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人間像とはいつも自分の中で作られるもの。
自分で作るから 「ある意味根拠がなくて。」 でも、自分が作るから、自分が生きている証拠だし……。
だから、固定した思想よりも、 その人から感じ取れる何かをいつも大切にしたいです。
いつもの日々。いつもの時間。 でも、"出会い"と"別れ"が、大きな人間との事象的な変動だとしても、 実は、何気ない日々の中で、新しい行動を起こすと、 そこにも個人にある気持ちが起こした結果を表情などから、 感じ取る事が出来る。
でも、気付く度に、ちょっとヘコむものでもある。(笑 だってねぇ、 おいらが、ボーっとしている間に、 何かを感じて一生懸命に尽くす価値を見出している人間が、 目の前にいるのだ。 その人の尽くす動機、行動起こす energy は何なのか? 別に全ての事象に対して趣味にする必要はないんだけど、
でも、 もし、自分が興味持つ event だったら悔しいのである。 スゲー悔しいゾゥ。
出来れば、自分が楽しめる事象の全てを体験したいのである。
……って、ある意味誰でもそうか……。(^^;;
自分の場合は、一つの節があるんですよ。
ある大阪の中企業の社長と寿司屋で話していて、 まとまった話なんだけど、 「30過ぎて趣味持てた人間は、普通の order を越えた存在だよね。」 って事。
これはねぇ。 自分の周りには実はいないんだよね。 > 30過ぎて趣味もてない人間
だからまぁ、その社長さんの従業員周りの話になってしまうんだけど、 30 までは、自分のやりたい事をやる、個性を出した人間は、社内にも 沢山いたそうだ。
でも、30過ぎると「落ち着く」という言葉を頼って個性を捨てる人間が多い。 それでない人間は脱サラってのが定番らしい。
だから 30 越えて、人生捨てているんじゃなくて、 開き直っているじゃなくて、
それでも、自分を持っている人間は、 普通 という自分の固定概念から、 自分を区別できている証拠になるよね。
って意味です。 私の場合、残念ながら、 30 越えて丸くなったって人間を知らないので、 ある意味、恵まれているのですが、
でも、何歳になっても、自分の感ずるままに活きたいってのは正論だと思うんですよ。
30 がどーのこーので区切れるほど、日本人の常識感にあるものなのか? それはわからないんだど、
30 でなくても、自分の個性を中心に、そして進化させてみせるぞ!!!
そう感じた今日でした。
閑話休題。
ちなみに、専務に誘われて徹夜でカラオケ。r(^^;;; 仕事は、さっさと 22:30 で切り上げてね。
沢山の人が、自分の好きな曲、思い出の曲、得意な曲などを披露していました。
カラオケって歌うのも好きだけど、 それ以上に聴いているのが好き。
みんなね、感情がこもるでしょ。 その中でねぇ、目が一番物語ってる気がするんだよね。
感情を表に出さない人達が、目に表情が出てくるんですよ。
面白かったなぁ。 実体験的に「目は口ほどに物をいう」ってのが浸透しました。(^^)
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