街の poster  
 

2002-9/6 (Fri)

 
 

何故だ。何故だぁ???何故笑うのだ。(汗 r(^-^;

今日は(も)、20代後半あたりの女性に笑われた。
京浜東北線の中でだ。
ニコニコニコニコニコ……何がそんなに微笑ましいのだ???
……まぁ、いっか……。
そんなに面白いですか?私???
もしかして、変な仕草でもしてんのかな???
う〜ん、さっぱりだ。……皆目検討もつかぬ……。
笑った人たち、笑えたんだから事象に感謝しなさい。r(^-^;;;

閑話休題。

今日は何気なく街を見ていたら、なんと某 circuit が poster に……。
それから色々と考えていました。

circuit その field は私に全て起点を与えてくれた存在です。
実は computer の本格的な技術者になる原点になったのが circuit なんです。

ですから、私は ほんの少しでも circuit に興味を抱く人間には、
必ずお勧めをしています。

「circuit で会いましょう。」

口癖のように使っていた台詞です。


人生観において大きな影響力をもつ事象。
その事象で、人生の立脚点が大きく変化すると一般的に、

"turning point"

というそうですね。
そういう意味では、自分には turning point は一つに絞れないです。

多分、それだけ事象の価値を自分で評価しているものが多いんだと思うんです。
だから、気にしていません。(^-^;;;

ここを私は真剣に走りました。
一生懸命走って走って走って、同じ景色を見ているのに、
人によって time が全然違うんです。
同じ車でも……。

わかりますか???
technique も無論ありますが、それ以上の衝撃が circuit にはあるんです。

それは、私の場合


  同じ景色をみていても……
  つまりは同じ道を走っていても……
  つまりは、同じ空間で、同じ体験をしていても……

  同じ course を選択しても
  同じ 道 を選択しても
  同じ 人生 を選択したつもりでも

  time は人によって様々だ
  結果 は 人によって様々だ
  同じ結果を理想としているなら、それは不可能という事だ


様々なあこがれ、様々な希望。
それが他人の中に存在するなら、その全てを select しても、
その他人になる事は出来ない。

もし、全てを選択し、追いついたら、
それは結果的に同じに見えるかもしれないが、それも異なる先。

なぜなら、
同じ景色をみていても、あなたと私では、
景色の解釈が違うのです。

もっと具体的にいえば、そこに建っている pole の意味が
あなたと私では全然違うんです。

つまりは、objectがそこに存在すれば、解釈も違えば意味も違う。
つまりは事象の全てが異なるのです。
同じ実空間で同じ経験をしているようでも、
主観などの空間内に展開された経験はまったく別物です。

あなたと私では、物の価値が違うんです。

race で思い知ったのは、走っている最中に目に写る景色の意味が違うんですよ。
根本的に目に写る景色の価値が違うんですよ。

これはかなり shock ですよ。

普段はなんとなく、それほど意識もせず、
いわれれば、当然の如く解釈されている事である、個性というものが、

ここでは time として確実に優劣をつけられます。

これは実体験版というやつでしょうね……。
この経験がとても大切だと自分は感じているのです。



最初は、この事が凄く寂しかったです。
孤立してしまった。
同じ空間の中で孤独を感じるって事は、皆さんにはあるのかな??

どんなに楽しくても、心の底では、孤独感を感じてしまう……。

それは徹底的な空間の差。



でも、俺の魂は腐っちゃいないッス。
とことん考えて、考えて、考え抜きました。

見つかったんですよ。
自分の答えが。
自分にしか通用しないけど、自分が活きるには最高の答えが。

私の場合 100 % すっきりしたのは、
その人個人がもっている個性の素晴らしさの評価って事です。

逆にいえば、外見以上に人を区別できる、個人が持つ宝物だと思ったんです。

そのうち、未来の技術では、肉体改造で肉体年齢は可変になるかもしれません。

それでも、心の個性は、
「他人に影響を受けようと最終的には自分でしか、変えられないもの・・・」
だからこそ、個性なのかもしれません。

これが circuit を走った自分の感想かなぁ。
体験って本当に貴重だと思うんですよ。
特に自分の場合。

机上の空論より、体感してみると、真剣になれる。
体験ってのはそもそも、自ら行動を起こす事。

自ら行動を起こす結果だから、得るものが大きいのかもしれません。

それにしても、 poster 一枚でこれだけの思い出がよみがえるなんて、
私も少しは精進しているのかな。

皆さんもきっと、沢山の思い出が、何気ないものに、
沢山詰まっていると思うんですよ。

trauma もその一つなら、その逆 version もあってもいいよね。

「それぞれのそれから」

を拝見させていただきます。