fashion  
 

2002-9/25 (Wed)

 
 

先日になってしまうのですが、個性の中で趣味という part に自分を表現している人から
その中で、その固有される価値観の sample を教えていただきました。

その意見やその価値というものは、全てにおいて大切な個人の証ですよね。
それを表現した言の葉を聞けました。、いえ正確には「ふみ」を頂いたわけですが。(笑

趣味の名 : fashion

小生にはほど遠い存在の言葉です。
小生はいつも体育館みたいな所で、まとめ買いをします。
特に靴下なんぞは同じ色を沢山購入します。
そうすれば、片方ダメになっても、合わせられるから経済的なんですね。r(^^;;;;

しかし、これは別に私が fashion という像に、自ら意思を反映させての行動ではないのです。

つまり、fashionという価値について、私は、賛否の価値すら値せず、
造語するなら、無価値ではなく未価値な存在なんです。

「人は内面からも変わっていく」

これは自分もそうでしょう。
別に内面という言葉が、個々に違っていても、
自分には意思という意味で割り振ってあてはめられる範囲です。

しかし、もう一つの道筋も立つ事もあると、擬似(他人の経験)経験談から説明してくれました。
それは

「人は外見からも変わっていく」

って事です。
格好とは心理的な効果をもたらし、自信につながるという意思で、捕らえれば、
素敵な趣味であり、その心理効果は絶大でさえあるというものです。

その人の挙げてくれた例は少々 public 話題ではないので、避けますが、
この例ほど、的確ではないにしろ、違う話をします。

例えるなら、パンツ一枚で新宿の街を徘徊するときに、心理的なものは働くか?
って事も、応用ワザでいいかもしれません。

結局のところ、自分が、素直に自分を持って、自分が納得できる答えがそれなら、
別に実は影響はありません。

しかし、そこに着眼しない手もあります。
つまり、identity です。

自分の存在を自分で理解し、自分で納得のいく答えを纏う。
それは、自分の identity として、自分で意味を常に確認でき、
自分の伝えたい message を相手に、社会に、存在として、個性として位置付ける。
# not 評価されたい。(ここが point です。)

つまり、一般的な natural から自分的な natural へ。
その identity の一つであると……。
だから、中身を伴わない人は、 fashion がかっこよく見えない。
そうともおっしゃっていました。

自分には、自分のfashionといえるものがありません。

もし凝っていくとしたら、自分はどうなるんでしょうか。
自分の中に芽生える価値観が物語るのでしょうか。

様々な価値観が、自分の他の価値観にも影響するとしたら、
それは、自分が進化しているのかもしれません。

価値がどうなるか、どうもならないか、それは、きっと
誰しも、自分と自分の挑戦への意志の中で時間を作り出し、
きっと時期を作れば、そのときに、そうなるんだと想うんです。

でも興味とは、その中で出会いもまた一つの要素。

何かしら、個々の中で、個々が進化しているのを観察させていただくのも、
素晴らしい事だと今日感じました。

やはり、何か事に意思が反映されている事は、
何で合っても奥が深いですね。

そこにも、実質的な個々の人間、その人の価値が少し見えました。