異なる意  
 

2003-2/18 (Tue)

 
 

一度きりと考えた世界に、
一度きりと考えきれない自分がいる。

その中で自分の想いを葛藤させた事象は、
意味があり、意味が無く、曖昧でとても大切で……。

辛く都合の悪い連続に悲しみをおぼえた。

常用的な平凡を想い求めた。

平凡なる通常は当然であり、それを願う自分を哀れむ時間がある。



そういう内容を意とする言の葉を文字の形で聞きました。

一度きりと考えた世界に生きている自分がいて、
一度きりと考えなくても自分の意志をもった自分がいる。
一度きりと知っているから、一度きりと考えず、
一度きりと行動を起こすから、一度きりと跡が残る。

その中に自分がいるのではなく、そう想う自分が世界感をもっていて、
事象に反映させている事象に意味があり、
無意味と想う(価値観で判断してしまう)事が無意味であり、
曖昧だと(にしか答えが出ないと一般論で片付けてしまう)想いを抱き、
その複雑さを大切に想う自分がいる。

辛く都合の悪い解釈に連続的に考えてしまい、自己暗示で悲しみを創造していた。

一般象を自分の常識感で創造し、自分にバリエーションを収束させ、周期的な生活を求めていた。
求めながら異なる現実に嘆きで応えた。

それぞれの思想があり、出来事にそれぞれの解釈がある。

それぞれの解釈の意味、意義こそ、自分が選ぶべき自分の全てなのかもしれない。

どれが正しくあるのではなく、
納得いく自分にあれば選択し、なければ選択せず、創造されたなら作成する。

あなたにとって、大切な事象ほど、強くなるはず。
その意こそ大切なのかもしれない……。