傷痕の深さ  
 

2002-8/22 (Thu)

 
 

どれだけ多くの人が心の傷をもっているのか。

多分、全員の人が持っていると考えるのが正解なきがしている。
持論の image からいえば、きっと、その意味の深さの根底が感覚的に違うからだ。

それを理解できない人間は、
「つまらん事で悩むな。」
「俺なんか〜〜なんだぞ。」
と比べてしまう事もあるだろう……。
そのいってしまった人は何と比べたのか……。
そう一般論と題した現代道徳だと考えられる。

しかし、単純に事象の価値は個人によって異なるとすれば、
この思考は崩れ去るべきであるが、この矛盾した例は
自分の身の回りにもたくさん存在している。e

そして、私もその中の一人に違いない。
それを直さなければ、他人の価値を失っている面がたくさんある事に今日気づいた。

繰り返している毎日に、生きるだけで、生きているだけで、
単純な物語は作られていかないし、そうだった試しの人はいるんだろうか……。

単純明快な人生を純粋に味わっている人にとって、きっと偶然という感覚はないに違いない。

偶然の多くが必然である証拠はこの際どうでもいい。
大切なのは主観的に偶然の心理が呼び起こされるかどうかにある。

失うこと、望外の事、奇跡の事、そして偶然の事。

自分の認知できる事象に、この言葉で表現する心理は、
きっと、予定していた単純さを壊すものではないんだろうか……。

でも、私もきっと、まだ、道徳に洗脳されている……。
道徳を sample として、自分の自分にしか適応されない道徳を作り上げる。
それも個性かもしれないなぁ……。

そう今日は考えていた。

人(個人)の辛さなんて微塵もわからない。理解してもらえない。
「わかる」と言ってしまった人が、ズレていて、衝撃を受ける事も多々。

でも問題なのは、理解する・してもらうのではなくて、
原因を無理やりではなく、自分流に解決する方法だと思うんだ。

結局、自分が納得しなければ解決した事にはならないし……。