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不安ってのは、どう解決するのか?
それは人によって様々なんだろう……。
信じられるって事をどう説明すればいいんだろう。
その前に、明確に俺は何を信じているんだろう。 信じているものがなければ、信じろなんて教えられない。
不安を取り除くのは、案外難しいものだ。
不安になるのをとめられない人は、不安ととめられないほどの理屈がある。
簡単なこと。信じること。
そう考える事もできるだろう。 しかし、それは自分の中でそういう「癖」や 生活スタイルを身に付けた者だけに通用する問題だ。
そんなのは、一部の悩める者を救うだけだ。
苦しくて蓋を閉めた者が、不安な要素が増加する事象にあったとき、 自分の理性では止められない状態を意味するんだ……。
何故蓋を閉めたんだ? 逃げた?っていう人もいる。 臆病者っていう人もいる。
でも、断言する前に深さを考えなきゃ駄目なんだ。 深さってのは、俺に到底見えないものかどうかは、 その人の目、文章が訴えてくる。
これは経験則になってしまうかもしれない。
つまり、悩んでいる人間にとって、 蓋をしたのは、自分の理性が保っていられる限界に感じた事だって、 蓋を閉めることになるんだ。
こっちの方の原因の人を救うには、 かってにその辺りを判断してはいけないんだ……。
誰もが、自分ほど弱くはないけど、 誰もが、自分ほど強くもないんだよ。
苦しい事がどんなに苦しくても、 その苦しさの全てを考えてはいけないんだ。
その苦しさの一部を知って、想定せずに解決を見つけること……。
そして「信じること」……。
■□■□■□■□■□■□■□■□ ある空間に自分がいたとします。
その空間に他人が数名います。
笑ってもいません。 怒ってもいません。 泣いてもいません。
その他人は表情が見えません。
さて、その人たちは誰ですか。 表情がないその人達は、 あなたには 笑って見えますか? 怒って見えますか? 泣いて見えますか?
その他人達は、そこで何をしていますか? ■□■□■□■□■□■□■□■□
表情がありませんといっても、 想定できる範囲からはずれると、 その心理に反映されるなら、 つまり、余韻だけで想定をするなら、 その中に心理的な連想がはじまるかもしれません。
それは、自分が通常として考えていない場合にあった場合、 想定しやすいのが、その方向性となるかもしれません。
信じる事は、何故出来るんだろうね。 俺が信じる原点は何なんだろう。
俺の信じる……。
あ〜ぁ、もう、俺の大馬鹿さ加減には、愛想が尽きるぜ。 ……っても、俺だからしょうがないか。(笑)
信じる、信じられる原点ってのが、何かにあったのか、 そこにあるのか、それとも、俺自身なのか?
そもそも、信じるって何?
どういう事を信じるって俺は理解しているんだ……。
信じると不安はそもそも、ついになるのか? 信じたら不安は無いのか?
いや、信じていても不安はあるだろう。 不安があっても信じていれば、落ち着けるだけだ。
一つ俺の意思が出来た。
やはり対を成すなんぞ、なんの意味もないな。 個性を失うだけだ。
感情と理論があべこべになっている人達よ、 俺と一緒に自分自身になろうぜ!
とはいえ、信じると不安……。
まだおくが深くて、みえない……。
でも、かならずなんとかしてみせる。
そうだ、もう一つ、勇気ってのを加味してみる事にしよう。
……近いいつかね……
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