哀愁  
 

2002-10/26 (Sat)

 
 

自分の人生に、凹凸がなくて、
つまんなくて哀愁の臭いをつけてみる……。

それは当人の口から出た言の葉。

素直に表現した自分自身を見つめた結果だという……。

様々な想いを募らせ、切なさを孤独と重ねてみる。

切なさと孤独に心は満たされ、

自分の心に……
その想いに……

癒しを求める……。

美しき哀愁を集めて、
現実としてため息をはく……みたいなね……。


一応いっておくと
俺は哲学というものを大学の講義で取った事ないし、
どういう有名な哲学者がいるかも知らん。
心理学もまったく関与してこなかった。
心理学も哲学も概要さえ知らんし、わからん。


だから俺は、俺の経験則から自分の意志の土台を通す。

だから俺以外に通用はしないが、俺が活きている事は、
その人の主観からも sample として伝われば意味があると想っている。


だから、哀愁に浸るその内容は別にいいんだ……。

でもね、哀愁に浸りたい時点で既に一つ哀愁なんだよ。
俺はそう感じる……。

無論、その痛み、悲しみが理解できるなんて事いえない。

でもね、俺的にはね、

その苦しみを大切にしてほしいんだ……。
その苦しみをね、自分の心全てを掛けて打ち勝って欲しいんだ。
その糧がね、一つの turning point になった人が沢山いるんだよ。
#沢山って言葉が曖昧だね……。
#俺の知る周りには、知人数の割合的に多いって意味だ。


平凡な人生と想う人に申し上げます。
その「平凡な人生」とは何がその境界線になっていますか?
その境界線は自分の意見で引かれているかな…・・・。

平凡な人生とはね、本当に平凡かどうかなんてわからないんだよ……。

でもね、
平凡な人生と判断した人はね、
少なくとも「平凡な人生」だと想った(評価した)自分がいるんだよ……。


つまり、
「平凡な人生」だと想う(評価)辛い気持ちの自分がね……。

悲しみや痛み苦しみには大きさなんてないからね。
#さんざん、この 話 は 日記 に載っています。r(-_-)

好きで哀愁感覚に浸る人はいいと想う。
でも、自分の人生に平凡感を募らせ、哀愁感に浸るのはね……。

前者と後者は大きな違い……。