心の無限大  
 

2002-10/13 (Sun)

 
 

いつも「出会い」と「別れ」は自分の中で存在していて、
その人と自分という関係にある。

その一部の人しか知らない情報は
その一部の該当者には「貴重」という存在だったりする。

東京へ出てきてから結構な月日が流れ、
その中でやはり相談事が多くなってきた。

東京は人口が多い。
だからかもしれない。
人々の心の隙間が自分には感じられるのは……。

おいらも強くは無い。(と思う)
傷痕はたくさんある。

でも、おいらは自虐をしない。
気付かなくてもしていない。(ここ重要!)

全てに自分の意志を反映させたなら、
その結果は塞ぐものではないんだ……。

自分の意志で行動しない者もいる……。
アドバイスを鵜呑みにする人もいる……。

どんなに偉い人でも、
自分がその人を尊敬していても、
結局鵜呑みにしていたら、自分は死んでいるんだよ。

そんな人生なら、おれは要らない。

自分の意志に反映せず、他の意思に従ったなら、
その裏切りは絶望を意味する。

……信じるが故に裏切られるのである……

……信じた故に裏切りは絶望を意味する……

信じるのは自分の心。
責任を持つのは自分の意志。
責任は果たすのではなく背負う事。

ここでまた忌まわしき「対」について話しておかないと
自分を持っていない人や持ちかけている人には誤解を招く。
……信じるが故に裏切られるのである……
とは
……信じなければ裏切られない……
と一緒ではない。
……信じるが故に裏切られるのである……
は主語を略しているために、幅が広がり、
おいらの意味をなす事は不可能な意思になっているって事だ。

……自分が自分の意志を信じれば、
   裏切られることはない……

近いなら、きっとこの言の葉だ。

結果的に、真実や事実なんてどうでもいい事なんだよ。
架空、空想だってどうでもいい事なんだよ。
視点が違うんだよ。

真実だから信じるってのも、架空だから嘘ってのも、
自分の意志には関係ないって事。

真実だって間違っていることはあるから信じても無駄だし、
逆に、架空というのは一つの仮説なら、
それを全部嘘といっても未来事実になる可能性はある。

つまり、真実でも架空でも、その信じる、信じないにおいて、
評価する意味がないって事だ。

だから、真実でも空想でも、
「その置かれた事象において自分の意見で自信を持つ」
それが大切なんだよ。

周りには、そんな人がいないかもしれない、
おいらはこういう言動をするようになってから、
結構な月日が流れてしまっているが、

本当はね?

本当は黙っていたんだよね。(^^;;;;


なぜなら、おいらが云っている事は、
おいらの法則に一つ反している。

人の表面(言動)から得るものよりも、
その人の背中から学ぶものが強いって事だ。

つまり、おいらは、言動的な表面をここで表すようになっていて、
それが、自分の流儀にさえ反しているって事だ。

もし、背中から伝わるものがなければ、
おいらは自分の精進が足りぬだけのこと。

でもね、Natural に活きるならそれでいいんだ……。

でも……
それが相談事の数、時間によってそういってられないことがある。
特に大切に思っているのは、「相談の時間」っていう事。

「相談の時間」

とは俺的には、相手の心理の変化時間。
つまり、相談相手の刻む主観時間と意見の変化。

俺は大抵自分のかんそうは相談事では喋らない。

相談事ってのは、
その人が、未来がみえなくて苦しんでいるときだ。
または、自分に与えられる選択肢に選びきれない場合もそうだ。

新しい道を作ろうとして彷徨っていることがおおい。

その中に、自分としての全てに対しておいらが壊すことは出来ない。

つまり、このときに、私の意見をいってしまえば、
その道を選択する可能性が大きいって事だ……。

それは、辛い事……。

世界に全ての人間が必要なら、
世界に誰しも一つしかないものを持っており、
俺のその答えは「個性」だとおもっているからだ。

だから、
応えても、答えは出さない。

アドバイスはするが、導きはしない。

自分で答えは出すものなんだ。

でも、不安という物質は、その人の時間と省略を早めてしまう事がある。

追いつかない。

反して、自分のruleを壊す。
#同時にその自分の無力さをそこで思い知らされる……

そして、答えをいうんだ。

何故ruleを壊し答えをいうのか……

相談の意味は、
「真実を突き詰めることでも、個性を伸ばすことでもなくて」
「その人の苦しみを解放する事」
にある。
苦しみを解放するために、自分のprideを捨ててしまう事は別に
たいした事じゃない。

その人が苦しいのは、周りに立つ自分が
「不安」という土台で「周りを評価している」事に気付いていない。
その点が大きい。

その人が自分を信じる事ができるようになるためには、
その人を正しく評価してあげる必要がある。

持ち上げてはいけない。
無論、見下してもいけない。

その人が他人から見た評価を、正しく伝えて、
どういう質問がそれに対してきても、
正直に答える事によって辻褄を合わせること。

矛盾が生じた時点で、相談役の人間の信頼は
二度と回復はしない。

だから、おいらは、スゲー恥ずかしいけど、
その人に印象を持った全てを話し、
その内容を否定されたら、
その全ての理由を自分の経験、過去の記憶から、
その理屈を話す。

その中には様々な個々の人間に対する想いも
含まれているので、ある程度はその事も
悟られてしまうので、これは相当俺的には、
大変なことだ。

でも、それでその人の悩みが救われるなら、
それでいいと俺は想っている。

相談ってのは、
「苦しみ」
これをなくすこと。その一点にあると想うから……。

いろんな理屈は、
結局は自分の経験が語る法則に過ぎない。

だったら、十人十色を認めるなら、
この理屈で
「他人の苦しみを知ったかぶりして評価するのは矛盾」
している事になる。
どんなに経験豊富な人でも俺から見れば、
違う人生を歩んでいるから、違う心理なんだ。

だから
「苦しい」
という感情に満たされているところから、
個々の人の理由を訊く事で、その人の世界観、
空気、様々な一部を理解しなければならない。

そして、無限にある心の広さを忘れずに、
一部だけで自分は応えを出す事を忘れずに、
決め付けないで、その中から、話す事が大切。

それが、その人にとって、
それが、そのときの自分にとって、
今の所の自分の答えです。