意思する者と刻む者  
 

2002-9/19 (Thu)

 
 

生きるだけで傷がつく。

でも、活きているなら、傷も癒える。
しかし、活きたいのに、傷痕が深くて前が見えない人がいる。
一生懸命、一生懸命、前に進んでいるのに。

事象の価値とは、人間の価値を意味する。
理由は簡単で、事象ては自分の記憶に入ってこなければ、
意識できないので無価値。

最近、直接会って相談を受ける事も増えてきた。
mail だけでは、疎通がとりにくいんだろう。

様々な悩みを抱えている人が周りに沢山いて、
それぞれの人が、真剣に自分の目を見る。

それが、嘘なのか、本当なのか、そんな事さえ、どうでもいい。

悲しみが深いだけ、その意図は別にあるから。

事実や真実に、どれほどの価値があるのか知らんが、
仮想、架空を例(sample)のように、成長することだって、
世の中沢山あるんだ。

子供に童話を読ませるのは何故?童話は一般常識だからか????

違うな。真実、事実でなくとも、真剣ささえあれば、
その先や手前はどうでもいい事なんだ。

相談ってのは"真相を解明"することじゃないんだ。
相談ってのは、その人の心を晴らす事なんだ。
その人の心理を解明する事でもない……。

だから、難しい。だから、気をつけている。

本当に相談者の価値観を、相談されるほうは、
決め付けてはいけない……。人間像をもってはいけない。

相談ってのは、その人の価値観で語られればそれほど、素敵な事はないでしょう。
でも、私の心が無限大なように、相談者の心も無限大なんです。

私がその人を、「こうだな」とか「そうだろう」って見方をしてしまったら、
その時点で相談にはなっていない。

それで納得させられた相手は、相談になんかなっていない。
その相談相手の価値観を入れ知恵させられただけだ。
困っているのを材料にして……。

自分の人生を自分で活きたかったら、
他の人の人生も、その個性な人で活きたいんだろう。

価値観は意思の中にある。

たとえ、その場で、相談が解決しなくても、それでいい事もある。
せめて、自分の判断力で、その人材を断定するような結果でなければ。

枠にはめていきたくないなら、人を枠にはめて考えてはいけないし、
相談の中にあるものを穿り返すことではない。

だから、聞こえる価値観を作れたら、どれだけいいだろう。
そこに立った自分を空想して呈してみる。

でも、結局深くはつくれやしない……。

だから、その中で、その中を知るしかない。

その人の意思が空回りしている何かを。

自分の正義を訴えるのではなくて、
その人の考え方、個性でなり切れていない部分を探るんだ。

それが自分に合わない考え方かもしれない。
でも、自分の個性を認めて欲しかったら、その人の個性を認める。

だから、そこに、価値を見出す事が大切なんだと想う。

それが相談。

でも、内容は一人一人重い。

簡単ではない人生。
やはり生きているだけで、苦労しない人などいないんだろう。
でも、苦労は負ではない。
嫌がる先の負ではあるかもしれない、
でも、辛い事そのものは、辛いだけの事象でも、
その越えたとき、過去を糧として成長した人が実在しはじめる。

だから、越えるときは、逃げて欲しくない。
蔑まずにいてほしい。
ふたをしないで欲しい。
自分を苦しめた血のにじむことでも。
そのために、涙が枯れ果てていても。

時間は自分の意志。
期間は自分の区切り。

くぎらられる存在と、区切る存在。

意思を持つものが関わると、その中で区切った価値観がうまれる。

その中に、一つの悩みが発生していた。
中で酷く落ち込む中で信じられない何かが存在しいる。
その中に何があるのか。
いや、それこそ、何かこそ、あるものなのか。

でも、不安を込めている人間にとっては、
「何か」で自分を貶めるには十分な理由だ。

その人の表情がそれを語っている。

その人の辛さ。真に解る事なんてできやしない。
もし、私がそれを理解できるとしたら、
一般的に「ああだろう」「こっちのが重い」とかでなくて、
その辛いという想いの強さによるものなんだろう。

だから、きっと、前を向ける時点で、俺は理解していないし、
相談を応じられる時点で、その境地を理解していない。

想定できないことを理解したというのは、
蔑まれるべき憶測だろう。

だから、わからないけど、それでも、考えるんだ。

でも、時間という区切りのハザマに取り残された
その人を助けるには、民主主義的に身分が必要だった。

俺にはそんなものはない。

無力感を味わっていた。

だから、いや、でも、違う事象に自分の価値を割り振るという
要素を考えた。

その道ですすむなら、きっと、自分でそのうち解決すると想う。

誰もが自分という唯一の主観をもって活きているのだから。