うたったぞぉ  
 

2002-9/13 (Fri)

 
 

人間像とはいつも自分の中で作られるもの。

自分で作るから
「ある意味根拠がなくて。」
でも、自分が作るから、自分が生きている証拠だし……。

だから、固定した思想よりも、
その人から感じ取れる何かをいつも大切にしたいです。

いつもの日々。いつもの時間。
でも、"出会い"と"別れ"が、大きな人間との事象的な変動だとしても、
実は、何気ない日々の中で、新しい行動を起こすと、
そこにも個人にある気持ちが起こした結果を表情などから、
感じ取る事が出来る。

でも、気付く度に、ちょっとヘコむものでもある。(笑
だってねぇ、
おいらが、ボーっとしている間に、
何かを感じて一生懸命に尽くす価値を見出している人間が、
目の前にいるのだ。
その人の尽くす動機、行動起こす energy は何なのか?
別に全ての事象に対して趣味にする必要はないんだけど、

でも、
もし、自分が興味持つ event だったら悔しいのである。
スゲー悔しいゾゥ。

出来れば、自分が楽しめる事象の全てを体験したいのである。

……って、ある意味誰でもそうか……。(^^;;

自分の場合は、一つの節があるんですよ。

ある大阪の中企業の社長と寿司屋で話していて、
まとまった話なんだけど、
「30過ぎて趣味持てた人間は、普通の order を越えた存在だよね。」
って事。

これはねぇ。
自分の周りには実はいないんだよね。 > 30過ぎて趣味もてない人間

だからまぁ、その社長さんの従業員周りの話になってしまうんだけど、
30 までは、自分のやりたい事をやる、個性を出した人間は、社内にも
沢山いたそうだ。

でも、30過ぎると「落ち着く」という言葉を頼って個性を捨てる人間が多い。
それでない人間は脱サラってのが定番らしい。

だから 30 越えて、人生捨てているんじゃなくて、
開き直っているじゃなくて、

それでも、自分を持っている人間は、 普通 という自分の固定概念から、
自分を区別できている証拠になるよね。

って意味です。
私の場合、残念ながら、 30 越えて丸くなったって人間を知らないので、
ある意味、恵まれているのですが、

でも、何歳になっても、自分の感ずるままに活きたいってのは正論だと思うんですよ。

30 がどーのこーので区切れるほど、日本人の常識感にあるものなのか?
それはわからないんだど、

30 でなくても、自分の個性を中心に、そして進化させてみせるぞ!!!

そう感じた今日でした。

閑話休題。

ちなみに、専務に誘われて徹夜でカラオケ。r(^^;;;
仕事は、さっさと 22:30 で切り上げてね。

沢山の人が、自分の好きな曲、思い出の曲、得意な曲などを披露していました。

カラオケって歌うのも好きだけど、
それ以上に聴いているのが好き。

みんなね、感情がこもるでしょ。
その中でねぇ、目が一番物語ってる気がするんだよね。

感情を表に出さない人達が、目に表情が出てくるんですよ。

面白かったなぁ。
実体験的に「目は口ほどに物をいう」ってのが浸透しました。(^^)