心配性……  
 

2002-12/2 (Mon)

 
 

今日はそんな感じがした。

季節の所為もあるかな……。

でもねあったかいmail貰ったんで、
結構うれしかったね。(^^)

やっぱり、人は人としての最高の価値をもった、
素晴らしい魂なんだと想う……。

貴方やおいらの中にある、「心」ってのは、
いつも、自分なんだね。

憎い……
辛い……
寂しい……

そういう世の中だったら、
世界が全部そう想っているはず・・・…。

でも、この悲しみの一時を、幸せに活きている人がいる。

同じ世界に、

同じ世界観を持っていない、自分の心の鏡……。

人を評価するってのは、
人を本当には評価していない。

評価は、自分が目安にする、妄想、illusion……。

いつしか、自分を忘れてしまう人には、
それは、確定的な事実になってしまう……。

その人は、おいらが評価できる中で、計り知れる活き方をしていない……。

それは、個々の人間全てにいえること。

だからこそ、人は素敵だ。

多くの人が、自分で語るとき、

その事象に価値がうまれる。

素敵な言の葉。難しいけど、使いたい。

だから、きっと、世界中の人が平和という平らを、
虚無の具体像を抱いて求めるより、

全ての人の暖かさ、必要さ、を実感して、
結果的に「平和になっちゃった」事こそ、意味があるのでは
ないだろうか?
(こんな事考えるの俺ぐらいか……?)

平和の反対が平和でない事でないように、
おいらは、平和は求めるものではないと信じている。

求めるのは、具体的な名前をもった貴方。

貴方の価値を少しでも感じたい。

だから、きっと、俺は、俺しか理解できない、
そういう世界にすんでいて、

きっと貴方も、そういう世界をもった唯一の人間なんだろう・……。

そこに孤独感を感じるより、

その中から、関心、感動、そういったことを、
他人から受ける事象を理解できる事を素晴らしく想いたい。

関心する事や、感動することってのは、
自分に経験がなければ、かすらない。

それは、きっと、貴方の無限大の心と、その文を書いた人間の
ひとかけらの共通を感じたからだ。

それが素敵。それがさいこー。

それが、活きている人間の証。

きっとおれは、これからも、いろんな事を感じて、
素直に反応したい。

世界の人々と抽象化したとき、
imageを持たず、

例えるなら、
貴方に受ける自分の感情を印象にしたい。

でも、おいら、そこはまだ発展途上……。

未熟な分、生きがいがある。

そう素直にも想える。

活きること、楽しむ事。

実に奥が深くて、概念を逸脱した世界……。

この文を読んで、感情を抱いた貴方は、
きっと、活きているよ。

おいらがそう想う。(^^)