと「お悔やみ」を申し上げられ、「無念」だったんでしょうね。

    つまんねぇ……。
    くっだらねぇ……。

    確かに、俺にも、死にたくない気持ちはあるよ。
    まだ、やりたい事がたくさんあるんだ。

    でもね、明日死を宣告されても、別に構わないね!!!

    最初は、満足できて死ねる人間がいるのか、そう考えてきた。

    だんだん、深く考えていくと、
    そもそも、俺には、満足した経験がないんだろうか?
    ってな点まで行き着いてしまった。

    無論ある。(^^)

    …でも根本的に死に対して無意味に臆病になっているのは何故だろう……。

    そもそも、俺は満足して死ねるのだろうか。
    俺は、満足して死ねる権利はあるんだろうか。

    沢山の疑問が、脳裏に展開されて答えが出ないまま、
    次の関連する疑問が浮かんでくる。

    ……でも、ふと気づく……。

    でも、全てにおいて、理由は自分でいいんだよ。
    全てにおいて、理屈は自分の心でいいんだよ。
    全ての事象において、価値、意味は、自分の「意志」でいいんだよ。

    一般的に生きるなんて活きて無いじゃん。

    自分の人生を、自分で活きなくて、満足できるのかぁ???

    「誰が」しぬんじゃなくて、「自分が」しぬんだろ??
    みんなが皆、自分が死ぬんだよ。

    だから、俺は、俺は、葬式ってやつが「大嫌い!!」だ。
    何で、俺の気持ちも無視して死んでお悔やみ申し上げているんだ。コラ!
    テキトーな事抜かしてんじゃねーぞ!??
    って感じだ。

    俺は、大金叩いて、お経あげたり、牧師にやって貰うのは嫌だ。
    葬儀に来る奴等は、俺の"意思"無視して(not 反して)勝手に悲しんでいるし。

    墓に入れば、その墓地は霊魂がどーのこーので、気持ち悪がれてまで、
    何故墓に入りたいんだ?本当にそんな場所を自分のために作られて幸せか?

    自分の知っている人以外の墓をね、
    貴方は気分良く感じていますか……。

    そこにかつて一生懸命活きたかもしれない人達の跡に感動できますか?

    大地の一部を墓として占領し、子孫が途絶えれば無縁仏としての覚悟はありますか?

    数代過ぎれば顔も知らない他人のような子息に拝んでもらって疎通はとれた気がしますか?

    俺ね。
    ダメ。
    主観的にそんなのだめ。
    嫌だ。

    俺の肉体は、腐れば微生物が分解して、大地の恵みとして活かしてほしい。
    それで、活きている木々が育んでくれたら、その木々の魅力を感じてくれる
    風景を未来の人が感じてくれるなら、それこそ、本望だ。

    それが無理なら、こなごなにして、海の養分にしてほしいぞ。

    俺は、棺に入る気はないからな。(へへへ)

    そう、もし、俺が死んだら、お酒の席でも設けてもらって、ドンチャン騒ぎをして、
    騒ぎに騒いでほしい。(^^)
    俺とどんな縁があった人達が集うかは知らんが、最初のお題が、「俺」だったら、それで満足だ。(笑

    きもちいいんだよ。そのほーが。俺の感覚ではね。

    そう、次々と自分が見えてきた。
    そーだ。そだそだ!!
    これが、俺の意見だ。俺様の生き方の提案だぁ。

    なーんか、一気に活力がでてくる。
    鳥肌がたったのを覚えているよ。
    霧の靄が一気に晴天になる。スカーっとしたねーーー。
    目の前の景気に、脳裏の映像が溶け込んでいく。

    だから、俺は富士へ行ったとき必ず紅葉台へ立ち寄っていく。(^^

    ここに、あの時の自分がいて、あのときの志向が今の自分に進化しているんだ。
    って事だから。
    思い出の地、紅葉台……。

    俺は、そのまま、あの おっさん が気になって車を走らせる。
    例の prefab 小屋へ……。
    いないかなぁ。と思ったら、いたいたいたぁ。(笑
    #中々会わせてもらえなかったけど、ちょっと強引にお願いした。
    おっさんは volunteer の人達に迷惑散々かけているようだ。
    #まったく。r(-_-;

    おっさんには今でも反省しているんだけど、このとき、
    「俺は」「俺のrule」を一時的に捨てた。

    私:「おっさん。暴れるな」
    おっさんは、俺の顔を見るなり、暴れた。(笑
    #理由は知らん。(笑
    私:「おっさんさ、質問があるんだけど。いいかな。」
    おっさん、おとなしい。これはいけるかも。(汗
    私:「俺さ、さっき答え出たんだよね。(意味不明)」
    おっさん、俺を無視。
    私:「それって、最近何かに気づいたんでしょ。」
    おっさん、まだ無視。
    私:「自分の意志にがんばってよ。」
    おっさん、俺をにらむ。
    俺ちょっと焦る。
    俺は黙る。おっさんをずっと見てる。おっさん、ずっと俺をにらむ。

    そのまま平行線になったので、一時間ぐらいいたかな。
    その後愛知へ帰りました。
    それで、その時期の盆休み終わり。

    で、どれくらいたったかな。数ヶ月って程度だったと思うんだけど。(曖昧)
    俺の寮に手紙が届く。

    おっさんからだ。前略からはじまって、硬い字で書いてある。

    内容は簡略すれば、こんな内容。

     何も考えずに生きて来て、
     お見合いで適当に好感を持つ女性と結婚し、子供をもうけて……。
     しかし、最近、転勤してきた、社員がどうも「活きていた」らしい。
     その gap を感じたとき、人生に疲れが出て、あの地へ行ったそうだ。
     取り戻せない時間と、自分の失敗を reset したいみたいな事が書いてあった。


    でもね……。時間はね。自分の心が刻んでいるものなんだよね。
    肉体は器に過ぎない。
    精神に年齢なんてものがあるなら、俺的には心にも時間があってね。
    年齢ってものが心にもあると思うんだ。
    自分の soul な年齢がね。
    取り戻せない時間ってのは、取り戻せないと自虐した心の形。
    無論、複雑な事象からうみだされた、おっさんの心理だ。
    他人様が理解できる結論の先ではない。

    でもね、魂が疲れてしまったのは間違いだね。

    いや、勘違いだ。

    あとね、事象に無駄なんてないんだよ。
    無駄だと思い込んでしまった、自分の心理が無駄。
    あとその事象を無駄だと判断してしまう自分の心理構造が無駄。

    そして無駄と判断されてしまった事象が無駄。

    失敗は成功の素。
    これ、俺的には自分の意味を持たせているんだけど、
    失敗っていうのが一般概念で、
    成功っていうのが俺的造語の成功。
    その「素」ってわけ。
    だからね。

    一般論で解釈される「失敗」とは
    俺が俺で活きる「成功」の素になる大切な事象である。

    このおっさんは、自分で考えて自分で答えを見つけた。相談はしていない。
    その点は流石。生きている勝利者としての career だな。

    おっさんは、生きる事を決めたらしい。
    また勝利者だね。(^^)
    で、おっさんは、俺が言った「気づく」って言葉が理解できたらしい。

    ここで、その理解の中身は特に限定はしない……。
    それは、本当は間違っているからではなくて、
    概要的意味は合っているが、個々は自分の意見を持つから微妙なズレも持ち味。
    個性=宝だから、先入観や他人の意見としてその人を潰したくないからだ。

    そして、ここの読者にの中の主観的に、
    何を想像したのか、
    それを特定したり修正しないためでもある。

    いろんな人がいて、いろんな生き(活き)方がある。
    漠然とそれは理解できているが、個々の場所での活かし方がわかっていない。
    だからこそ、生涯成長すべき事もあるし、生きている事が辛いこともわかる。

    でも、根本的に、きっと世界の人間全部に引けを取らない、
    自分の価値が全部の人間にあると想う。

    人間は、なんとなく殺してはダメではなくて、
    他人を殺す事は、そういう意味で自殺する事と同じなんだと想う。
    自殺をする事は、そういう意味で世界を破滅させる事と同じ意味なんだと想う。
    しかし、これはあくまでも私の現在の見解。
    あなたの意見はどうでしょうか。

    人の死、それは自分の死。
    自分が死ぬのであって、他人が死ぬことはない……。

    人は記憶だけが自分の過去として残る。
    過去に価値があるなら、きっと記憶にも価値がある。
    だから、記憶を作る今が、一番大切なんだ。
    未来を作るのも今。
    未来が先にあって、過去が後にあるってのも考え方次第だと想う。

    俺は、現在があって、未来と過去は後だ。

    人の死は、image として自分の心の中で生きる。
    それ以上に新しい価値を自分に与えてくれないけど、
    その人の image は心にあるし、思い出す度に、その思想性を想定したりする。
    そこには必ず、知り合えたからこそ考える自分がいるし、かけがえの無い存在と認めている。
    だから、それを思い出す「今」を大切にしたい。
    そして、自分が死んだらその全ての記憶と共に全てが終焉する。

    辛いと想うのも、悲しいと想うのも、自分が想っていること。
    でも、信じているなら、失う辛さより、亡くなった当人の気持ちを考えてあげようと想う。

    一生懸命活きて満足そうに死んでいたなら、祝ってあげたい。

    そして、その人を知り合えた自分は、印象から成長を心がけたい。
    それが「死」として捕らえる自分の活き方……。

    道徳は一般的なrule。
    それは大切なんだけど、自分で判断がつく時期がきたら、そこに自分をいれる必要があると想う。
    借り物の意見(道徳)を自分の意見に置き換えよう。
    そうすることで、きっと自分自身になれると俺は強く想う。

    今、このとき、この瞬間から、次の今も、その次の今も……。