刻み  
 

2003-2/8 (Sat)

 
 


こういう人がいました。

ああいう人がいました。

そういう人がいました。


うん……でも、そんな人は、自分の印象で飾ったその人。
自分の心に留まる、外にでない印象。

悲しいから、去りました。
苦しいから、逃げました。

それも確かな事と想う。

どう確かなのかといわれれば、その人が行動するにいったった、
根拠みたいなものかな?

でも、行動するにいたる根拠ではあっても、
基盤、土台を壊すと根拠は無くなる。

いつも、未来を変えるには、土台を変える事だと想っている、
peo は、今のところも、そういう気持ちらしい……。

対になる言の葉は、同じ土台。
視点を変えて、その根拠を見直すのが、土台をかえること。

変えられなかったら、ダメではなくて、
変えなくて良かった自分の自信にしてほしい。

悲しいからって去る事ないし、
苦しいからって逃げることはない。

否定しているわけではなくて、
白紙に戻して選択肢を増やしているだけ。

結局は、別の意見になるかもしれないし、
一緒かもしれない。

でも、それを考えた自分の根拠が生まれる。

それを、自分の意味、意義だと大切にしてほしい。

ほとんど、私信気味の今日の日記だけど、
読んでくれる方々と、
ともに、今日の想いに違いは無く、

自分をもてあますからこそ、
自分に魅力があるし、
困難だからこそ、それほど、真剣に考えているし、

辛いと何も出来なくなるからこそ、

楽しむ大切さを知る。(^^)

どうやって生きるかも大切かもしれないけど、


どうにだって活きる事ができちゃったほうがいい。


意識しなくても、結果的になっている事が望ましいと、
peo は想う。

努力や一生懸命は、100% 心に素直なままの形で実現できる事がいい。

美徳感や他人のためでは、

楽しんでいない……。

上下、横並び、さまざまな事象に対して、
一般的に、優越感や、喜び方が用意されている。

「物」や「事」に、

なにかが、ある、という考え方は、すでに、
土台が固まっている証拠。

「物」や「事」に、

あるのは、いつも違う自分の捕らえ方でいい。

自分の納得できる形を中途半端ではなくしたとき、

きっと、自分の矛盾も開放される。

刻むのは、世間ではなく、

自分の心に、自分の魂を刻み込む……。